第14話 揺れる時間
あれから、何日かが経った。
俺は、図書室に行っていない。
行けない。
翔に、あんなことを言ってしまった。
距離を置く、と。
だから、行けない。
でも、
朝、学校に向かう道。
俺は、翔を探している。
駅から学校までの道。
いつも、翔はどこを通っているのだろう、
何時頃、歩いているのだろう、考えてしまう。
横断歩道で、信号を待つ。
人の流れの中に、翔の姿を探す。
小柄な体。
白いマフラー。
どこにもいない。
信号が、青になる。
俺は、歩き出す。
でも、何度も振り返る。
翔が、いないか。
翔の姿が、見えないか。
いない。
どこにも。
学校の門をくぐる。
昇降口に向かう。
その途中、校庭が見える。
そこに、翔がいた。
ベンチに座っている。一人で。
カバンを膝の上に置いて。
じっと、空を見ている。
俺は、立ち止まった。
息が、止まる。
翔。
あそこに、翔がいる。
会いたい。
今すぐ、駆け寄りたい。
でも、できない。足が、動かない。
俺が、距離を置くと言ったから。
俺が、遠ざけたから。
翔は、ただ座っている。
風が、翔の髪を揺らす。
翔は、動かない。
まるで、時間が止まっているみたいに。
俺は、その姿を見ていた。
ただ、見ていた。
どれくらい、そうしていたのだろう。
誰かが、俺の肩にぶつかった。
「すみません」
その声で、我に返る。
もう一度、校庭を見る。
翔が、立ち上がっていた。
カバンを持って。
校舎に向かって、歩いている。
小さな背中。
遠ざかっていく。
俺は、何もできなかった。
ただ、見送ることしか。
―――
昼休み。
教室で、弁当を食べる。
でも、味がしない。
何を食べているのか、わからない。
窓の外を、見る。
校庭。
さっき、翔がいた場所。
もう、誰もいない。
ただ、ベンチがあるだけ。
翔は、今、どこにいるのだろう。
教室で、弁当を食べているのだろうか。
一人で。
それとも、誰かと。
考えてしまう。
止められない。
「蒼汰」
声がした。
振り向くと、美月がいた。
「ちょっと、いい?」
美月の顔が、真剣だった。
俺は、頷いた。
美月と一緒に、廊下に出る。
階段の踊り場。
誰もいない。
「蒼汰、大丈夫?」
美月が、そう聞いた。
「……何が」
「何がって」
美月は、少し呆れたように言った。
「見てると、こっちが、苦しいよ」
その言葉が、胸に刺さる。
「最近の蒼汰、変だよ。ずっと、何か探してるみたいに。ぼーっとして」
俺は、何も言えなかった。
美月は、ため息をついた。
「神林くんのこと、でしょ」
心臓が、跳ねる。
「……なんで」
「わかるよ。見てればわかる」
美月の声が、優しい。
「蒼汰、神林くんのこと、ずっと目で追ってるもん」
ばれていた。
全部、ばれていた。
「朝も、校庭も、廊下も。ずっと、神林くんを探してる」
美月が、俺を見ている。
「でも、近づかない。話しかけない」
「……ああ」
「どうして?」
俺は、答えられなかった。
どうして、って。
「受験が、あるから」
「嘘でしょ」
美月の声が、少し強くなった。
「それが本当の理由じゃないでしょ」
俺は、視線を逸らした。
窓の外を見る。
空が、青い。…春の、空。
「怖いんでしょ」
美月が、小さく言った。
「また、失うのが」
その言葉が、核心を突く。
「隼人くんの時みたいに」
俺は、息を呑んだ。
隼人。
中学の時の、親友。
関係が壊れた、あの時の。
「でもね、蒼汰」
美月が、続ける。
「神林くんは、隼人くんじゃないよ」
「……わかってる」
「わかってないよ」
美月の声が、優しい。
「わかってたら、こんなことしない」
俺は、何も言えなかった。
「蒼汰、自分から壊してるよ。せっかくできた関係を」
壊してる。
そうだ。
俺が、壊した。
自分から。
「怖いのはわかる。また傷つくの、怖いよね」
美月が、俺の肩に手を置いた。
「でもね、今の蒼汰、もう傷ついてるよ」
その言葉が、胸に沈む。
「神林くんから離れても、結局、苦しんでる」
そうだ。
苦しい。
毎日、苦しい。
翔のことばかり、考えている。
翔の姿を、探している。
でも、近づけない。
話しかけられない。
自分で、遠ざけたから。
「だったら」
美月が、小さく言った。
「一緒にいたほうが、いいんじゃない?」
翔と、一緒に…。
「傷つくかもしれない。壊れるかもしれない。でも」
美月の声が、温かい。
「今のほうが、よっぽど苦しそうだよ」
俺は、顔を伏せた。
美月の言う通りだ。
今、俺は苦しい。
翔がいない時間が。
翔と話せない日々が。
苦しい。
耐えられない。
「蒼汰、素直になりなよ」
美月が、背中を軽く叩いた。
「神林くんのこと、好きなんでしょ」
好き。
その言葉が、空気を震わせる。
「……わからない」
「わかってるくせに」
美月は、少し笑った。
「もう、顔に書いてあるよ」
俺は、何も返せなかった。
好き。
翔のことが、好き。
それを認めるのが、怖かった。
認めたら、もう戻れない。
認めたら、失った時の痛みが大きい。
だから、認めたくなかった。
でも。
もう、遅い。
俺は、とっくに認めていた。
心の奥で。
翔のことが、好きだと。
「美月」
「ん」
「俺、どうすればいい」
その言葉が、自然に出た。
美月は、優しく笑った。
「簡単だよ」
「簡単?」
「うん。神林くんに、会いに行けばいい」
会いに行く。
翔に。
「謝って。ちゃんと、話して」
美月の声が、背中を押す。
「逃げないで」
逃げない。
そうだ。
俺は、逃げていた。
翔から。
自分の気持ちから。
全部から。
でも、もう逃げたくない。
翔に、会いたい。
翔と、話したい。
ちゃんと。
「……ありがとう」
俺は、そう言った。
美月は、笑った。
「頑張ってね」
それだけ言って、美月は教室に戻っていった。
俺は、その場に残された。
階段の踊り場。
窓から、光が差し込んでいる。
温かい光。
春の光。
俺は、窓の外を見た。
校庭が、見える。
さっき、翔がいた場所。
もう一度、会おう。
翔に。
ちゃんと、話そう。
逃げないで。
俺は、そう決めた。
放課後、図書室に、行こう。
翔が、いるかどうか、わからない。
でも、行こう。
もう、逃げない。
胸の奥が、温かい。
怖い。
でも、それでいい。怖くても、前に進む。
翔のところに。
春が、来ている。
新しい季節が。
でも、終わりじゃない。
始まりだ。
俺と翔の、始まり。
そう信じて、
俺は、教室に戻った。
(第十四話 了)
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