第3話:悪魔的リーガルチェック

 ギリリ……と金属が擦れる音が響く。  ワイヤーが限界を迎えている音だ。

「おい、あと五分だぞ! 早く書け!」 「ちょっと待ってください。ここ、第五条の記述が曖昧です」

 健太は羊皮紙に赤線を引いた。

「『魂の所有権を甲(悪魔)に移転する』とありますが、これ『魂』の定義が書かれてませんよね? 例えば私が精神的に燃え尽きて『魂が抜けた』状態になった場合、それは契約不履行になりますか?」 「な、ならん! 比喩表現は関係ない!」 「なら特約事項として明記してください。『※比喩的な魂の喪失は含まない』と。あとここ、第十三条。クーリングオフの記載がないですね」 「魂の売買にクーリングオフなどあるか!」 「特商法違反ですよ。訪問販売ですよね、これ? 不意打ちで密室に呼び込んで契約させるの、キャッチセールス的な悪質性を感じます」

 悪魔の額に青筋が浮かんだ。

「貴様……助けてやると言っているのだぞ! 恩を仇で返すつもりか!」 「恩? これはビジネスですよね? 対価交換だ。なら、互いに納得できる条件ですり合わせるのは当然でしょう」

 健太の目は据わっていた。  上司のパワハラに比べれば、悪魔の脅しなど可愛いものだった。上司は論理が通じないが、この悪魔はまだ「契約」というルールを守ろうとしているだけマシだ。

「あと、ここ一番気になったんですけど」 「な、なんだ! もう時間がないんだぞ!」 「『永劫の奉仕を義務付ける』という文言。これ、日本の法律だと公序良俗に反する契約として無効になる可能性があります」 「ここは魔界の法が適用されるんだよ!」 「管轄裁判所の合意がないじゃないですか! 紛争時にどこの法が適用されるか書いてない契約書なんて、怖くてサインできませんよ! コンプライアンス的に完全にアウトです!」

 バチンッ!  頭上で何かが弾ける音がした。  ワイヤーの一本が切れたのだ。  エレベーターがガクンと沈み、健太の体が宙に浮きかけた。

「うわっ!」 「ほら見ろ! もう切れるぞ! 死ぬぞ! いいから名前を書けえええええ!」

 悪魔が絶叫し、羊皮紙を健太の顔に押し付ける。  しかし、健太はペンを離さなかった。  彼は必死の形相で、羊皮紙の裏側に「修正案」を書き殴り始めた。

「待て! まだだ! ここの免責事項を修正しないと、万が一システムトラブルで地獄に行けなかった場合の補償が……!」 「もういい! 知らん! お前なんか死んでしまえ!」 「ダメです! 納期は守ります! この契約書の不備を直すまでは死ねません!」

 健太の職業病が暴走していた。  目の前のバグ(契約書の不備)を放置してリリース(死)することは、エンジニアとしてのプライドが許さなかったのだ。

「修正完了! よし、これでどうだ!」

 落下まであと十秒。  健太は真っ赤に添削された羊皮紙を悪魔に叩きつけた。

「第一条から第二十四条まで、全面的に見直しました! これならサインできます!」 「……は?」

 悪魔は羊皮紙を見た。  そこには、悪魔にとって一方的に不利な条件――『魂の提供は任意とする』『週休完全二日制』『ボーナス支給』『いつでも解約可能』――がびっしりと書かれていた。

「ふざけるなああああ! こんな契約、結べるかああああ!」

 ブチィィィン!!  最後のワイヤーが切れた。  浮遊感。  エレベーターが落下を始める。

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