第15話 空っぽの教室
放課後。
俺は、図書室に向かった。
廊下を歩く。
足音が、響く。
心臓が、跳ねている。
翔は、いるだろうか。
図書室に。
もう、来ていないかもしれない。
俺が、距離を置くと言ったから。
でも、会いたい。
ちゃんと、話したい。
扉の前で、立ち止まる。
深呼吸。
それから、扉を開けた。
図書室の匂い。
古い紙と、静けさの匂い。
俺は、窓際の席を見た。
いつもの席。
俺と翔の、席。
誰もいない。
空っぽだ。
隣同士の椅子が、並んでいる。
でも、誰も座っていない。
胸が、痛い。
翔は、いない。
もう、ここには来ていないのだろうか。
俺が、遠ざけたから。
「榊原くん」
声がした。
振り向くと、高木先生がいた。
司書の先生。
穏やかな顔で、俺を見ている。
「……こんにちは」
「久しぶりね。最近、来なかったでしょう」
「……はい」
先生は、少し笑った。
「神林くんも、来なくなったわ」
その言葉が、胸に刺さる。
翔も、来ていない。
やっぱり。
「探してるの?」
「え?」
「神林くん」
先生の声が、優しい。
「だって、神林くんに、会いに来たんでしょう」
俺は、何も言えなかった。
先生は、全部わかっている。
俺が、翔を探していることを。
俺が、翔に会いたがっていることを。
「……はい」
正直に、答えた。
先生は、頷いた。
「そう。なら、教室に行ってみたら?」
「教室?」
「神林くんの教室よ。一年生の」
一年生の教室。
そうか。
翔の教室。
でも、俺は行ったことがない。
翔とは、いつも図書室だった。
教室に、
行ったことがない。
「でも」
「でも、何?」
「翔の、教室、わからなくて」
先生は、少し笑った。
「一年三組よ。一階の、奥」
「あ……ありがとうございます」
「いってらっしゃい」
先生が、背中を押してくれる。
俺は、図書室を出た。
廊下を歩く。
一年生の教室へ。
階段を下りる。
一階。
初めて来る場所。
二年生の教室とは、違う空気。
一年生の廊下。
掲示物が、並んでいる。
教室の前を通る。
一年一組。
一年二組。
そして。
一年三組。
翔の教室。
俺は、扉の前で立ち止まった。
中を覗く。
誰もいない。
机と椅子が、並んでいるだけ。
放課後で、みんな帰ったのだろう。
部活に行ったのだろう。
翔も、いない。
空っぽの教室。
俺は、中に入った。
静かだ。
足音だけが、響く。
翔の席は、どれだろう。
机を見て回る。
名前が、書いてある。
探す。
そして、見つけた。
「神林翔」
窓際の席。
一番後ろ。
翔の席。
俺は、その前に立った。
机の上に、何も置いていない。
綺麗に片付けられている。
椅子を引く。
座ってみる。
翔が、毎日座っている椅子。
翔が、見ている景色。
窓から、校庭が見える。
さっき、翔がいた場所。
ベンチ。
翔は、あそこで何を考えていたのだろう。
俺のことを、考えていたのだろうか。
それとも。
もう、俺のことなんて。
胸が、苦しい。
俺は、スマホを取り出した。
翔の連絡先を開く。
最後のメッセージは、冬休みの時。
『また会いましょうね』
翔の言葉。
それから、何も送っていない。
俺は、メッセージを打った。
『今、どこにいる?』
送信。
しばらくして、返信が来た。
『先輩?』
『ああ』
『……図書館です』
図書館。
学校の外の、公共図書館。
そうか。
翔は、学校の図書室には来ていない。
外の図書館に、行っていたのか。
『今から、そっち行ってもいいか』
送信してから、心臓が跳ねる。
返信が、来ない。
数秒が、永遠みたいに長い。
そして。
『いいですよ』
返信が来た。
『先輩、やっぱり、僕から行きます』
『どこにいますか?』
『学校』
翔が、来る。
ここに。
『一年三組の教室にいる』
『え、僕の教室ですか?』
『うん』
『わかりました。すぐ行きます』
俺は、スマホをしまった。
翔が、来る。
もうすぐ。
俺は、翔の席に座ったまま、待った。
窓の外を見る。
空が、オレンジ色に染まっている。
夕暮れ。
春の、夕暮れ。
風が、木の枝を揺らしている。
小さな芽が、震えている。
時間が、ゆっくり流れる。
でも、早く感じる。
翔が、来る。
何を話そう。
何を伝えよう。
考える。
でも、わからない。
ただ、一つだけ。
謝りたい。
ちゃんと。
そして、
本当の気持ちを、伝えたい。
逃げないで。
廊下から、足音が聞こえた。
小さな足音。
近づいてくる。
心臓が、大きく跳ねる。
扉が、開いた。
翔が、そこにいた。
息を切らして。
頬が、少し赤い。
走ってきたのだろう。
「先輩」
翔の声。
久しぶりに聞く、翔の声。
胸が、熱くなる。
「……翔」
俺は、立ち上がった。
翔と、向き合う。
教室の中。
二人だけ。
夕陽が、窓から差し込んでいる。
オレンジ色の光が、翔を照らしている。
翔は、俺を見ている。
その目が、不安そうで。
でも、どこか期待しているみたいで。
俺は、何から話せばいいのか、
わからなくて、ただ、翔を見ていた。
翔も、俺を見ている。
二人の間に、静寂が流れる。
でも、それは苦しくない。
ただ、そこにある。
時間が、止まっているみたいに。
「蒼汰先輩」
翔が、小さく言った。
「なんで、僕の教室に」
「……会いたかった」
その言葉が、自然に出た。
翔の目が、揺れた。
「会いたかった、って」
「うん」
俺は、一歩、翔に近づいた。
「ごめん」
その言葉を、伝えた。
「この前、あんなこと言って」
翔は、何も言わなかった。
ただ、俺を見ている。
「距離を置くとか、嘘だった」
俺は、続ける。
「本当は、怖かっただけだ」
「怖い?」
「ああ。翔と、もっと深く関わることが。翔を、失うことが」
翔の目が、潤んでいる。
「だから、先に距離を置こうとした。でも」
俺は、翔を見た。
「無理だった」
翔が、小さく息を吸った。
「翔のことばかり、考えてた。いつも、翔の姿を、探してた」
翔の涙が、一粒、頬を伝った。
「ごめん。」
「……いいえ」
翔が、首を振った。
「僕も、わかってました」
「わかってた?」
「先輩が、怖がってること」
翔の声が、優しい。
「だから、待とうと思ってました。先輩が、自分で答えを出すまで」
その言葉が、胸に沈む。
翔は、待っていてくれた。
俺が、逃げている間も。
ずっと。
「翔」
「はい」
「俺」
言葉が、出ない。
でも、言わなければ。
ちゃんと。
「俺、翔のことが」
心臓が、跳ねる。
翔が、じっと俺を見ている。
「好きだ」
その言葉が、空気に溶けた。
翔の目が、大きく開いた。
涙が、また一粒、落ちた。
「……先輩」
翔の声が、震えている。
「僕も」
小さく、そう言った。
「僕も、先輩のこと、好きです」
その言葉を聞いて、俺は、翔の、その細い華奢な体を、そっと自分の腕の中へ引き寄せた。
(第十五話 了)
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