第9話 変わらない席


冬休みが、終わり、

1年生最後となる三学期が、始まる。


僕は、

図書室に向かっていた。


廊下を歩きながら、胸が高鳴る。

久しぶりの、この場所。

久しぶりの、あの席。


扉を開ける。

図書室の匂い。

古い紙と、静けさの匂い。

変わらない。

何も、変わっていない。


僕は、窓際の席に座った。

いつもの場所。

向かいの席は、空いている。

蒼汰先輩の席。

まだ、来ていない。

時計を見る。

午後四時十分。

いつもなら、もう来ている時間。

でも、いない。

僕は、窓の外を見た。

空が、灰色だ。

雪は降っていない。

でも、寒そうな空。


冬休みの間、

僕は何度も蒼汰先輩のことを考えた。


カフェで会った日。

はじめての待ち合わせ。

緊張で震えた。

はじめて、フワフワのミルクの

カフェオレを飲んだ。

先輩と、同じものを飲んだ。

ふわっとした口当たり。

はじめて見た、

先輩がスプーンでカップをかき混ぜる仕草。

何もかもはじめてだった。

あの日から、

何かが変わったような気がする。

でも、何が変わったのか。

わからない。

ただ、先輩のことを考えると、胸が温かくなる。

先輩の声を思い出すと、安心する。

先輩の笑顔を思い出すと、嬉しくなる。

それだけ。

でも、それが何を意味するのか。

僕には、わからない。

時計を見る。

午後四時十五分。

まだ、来ない。

不安になる。

もしかして、先輩は来ないのだろうか。

冬休みの間に、何か変わってしまったのだろうか。

もう、ここには来ないのだろうか。


そんな不安が、胸を締め付ける。

前の学校のことを、思い出す。

誰も、僕のことを見てくれなかった。

誰も、僕のことを覚えていなかった。

透明人間みたいに。

そこにいるのに、いないみたいに。


でも、蒼汰先輩は違った。

先輩は、僕を見てくれた。

僕がここにいることを、認めてくれた。


だから、毎日来た。

この図書室に。

先輩に会うために。

でも、もし。

もし、先輩が来なくなったら。


僕は、また一人になる。

また、透明人間に戻る。

それが、怖い。

窓の外で、誰かが笑っている。

部活動の声。

僕だけ、世界から取り残されているみたいだ。

時計を見る。

午後四時二十分。

まだ、来ない。

僕は、自分のカバンからノートを取り出した。

何か書こうとする。

でも、手が動かない。

ただ、向かいの席を見ている。

空いている席。

先輩の席。

来てほしい。

お願いだから、来てほしい。

僕は、そう願った。


冬休みの間、メッセージをやり取りした。


カフェにも、また行った。

2回目は緊張しなかった。

ただ、嬉しかった。

先輩との、何でもない会話が楽しかった。

先輩とのカフェでの時間は、幸せだった。


でも、それは冬休みだったから。


学校が始まったら、また変わるのかもしれない。

また、図書室での時間が戻るのか。

それとも、もう終わってしまったのか。

わからない。

僕は、ペンを握りしめた。

不安が、胸の奥で膨らんでいく。

もし、先輩が来なかったら。

もし、ここが僕の居場所じゃなくなったら。

僕は、どこに行けばいいのだろう。

図書室の時計が、秒針を刻んでいる。

室内で、小さな誰かの話し声が聞こえる。

でも、先輩の足音は聞こえない。


窓の外で、風が吹いて、

木の枝が、揺れる。

冬が、まだ続いている。


僕は、窓の外をじっと見た。

空が、少しずつ暗くなっていく。

夕暮れが、近づいている。

もう、諦めようか。

今日は、先輩は来ないのかもしれない。


静かに扉が、開いた。

僕は、振り向く。

心臓が、跳ねる。


蒼汰先輩が、そこにいた。


少し、困ったような顔をして。


「翔」


先輩が、僕の名前を呼んだ。


胸が、熱くなる。

涙が、出そうになる。

なんで。

でも、堪える。


「先輩」


僕は、そう答えた。

声が、震えていたかもしれない。


先輩が、向かいの席に座った。

いつもの場所。

変わらない席。


「遅くなった」


「……いいえ」


僕は、首を振った。

「来てくれて、嬉しいです」

先輩が、少し笑った。

「当たり前だろ」

当たり前。

その言葉が、胸に響く。

先輩にとって、ここに来ることは当たり前。

僕に会うことは、当たり前。


「先輩」


「ん」


「冬休み、ありがとうございました」


「別に」


「楽しかったです」


「……俺も」


先輩の声が、優しい。


僕は、やっと笑えた。

不安が、消えていくのを感じた。

先輩は、ここにいる。

僕の向かいに、座っている。


窓の外で、夕陽が差し込んでいる。

オレンジ色の光が、机の上に落ちる。

先輩の手に、光が当たる。

その手を、見つめる。


静かで、

穏やかで、

先輩と、二人だけの時間。

何も、変わっていない。

それが、嬉しい。


「翔」


「はい」


「三学期も、よろしくな」


先輩が、そう言った。


よろしく。

その言葉が、心地よく、

ふわっとした口当たりの、あの日の、

カフェオレの味を思い出させた。


「はい」

僕は、頷いた。

「よろしくお願いします」


先輩が、笑った。

その笑顔を見て、僕も笑った。

図書室の時計の、静かな音。


世界が優しい。


冬休みが終わって。

三学期が始まって。

でも、ここは変わらない。

この席は、変わらない。

先輩と僕の、場所。


ずっと、ここにいたい。

ずっと、このままでいたい。

そう、思った。


ただ、先輩といると、優しい気持ちになれる。


窓の外で、夕陽が沈んでいく。

空が、オレンジから紫に変わっていく。


三学期が、始まった。

新しい季節が、始まった。

でも、ここは変わらない。

先輩と僕の、図書室。

変わらない席。


ずっと、ここにいられますように。

そう、願った。



(第九話 了)

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