魔宴

馬村 ありん

魔宴

 剥き出しの真っ白なその背中に、洋司が尻を乗せ体重をかけると、久美子はうっとうめき声をあげた。整ったシャープな顔立ちの、その眉間に皺が寄ったのを見て取ったとき、洋司は胸が弾むのを感じた。

 洋司は、ゲストたちにシャンパンを給仕していた男を呼び止めグラスをひとつとると、懐からマルボロを一本とり出し、火をつけた。フーッと紫煙を吐き出した。

「素敵なイスね」

 長い髪をかきあげて、緑川笑子が言った。

「いいだろ?」

「ええ。とっても。どこで見つけたの?」

「ドラマの撮影現場かな。ホラ、僕がスポンサーになってる番組があるだろ。そこに見学に来ていた子だよ。女優の卵なんだ」

 タバコの煙が洋司の周りを漂っていた。あちこちからにぎやかな笑い声。シャンパングラスの重なり合う音。ジャズバンドがスイングを奏でる。

「そういう君のイスも素敵じゃないか」

 緑川笑子の腰掛けているものを洋司は指さした。生まれたままの姿で四つん這いになっている男、それが彼女のイスだ。

「気に入ってるのよ。アラブだかイランだか忘れたけど、その辺りの出身者らしいわ。我慢強くて頼もしい。それより、あなた、大丈夫なの?」

「なにが」

 洋司はその大きな両目をぱちくりさせた。 

「あなたのその椅子よ。明らかに未成年じゃない。犯罪になるわよ」

「これまで僕たちがこのペンションの部屋でやってきたことが問題になったことがあるかい? ほら、逮捕権限を持つ組織の高官があそこにいるぞ。彼の座っているイスは? うーん、未成年の男子じゃないかな?」

「あなたのいう通りね。問題になったことがない」

「だろ。逮捕がなきゃ犯罪もない。そして金と権力を持つものは何をしても逮捕されない。ちなみにこの久美子は成人済みだよ。昨日の夜のうちにね。ご家族とパーティしたとか。温かなエピソードだ」

 その時泣き声が聞こえてきた。さざなみのようなかすかな音。久美子だった。

「おうちに帰して下さい。お金も要りません。もう、こんなことするのは嫌です」

「嫌だっていうのか? 百万で最初断られてそれから二百万、三百万と積み上げて、最後に君は一千万円で了承した。それでも、すべて投げ打つというのかい?」

「こんなことをして、人間性を捨ててまで、ほしいお金ではありません。私から退いて下さい」

 そういう久美子の様子は、命令というより哀願しているかのようだった。

「いくらだい、久美子」

「えっ」

「倍の二千万払うって言ったら? 君は続けてくれるかい、イスを?」

 久美子は押し黙った。洋司は懐から札束を取り出し、久美子のほっぺたをぶった。ぺちぺちと。

「これはサービス料だよ」

 洋司は言った。


「おい見てみろよ、下でパレードをやってるぞ。新年祝いの何かかな?」

 男が叫んだ。シンという中国人だった。赤ら顔で、ふらふらとガラス壁の向こうを指差した。

「僕たちも行こうか」

 洋司が言うと、緑川笑子が立ち上がった。イス男とイス女がそれに続いた。

 それはパレードではなかった。デモの行列だった。食べるものをくれ。重罪をやめてくれ。。人々は訴えていた。明らかにこの建物に向けて、活動を行っている。それを見て、洋司も笑子もシンも笑った。スマートフォンではるか下界にいるデモ参加者を撮影した。

「こんな真夜中にご苦労なことだな。それにしてもあと小一時間で新年か。それまでイス取りゲームでもしていようか?」

 年は暮れていく。やがて、新年のカウントダウンが始まった。

 パーティの参加者は、シャンパングラスをぶつけ合い、新年を祝うつもりだった。そして、各々帰宅の途につくことになる。だが、洋司と笑子に限っては叶わぬ夢となる。

 この時、久美子は絶望の中にいて、項垂れていた。だが、イス男はプライドを捨ててはいなかった。

 ――暴力を振るうもの、暴力を振るわれることを覚悟せよ。

 ひとり蜂起したイス男が、力任せに洋司の首をひねった後、銃を奪い、笑子を撃ち殺した。それからまた何人かの射殺した後、今度はイス男が警備員の銃に撃たれることになる。

 だが、それは別の話だ。

 いまは、こう言ってお話を締めくくりたい。

 2026年――新年明けましておめでとう!


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