第20話 遠い場所
五月。
僕は二年になった。
そして、今日は、修学旅行。
京都。
バスから降りると、風が吹いていた。
暖かい風。
空が、青い。
「神林、早く」
田中が、手を振っている。
クラスメートが、集まっている。
僕は、カバンを持って、みんなのところに向かった。
清水寺。
人が、たくさんいる。
観光客。
修学旅行の学生たち。
賑やか。
「すごいね」
田中が、言った。
「写真撮ろう」
「うん」
みんなで、写真を撮る。
団子を食べながら、歩く。
笑い合う。楽しい。
でも、少しだけ気持ちが沈む。
蒼汰先輩は、今、何をしているのだろう。
学校で、勉強しているのだろうか。
図書室に、いるのだろうか。
ずっと、先輩のことを、
考えてしまう。
「神林、どうした?」
田中が、心配そうに聞いてきた。
「ううん、何でも」
僕は、笑顔を作った。
大丈夫。
楽しまなきゃ。
修学旅行。二年生でしか味わえない醍醐味なのだ。
僕たちは、境内を歩いた。
舞台から、京都の街が見える。
緑の山。
古い街並み。
綺麗。
でも、ここに、蒼汰先輩がいたらな。
そう思ってしまう。
二人で、来たかった。この景色を、一緒に見たかった。手を繋いで。笑い合いながら。
「神林、何見てるの」
「……景色」
「そっか」
田中が、隣に立った。
「綺麗だね」
「うん」
綺麗。
でも、何か、つまらない。
蒼汰先輩がいないから。
―――
夜。
ホテルの部屋。
田中と、他の二人と、四人部屋。
みんな、テンションが高い。
「今日、楽しかったね」
「明日は、どこ行くんだっけ」
「金閣寺だよ」
話し声が、響く。
僕は、ベッドに座って、スマホを見ていた。
蒼汰先輩からの、メッセージ。
『無事に着いた?』
『はい、着きました』
『楽しんでる?』
『楽しいです』
嘘じゃない。
楽しい。
でも、心に隙間風が吹くような気持ち。
心に穴が空いているような気持ち。
それを、どう伝えればいいのか。
『先輩は、今日、図書室に行きましたか?』
『行った、少しだけ』
『一人で、ですか?』
『そうだよ』
一人。
先輩も、一人なんだ。
胸が、締め付けられる。
「神林、シャワー空いたよ」
田中が、声をかけてきた。
「ありがとう、後で入る」
「了解」
部屋が、また賑やかになる。
僕は、スマホを握りしめた。
蒼汰先輩。
会いたい。
声が、聞きたい。
電話…。
迷惑だろうか。
夜だし。
でも。
でも、我慢できない。
僕は、部屋を出た。
廊下。
静かだ。
非常階段の踊り場に、行った。
窓から、京都の夜景が見える。
街の灯り。
遠い。
蒼汰先輩も、遠い。
僕は、スマホを取り出した。
蒼汰先輩の連絡先を開く。
電話のアイコン。
押す。
呼び出し音。
一回。
二回。
心臓が、跳ねる。
三回。
出てくれるだろうか。
四回。
「もしもし」
蒼汰先輩の声。
胸が、熱くなる。
「……先輩」
「翔?」
「はい」
声が、震えた。
「何、どうした?」
蒼汰先輩の声が、優しい。
「あの」
何を言えばいいのか、わからない。
「用事はなくて、その…」
小さく、そう言った。
蒼汰先輩が、少し笑った。
クスッて笑った。
「そっか」
その声が、温かい。
「……ごめんなさい、夜なのに」
「別に、いいよ」
「迷惑、ですよね」
「迷惑じゃない」
蒼汰先輩の声が、近い。
電話越しなのに。
すぐそばにいるみたいに。
「何でもないなら、安心したよ」
その言葉を聞いて、
涙が、出そうになる。
「先輩」
「ん」
「声、聞けて良かったです」
「俺も」
蒼汰先輩が、また、小さく笑った。
その声が、胸に響く。
「今日、どうだった?」
「楽しかったです。清水寺、行きました」
「そっか。綺麗だっただろ」
「はい。でも」
「でも?」
「先輩と、一緒に来たかったです」
その言葉が、自然に出た。蒼汰先輩が、少し黙った。それから、小さく言った。
「いつか、行こう」
「え?」
「翔と、俺と、二人で」
心臓が、大きく跳ねる。
「本当、ですか」
「ああ。約束」
約束。その言葉が、嬉しい。
「じゃあ、約束ですよ」
「ああ」
僕は、笑った。
涙が、一粒、頬を伝った。でも、嬉しい涙。
「先輩」
「ん」
「声…、初めて聞きました」
「電話でな?」
「はい」
蒼汰先輩の声。
いつも、近くで聞いている声。
でも、電話で聞くと、違う。
もっと、近い気がする。
耳元で、囁かれているみたいに。
耳が、熱い。
「どう?」
「……好きです」
小さく、そう言った。
蒼汰先輩が、笑った。
電話の向こう側で
大声で笑ってる。
「俺も」
その言葉を聞いて。
胸が、温かい。心の穴が、消えていく。
蒼汰先輩が、ここにいるみたいに。
「もう少し、話してもいいですか」
「いいよ。いくらでも」
先輩の声が、笑ってる。
僕は、床に座った。
窓の外を見ながら。
蒼汰先輩と、話す。
他愛もない話。
今日のこと。
学校のこと。
図書室のこと。
全部。
蒼汰先輩が、笑う。
その声が、心地いい。
時間が、流れる。
でも、気にならない。
蒼汰先輩の声が、もっと聞きたい。
「翔」
「はい」
「そろそろ、部屋戻らないと、じゃないの」
「……はい」
名残惜しい。
まだ、話していたい。
でも…。
「また、明日、電話してもいいですか」
「ああ」
蒼汰先輩が、ケラケラと笑った。
「待ってる」
その言葉が、嬉しい。
はじめてこんなに近くで聞く、先輩の楽しそうな笑い声。
「じゃあ、おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
電話が、切れた。
静寂。
何だろう。
蒼汰先輩の声が、まだ耳に残っている。
温かい声。
優しい声。
僕は、立ち上がった。
部屋に、戻る。
耳が、頭が、熱い。
蒼汰先輩。
遠い場所にいるけれど。
声で、繋がっている。
そのまま、すぐ風呂の用意をして、
シャワーを浴びた。
一人きりになって、
先輩の声の、
余韻に浸っていたかった。
―――
(蒼汰の部屋)
電話が、切れた。
俺は、スマホを見つめていた。
翔の声。
電話で聞く、翔の声。
違った。
いつもと。
もっと、近く感じた。
耳元で、囁かれているみたいに。
俺は、ベッドに横になった。
天井を見る。
翔は、今、京都にいる。
遠い場所。
「先輩と、一緒に来たかった」
翔の言葉が、頭の中で繰り返される。
翔がいない図書室。
翔がいない放課後。
淋しかった。
でも、電話をもらって、
翔の声を聞いて、淋しさが、消えた。
翔が、すぐそばにいるみたいに。
「いつか、行こう」
そう言った。
約束した。
翔と、二人で。
京都に。
どこにでも、行きたい。
翔と、一緒に。
色んな場所を、見たい。
色んな景色を、一緒に。
俺は、スマホを握りしめた。
翔の声が、まだ耳に残っている。
「声、好きです」
その言葉が、胸に響く。
俺も、翔の声が、好きだ。
電話で聞く声も。近くで聞く声も。
全部。
部屋の窓を開けた、風が吹いている。
五月の、夜風。
暖かくいい香りがする。
翔は、今、京都にいるんだ。
遠い場所にいる。
でも、繋がっている。
声で。
心で。
それだけで、十分だった。
また、明日、翔から、電話が来る。
京都から。
それを、待っている。
翔の声を、また聞ける。
それだけで、嬉しい。俺は、目を閉じた。
翔の声が、頭の中で響く。
「先輩」
その声が、優しい。
…あいつ、本当に、可愛いな。
独り言をつぶやく。
翔の声を聞けた夜。
今日も、楽しかった。幸せだった。
おやすみ、翔。
(第二十話 了)
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