第11話 重さのないデータ

 デジタル時代の落とし物は、見た目と中身の重さが釣り合わない。

 数グラムのプラスチック片の中に、人生を破滅させるほどの爆弾が詰まっていることがある。


「鏡くん、これ。パソコンルームに刺さったままだったって」


 塔子がカウンターに置いたのは、親指ほどの大きさのUSBメモリだった。

 キャップはなく、銀色の端子が剥き出しになっている。

 側面には『128GB』の文字。大容量だ。


「名前、書いてないね。……中身、確認してみる?」

 塔子が上目遣いで聞いてくる。

 本来、遺失物のデータを確認するのは最終手段だ。プライバシーの侵害になりかねない。

 だが、名前がなければ持ち主の特定は不可能だ。


「……仕方ない。ファイル名だけ確認して、すぐに閉じるぞ」


 僕はセンターの管理用PCを立ち上げ、USBをポートに差し込んだ。

 『デバイスを認識しました』。

 画面にフォルダウィンドウが開く。


「うわ、フォルダがいっぱい! 几帳面な人だね」


 塔子の言う通り、フォルダは日付ごとに綺麗に整理されていた。

 『2024.04.01』『2024.04.02』……。

 毎日だ。一日も欠かさず記録されている。


「日記かな? それとも研究データ?」

 塔子がマウスに手を伸ばし、一番新しい日付のフォルダをクリックした。


 カチッ。


 展開されたのは、テキストファイルではなく――大量の画像データだった。

 サムネイルが表示される。


「……え?」

 塔子の動きが止まる。


 そこに並んでいたのは、一人の女子学生の写真だった。

 講義中にノートを取る横顔。

 学食でパスタを巻いている口元。

 図書館の本棚の間で、背伸びをして本を取ろうとする後ろ姿。


 全て、盗撮だ。

 それも、かなり近い距離から撮影されている。


「な、なにこれ……。気持ち悪っ……!」

 塔子が口元を押さえて後ずさる。

「これ、ストーカーだよね? 完全に犯罪じゃん!」


「……ふむ。アングルが低いな」

 僕は冷静に画像を解析する。

 どの写真も、少し下から見上げるような角度で撮られている。

 カバンの中にカメラを仕込んでいるのか、あるいはスマホを弄るふりをして撮影しているのか。


 マウスをスクロールする。

 写真は数百枚に及ぶ。

 その日の彼女の行動が、分刻みで記録されていた。

 そして、フォルダの最後にある一枚。


 それは、夜のマンションの窓を、望遠レンズで捉えたものだった。

 カーテンの隙間から、部屋着姿の彼女が見える。


 『Target_Home_Confirmed(自宅特定)』。

 ファイル名にはそう記されていた。


「鏡くん、これ警察! 絶対警察! この女の子、危ないよ!」

 塔子が叫ぶ。正義感の強い彼女らしい反応だ。


 だが、僕は画面の右隅にある「あるアイコン」に気づいていた。

 隠し属性のフォルダだ。

 名前は『Done(済み)』。


 僕は塔子に気づかれないよう、素早くそのフォルダを開いた。

 中に入っていたのは、画像ではない。テキストファイルが一つだけ。

 タイトルは『反省文』。


 クリックして開く。

 『ごめんなさい。もうしません。許してください。誰にも言いません。お金は払います』

 

 ……なるほど。

 そういうことか。


 僕は瞬時に状況を理解し、ウィンドウを閉じた。

 そして、USBをPCから引き抜いた。


「鏡くん!? まだデータが……!」

「塔子。これはストーカーの記録じゃない」

「えっ? でも、盗撮写真が……」


「あれは『浮気調査』だ」

 僕はもっともらしい嘘を並べた。

「探偵事務所のデータだろう。依頼を受けて、対象の素行調査をしていたんだ。日付ごとの詳細な記録、自宅の特定。プロの仕事だ」


「た、探偵……? そう言われると、確かにドラマっぽいけど……」

 塔子は半信半疑だ。


「学生が探偵ごっこをしているのかもしれんが、どちらにせよ、これは『依頼主』に届けるべき成果物だ。僕たちが騒ぎ立てれば、調査対象のプライバシーまで晒すことになる」


 その時、センターのドアがノックされた。

 入ってきたのは、顔色の悪い男子学生だ。

 目が泳いでいる。脂汗をかいている。


「あ、あの……USB、届いてませんか……? 銀色の……」


 僕は手の中のUSBを見せた。

「これか?」


「あ! そうです! それです!」

 学生が手を伸ばす。

 僕はそれをスッと引いて躱した。


「中身を確認させてもらった」

 僕がそう言うと、学生の顔が真っ青になり、膝が笑い出した。

「み、見たんですか……? 全部……?」


「ああ。熱心な『記録』だったな」

 僕は試すように言った。


 学生はガタガタと震えだし、今にも土下座しそうな勢いだ。

「ち、違うんです! あれは、その……魔が差したというか……!」


「……塔子。席を外してくれ」

「えっ? でも……」

「確認手続きだ。プライベートな話になる」


 塔子が不満げに奥へ引っ込んだのを確認し、僕は学生にUSBを放ってやった。

 学生は慌ててそれをキャッチする。


「『Done(済み)』フォルダのテキストも読んだよ」

 僕が囁くと、学生は絶句した。


 あのテキスト。『ごめんなさい』。

 あれを書いたのは、この学生ではない。

 盗撮されていた『被害者』だ。


 この学生は、盗撮した写真をネタに、彼女を脅していたのだ。

 『バラされたくなければ言うことを聞け』と。

 あのテキストは、脅迫に屈した彼女からの、悲痛な返信だ。


 だが、僕はそれを咎めない。

 

「大事な『商売道具』だ。次は落とすなよ」

 僕が冷たく言い放つと、学生は引きつった笑みを浮かべた。

「あ、ありがとうござい……す……!」


 彼はUSBを握りしめ、逃げるようにセンターを出ていった。


 僕は椅子に座り直し、ブラックコーヒーを飲んだ。

 警察に突き出すべきだったか?

 いや。USBが戻ったことで、彼はまた彼女を脅すだろう。

 だが、もしUSBを没収していたら?

 彼はパニックになり、バックアップデータをネットにばら撒いたかもしれない。

 

 現状維持(ステイ)。

 それが、管理者としての判断だ。


「鏡くん、あの子、探偵さんだったの?」

 戻ってきた塔子が聞く。


「さあな。だが、誰かの秘密を握っている顔はしていたよ」


 僕は日報に『USBメモリ:返却済み』とだけ記した。

 データに重さはない。

 だが、それが人の心を押し潰す重圧は、計り知れない。


 カウンターの隅の甘いコーヒーが、部屋の澱んだ空気の中で、静かに揺れていた。

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