第9話 真面目な学生のボイスレコーダー
遺失物管理センターには、時折「声」が届く。
ICレコーダー。講義の録音や、語学学習、あるいはバンドの練習。
学生の本分が詰まったそれは、持ち主にとっては恥ずかしいプライベートの塊だ。
「これ、スイッチ入ったままだよ」
塔子がカウンターに置いたのは、黒いスティック型のICレコーダーだった。
録音中の赤ランプは消えているが、液晶画面には『停止』の文字と、録音時間が表示されている。
『04:15:32』。
四時間以上、回しっぱなしだったようだ。
「拾ったのは大講義室だって。きっと、真面目な学生さんが講義を録音してて、そのまま忘れちゃったんだね」
塔子が推測する。
「中身聞いてみようよ! 学籍番号とか名前言ってるかも!」
「……他人のデータを覗くのは趣味じゃないが、持ち主特定の手段としては有効か」
僕は渋々(というポーズで)再生ボタンを押した。
スピーカーから、ざらついたノイズが流れる。
『……えー、したがって、この数式におけるXの変遷は……』
おじいちゃん教授の、眠気を誘うような声。
背景には、カリカリというペンを走らせる音や、誰かの咳払いが聞こえる。
「あ、これ『経済学概論』の鈴木教授だ! 私、一年の時に取ってた!」
塔子が懐かしそうに言う。
「やっぱり講義の録音だね。偉いなぁ」
僕は早送りボタンを押した。
教授の声がキュルキュルと高くなり、時間が飛ぶ。
一時間後。チャイムの音。
『では、今日はここまで』という声と共に、ガヤガヤと学生たちが退出する音が響く。
「あ、終わった。……でも、まだ録音続いてるね」
持ち主はレコーダーを切るのを忘れたらしい。
音声は、ガサゴソという衣擦れの音に変わった。おそらくカバンの中に放り込まれたのだ。
足音。ドアの開閉音。風の音。
持ち主は移動している。
そして、三十分ほど無音が続いた後。
再び、ドアが開く音がした。
静かな空間。
カバンからレコーダーが取り出されたのか、音がクリアになる。
『……先生。お話があります』
若い男の声だ。緊張しているのか、声が上ずっている。
「おっ? 質問タイムかな?」
塔子が耳をそばだてる。
『なんだね? 今は忙しいのだが』
さっきの教授の声だ。だが、講義の時とは違い、冷たく、威圧的だ。
『単位のことです。……俺、テストも出席も完璧でしたよね? なんで「不可」なんですか』
『君の評価は公正に行った結果だ。文句があるなら事務室へ行きたまえ』
『嘘だ! 先生、あの女子学生には……優をあげてましたよね? 何もしてないのに!』
「うわぁ、修羅場だ……」
塔子が口元を押さえる。
「これ、アカハラ(アカデミック・ハラスメント)の証拠音声になっちゃうんじゃない?」
音声はヒートアップしていく。
『適当なことを言うな! 名誉毀損だぞ!』
『あんたがやってること、全部知ってるんだ! バラされたくなかったら……!』
ドンッ!
何かがぶつかる鈍い音。
『うわっ!』
ガシャン! パリン!
ガラスが割れる音。何かが倒れる音。
そして――プツリ。
そこで録音は唐突に途切れていた。
シーンとしたセンターに、沈黙が落ちる。
「……えっ? 今の、何?」
塔子が青ざめた顔で僕を見る。
「最後にすごい音がしたけど……。もしかして、揉み合いになって……?」
「……」
僕はレコーダーを手に取り、液晶画面を見つめた。
電池切れではない。停止ボタンが押されたのだ。
誰によって?
持ち主か? それとも、揉み合った相手(教授)か?
もし教授だとしたら、なぜデータを消さずに、レコーダーだけが大講義室(拾得場所)に落ちていたのか?
……いや、違うな。
拾得場所は大講義室。
しかし、録音されていたのは「講義の後、移動した先(おそらく教授の研究室)」での出来事だ。
時系列が合わない。
つまり、このレコーダーは「研究室で録音された後、誰かの手によって大講義室まで運ばれ、わざと落とされた」ということになる。
「ねえ鏡くん、これ警察に……」
「塔子。これは『演劇部』の練習だ」
僕はきっぱりと言い切った。
「えっ? 演劇?」
「ああ。よく聞いただろ? セリフが芝居がかっていただろう。『バラされたくなかったら!』なんて、現実の学生は言わない。三流ドラマの見過ぎだ」
「そ、そうかな……? 言われてみれば、ちょっと大袈裟だったかも……」
「それに、最後。録音が切れたタイミングが絶妙すぎる。効果音のテストだろう。ガラスが割れる音も、どこか作り物めいていた」
僕は素早い手つきでレコーダーを操作した。
『全データを消去しますか?』
『YES』。
「プライベートな演技練習を聞かれるのは恥ずかしいだろう。消しておくのが武士の情けだ」
「あ、消しちゃった! ……まあ、鏡くんがそう言うなら、練習だったのかなぁ」
塔子は納得したようだが、まだ少し不安そうだ。
「でも、もし本当に事件だったら……」
「もし事件なら、今頃キャンパスは大騒ぎだ。教授が殴られたり、学生が怪我をしたりしていればな」
僕は空っぽになったレコーダーを棚に戻した。
確かに、今はまだ騒ぎになっていない。
だが、このレコーダーを「わざと」大講義室に置いた人物の意図は明白だ。
誰かに拾わせ、この音声を聞かせ、告発したかったのだ。
自分の手は汚さずに。
残念だったな、名もなき告発者よ。
拾ったのが、僕で。
「……世の中、聞かなかったことにした方がいい音もある」
僕は自分の激甘コーヒーを指先で弾いた。
このレコーダーが再び録音される時、そこに吹き込まれるのは謝罪の言葉か、それとも悲鳴か。
どちらにせよ、僕の管轄外だ。
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