第6話 断ち切られた円環
遺失物には「重さ」がある。
物理的な質量のことではない。その物に込められた念の重さだ。
教科書や傘は軽い。だが、財布や手帳は少し重い。
そして今日、カウンターに置かれたその小さな金属片は、鉛のように重かった。
「見て見て鏡くん! 指輪だよ! しかもプラチナ!」
塔子が興奮気味に、小さなチャック付きのビニール袋を掲げた。
中に入っているのは、銀色に輝くシンプルなリングだ。
「拾得場所は女子トイレの手洗い場だって。手を洗う時に外して、そのまま忘れちゃったのかな? あるあるだよね~」
僕はその指輪を袋から取り出し、掌に乗せた。
ひんやりとした感触。
だが、違和感がある。
「……塔子。これは『円』じゃない」
僕は指輪を摘んで見せた。
リングの一箇所が、プッツリと切断されていたのだ。
繋がっていない。ただの金属の「C」の字になっている。
「あ、ほんとだ。切れちゃってる」
塔子はまじまじと覗き込む。
「なんでだろ? あ! わかった! 『サイズ直し』だよ!」
「サイズ直し?」
「そう! 指が太くなっちゃって入らなくなったから、お店で切ってもらったの。で、直してもらうために持ち歩いてたら落としちゃったんだよ。……ちょっと悲しいエピソードだね」
塔子は「ダイエットしなきゃ」と自分のお腹をさすっている。
僕は眼鏡の奥で目を細めた。
サイズ直し?
違う。
切断面を光にかざす。
鋭利だ。そして、少し歪んでいる。
専用の器具で丁寧に切ったものではない。ニッパーか、あるいはもっと粗雑な工具で、力任せに「断ち切った」跡だ。
そして何より、指輪の「内側」だ。
刻印が彫られている部分に、無数の細かい傷がついている。
まるで、指輪と指の隙間に、無理やり何かをねじ込んでこじ開けようとしたような――。
「……鬱血(うっけつ)だな」
僕は小さく呟いた。
「えっ? うっけつ?」
「いや。サイズが合わなくて抜けなくなった、という説は正しいかもしれないと言ったんだ」
だが、店で切ったのではない。
指がパンパンに腫れ上がり、指輪が肉に食い込んで、血流が止まる。
指輪を外さなければ、指が壊死してしまう状況。
あるいは――「死後硬直」や「腐敗」によって指が膨張し、指輪が外せなくなった状況か。
誰かが、この指輪を回収しようとした。
だが抜けない。
だから、切った。
指を? いや、今回は慈悲深くも「指輪の方」を切ったようだ。
リングの内側には、赤黒い汚れがこびりついていた。
塔子には「サビ」に見えているだろうが、プラチナは錆びない。
「ねえ、これ、内側に文字が掘ってあるよ」
塔子が気づく。
「『R to M 2024...』。イニシャルだね。やっぱりカップルのだ!」
「……そうだな。愛の証だ」
僕は指輪を弄ぶ。
RからMへ。
この指輪の持ち主はMだろう。
では、この指輪を「切断してまで」持ち去ろうとしたのは誰だ?
指輪泥棒か?
それとも、Mの指が腫れ上がるまで「待っていた」Rか?
拾われた場所は女子トイレ。
犯人が、血についた指輪を洗おうとして、うっかり流し忘れたのか。
それとも、切断した拍子に弾け飛んで、排水口の隙間に入り込んでいたのが、掃除の時に出てきたのか。
「きっと彼氏さんが直してくれるよ! 絆は切れてないもん!」
塔子はポジティブに締めくくった。
「そうだな。物理的に切れても、想いは残る」
僕は指輪を「貴重品ボックス(金庫)」へと入れた。
重厚な扉を閉め、ダイヤルを回す。
もし、持ち主の「M」が現れたら返そう。
ただし、その指に「指輪を切断した時の傷跡」があるか、確認させてもらうがな。
もし傷がなければ――取りに来たのは「M」ではなく、指輪を奪った「何か」だということになる。
「……まあ、来ないだろうな」
僕は金庫の冷たい金属音を聞きながら、温くなったブラックコーヒーを飲み干した。
指輪は円環(ループ)の象徴だ。
それが断ち切られた時、物語は唐突に終わりを迎える。
まるで、僕たちの日常のように。
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