第5話 鳴り止まないスマホ
その遺失物は、けたたましい産声を上げてセンターに運び込まれてきた。
ブブブブブブブブッ!
ブブブブブブブブッ!
机の上で暴れるように振動しているのは、一台のスマートフォンだ。
画面は蜘蛛の巣状にバキバキに割れ、保護フィルム一枚で辛うじて形を保っているような有様だ。
「うわぁ……すごい通知の量……」
塔子がスマホを覗き込み、眉を寄せる。
「さっきからずっと鳴り止まないね。5分おきくらい?」
「正確には3分間隔だ。執念を感じるな」
僕は冷静に時間を計測しながら、ブラックコーヒーを喉に流し込んだ。
ロック画面には、通知のポップアップが滝のように流れている。
差出人は全て同じ。『K』という登録名だ。
『どこにいるの?』
『返信して』
『電話出て』
『わかってるんだよ』
『ごめんね』
『逃げないで』
「うへぇ……。これ、彼女さんかな? それとも元カノ?」
塔子が身震いする。
「愛が重いねぇ。落とし主さん、スマホを落としたことに気づいてなくて、相手は無視されたと思ってパニックになってるのかな?」
「あるいは、スマホを捨ててでも逃げ出したかったか、だな」
僕はスマホを裏返した。
シリコン製のケースには、泥と、アスファルトで擦れたような深い傷跡がついている。
走りながら落としたのか。それとも、もみ合いになって地面に叩きつけられたのか。
ブブブブブッ!
また振動。
画面が明るくなり、新しいメッセージが表示される。
『たすけて』
一瞬、空気が凍りついた気がした。
塔子もその文字を見たはずだ。
「えっ……。『たすけて』って……どういうこと?」
塔子の顔から血の気が引く。
「これ、ただの痴話喧嘩じゃないんじゃ……。警察に届けたほうが良くない?」
僕は通知を見つめたまま、数秒沈黙した。
『たすけて』。
誰が、誰に?
『K』が持ち主に助けを求めているのか?
それとも、持ち主の危機を察知した『K』が、代弁するように叫んでいるのか?
あるいは――このスマホを拾った「誰か(僕たち)」に向けての、持ち主からのダイイングメッセージか?
「……鏡くん?」
塔子が不安そうに僕を呼ぶ。
僕はゆっくりとスマホを手に取った。
サイドボタンを長押しする。
「あ、ちょっと! 何するの?」
「うるさいからな」
画面に『電源を切る』というスライドバーが表示される。
僕は躊躇なく、親指でそれを右にスライドさせた。
シュン……。
画面の光が消え、振動が止まった。
部屋に静寂が戻る。
「……充電が、切れたようだ」
僕は淡々と告げた。
「え? 切れたの? 今、鏡くんが切ったんじゃなくて?」
塔子が目を丸くする。
「バッテリー残量は赤色だった。時間の問題だったさ。……これで静かに仕事ができる」
僕は黒い画面になったスマホを、帯電防止の袋に入れた。
僕は嘘をついていない。
物理的に電源という命脈を「切った」のだ。
このスマホはもう叫ばない。助けを求めることも、居場所を知らせることもない。
「でも、警察には……」
塔子はまだ食い下がる。
「塔子。警察は『事件性がない』ものには動かない。ただの『画面が割れたスマホ』と『情緒不安定なメッセージ』だけで捜査が始まると思うか?」
僕は諭すように言った。
「それに、もし本当に緊急事態なら、持ち主は公衆電話なり友人のスマホなりを使って警察に連絡しているはずだ。ここにスマホがあるということは、持ち主はもう『これを使える状況にはない』ということだ」
「それは……そうかもだけど……」
「持ち主が現れたら返せばいい。現れなければ、保管期限が過ぎたら初期化して業者が回収する。……それだけの話だ」
僕はタグに記入を済ませ、スマホを棚の奥、一番暗い場所へと押し込んだ。
『たすけて』。
その言葉は、電波の彼方に消えた。
このスマホが再び起動する時、その通知を送った人間がどこにいるのか。
それは僕の知ったことではない。
僕はカウンターの隅に置いた激甘カフェオレを指先でコツンと叩いた。
「……静かなのが一番だ」
世界は平和でなければならない。
ノイズは、管理者が消去(ミュート)するに限る。
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