第九話

「転、校……?」


 朝の会、担任の先生の口から淡々と告げられた内容を、ただ呆然と反芻する──星野 一彦は、家庭の事情で転校した。その連絡事項をすぐに呑み込めた生徒は、クラスには一人もいなかった。


 それからは、一日どう過ごしたのかあまり覚えていない──美来や何人かの友だちが気遣うような言葉をかけてくれたような気がしたが、正直なにも記憶に残っていなかった。


 心にぽっかりと大きな穴が空いたような、言葉にできない喪失感に、なにも考えることも、感じることもできなかった。


「……天河。今から、ちょっと良いか?」


「あ、先生……どうされました?」


 気づけば、放課後──誰もいなくなった教室で、もぬけの殻となった隣の席をぼうっと見つめていた私に、不意に先生が声をかけてくる。

 何事かと振り返ると、先生はしきりに廊下の様子を確認し「……よし、私たち以外に誰もいないな」と、ひとり頷いた。


「天河……実はな、星野からお前宛に手紙を預かっている。誰もいない場所で渡して欲しいと、頼まれたんだ」


「えっ……一彦くんから……?」


 そう言いながら手渡されたのは、一通の便箋。そこには確かに彼の文字で「天河さんへ」と綴られていた。


 心臓が煩く高鳴る。私は震える指先で便箋を開け、その中に折り畳まれて入っていた手紙を開く。


 ──その手紙には、私の知りたかった全てが書いてあった。


 曰く、彼は自分は日本人の父とアメリカ人の母の間に産まれたハーフであり、元々は三人で日本に住んでいたそうだ。しかし、転勤の多い父の仕事に嫌気が差したらしく、母は丁度一年ほど前に離婚しアメリカへと帰国したらしい。


 一旦は経済力のある父の方に着いていくことになった彼だが、アメリカの母も親権を主張し、彼を迎え入れる準備を進めていたという。そして、先週──母の方の準備が全て整い、彼はアメリカへと渡らざるを得なくなった。


「そっか、だから……」


 手紙を読みながら、無意識のうちに呟く──ようやく理解した。彼が見せていた、思い詰めるようにどこか遠くを見つめていた、憂いを帯びた青い瞳の真実。


 父親は転勤の連続で住む場所を転々とし、母親の主張が通れば強制的に海外に移住することになる──両親の事情に翻弄され、近い未来の行先すら不透明だったからこそ、先の見えない現実を憂いていたのだ。

 どんなに学校が楽しくても、ふとした拍子にそのことを思い出し、どこに向かうか分からない自分の未来を見つめていたのだ。


「……星野はな、本当はお前にだけは直接伝えたかったと話していた。でも、どうしても勇気が出なかったそうだ。無理もないよな……ショックを受けると分かりきっている相手に、こんなこと言える訳ないよなぁ」


 眉間を押さえ、先生は辛そうに表情を歪める。おそらく直接伝える最後のチャンスが、あの展望台だったのだろう──しかし、できなかった。だから手紙を書いて、信頼できる大人である先生に託したのだろう。

 そんな彼を、とてもじゃないが責める気にはなれなかった。自分も、あの瞳についてずっと怖くて聞けなかったのだから──。


 突然の転校わかれの真実を綴り終えた手紙の末尾には、それまでとは筆跡の雰囲気が異なる、心なしか力強い文字で私に向けたメッセージが添えられていた。


 ──最後に名前を呼んでくれなんて、無理言ってごめん。でも天河さんにだけは、俺のことを「星野」じゃなくて「一彦」って、名前で覚えていて欲しかったから。


 ──文化祭の準備中、進路の相談をしてくれたね。俺はこんな事情があったから踏み入った手助けはできなかったけど、とにかく絶対に諦めないでほしい。

 天河さんが頑張りやなの、俺はよく知っている。難しいって言ってた第一志望の高校、きっと合格できるから!


 ──そして、いつか。もう一度二人で一緒に星を見よう。

 あの日見た星空はどこまでも繋がっている。それを忘れない限り、きっとまた出会えると思う。俺はその未来のために頑張る。どんなことがあっても、絶対に負けないから。



 だから、天河さんも──頑張れ!!



「っう……ぐすっ……一彦くん……一彦くん……っ!」


 気づけば、私は大粒の涙を流していた。

 コンタクトを嵌めた両目からとめどなく溢れる水滴が、メッセージの上にいくつもの染みを作る。


 目の前に先生がいることも忘れ、私は縋るように手紙に顔を埋める。

 胸に仕舞った彼の温もりを思い出すように、彼と見上げた星空に願いを込めるように──遠く離れていても、今も心は通じ合っていると信じて、言葉を絞り出す。



 ──私、頑張るよ。絶対に諦めない。第一志望の高校も、また君と星を見る未来も……だから、だから──。



「──っ一彦くんも、絶対に……絶対に負けないでね……!!」


 

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