来島拓馬①

 先日の交差点の事故について、捜査が入ると聞いた。

 なんでも、加害車両の運転手が被害者は男に突き飛ばされていたと証言したらしい。

 私は交通課ではなく生活安全課なので、あまり関係はないが。


 今日は、DV被害防止の講習会なのだが、正直に言えばあまり意義を感じない。


 よくDVとは、関係性の犯罪と言われる。

 関係性が出来た時点で、構造的には犯罪が始まっているということだ。

 実行行為は、その後にくる。


 DV被害を防止するためには、さかのぼって関係性を是正せねば、解決にはいたらない。

 イタチごっこが始まるだけである。


 そして、この講習会に参加する人のほとんどは、すでにDV被害に現在進行系で被っているのである。


 警察署まで来ているのならば、本来は講習会ではなく、被害相談を出すべきなのだろう。


 しかし、この講習会において、もっとも大切なことは、参加者を被害者として扱わないことである。

 そう扱ってしまえば、二度と講習会には来ないだろう。


 溺れている人に、救命胴衣の使い方を説明しているようなズレを感じる。


 ネクタイを締め直して、壇上だんじょうに立つ。

 だが、本当の私は壇上には居ない。

 私はさらにその上から、壇上に立つ私と参加者を眺めている。


 参加者は皆、顔を少し伏せている、来たくなかった――来るしかなかった。

 その葛藤に苛まされているのだろう。


 その中でしっかりと前を向き、話を聞いているまだ年若い男がいた。

 それでなくても、この手の講習会で男は、どうしても浮く。

 大抵の場合、被害者の親族であることが多い。


 私は、少しだけ強い言葉を使ってみることにした。


 ――この犯罪の卑劣な点は、家庭内の問題、恋人間の問題と問題を矮小化し、小さな問題だと錯覚させるところなんです――


 これは、あきらかな傷害事件……いえ、殺人未遂事件にあたります。


 一様に顔を伏せがちだった参加者が驚いたように顔をあげる。


 私は、確かに強い言葉を使ったが、この手の問題が勝手に沈静化することはない。

 最終的に陰惨な事件として扱われる。


 若い男は、他の参加者同様に驚いていたが、すぐに私を真っ直ぐに見つめた。

 守るものがある目だ。


 私は、彼だけを見つめて後の講習を終えた。

 講習会が終わり、皆帰っていく。


 幾人かの顔つきが変化していた。

 救命胴衣よりもマシな講習になったようだ。


 彼は座ったまま動かない、周りの参加者が帰るのを待っているのだろう。


 やがて、講習室には私と彼の二人だけになった。

 彼は動かない、まだ迷っているのか。


「お疲れ様でした。講習会終わりましたよ」

 私は、書類をトントンと重ねながら声をかけた。


「……講義ありがとうございました……少しいいですか」


 私は、彼を手で制止すると講習室の鍵を閉めた。


「どうぞ、お座りください」

 私は、彼の左斜め前に座る。


「それで……被害を受けているのは、どなたでしょうか?」


 彼の身体が強張る。

 これで彼は逃げることは出来ない。


「……姉です」


 その一言が落ちた瞬間、講習室の空気の密度が一段階上がった。


 ​私はただ、静かに頷く。


 余計な口を挟む必要はない。鍵のかかった密室、左斜め前という心理的な逃げ道のない位置取り、そして警察官という特権的な耳。

 これらすべてが、彼の中にあるおりを絞り出すための装置だ。


「ただ、姉は助けを求めて来ないんです、これは愛されている証拠だと」


 彼は、続けた。


「でも、もうオレが知っている姉じゃないんです。優しかった目は、いつも怯えていて……オレが姉さんの肩に触れた時……」



「許してください――そう言ったんです」




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