第3話:嘘の装填
脳内で、化学物質が爆発する音がした。
ドーパミン、セロトニン、オキシトシン。
俺の脳が、かつて持っていたはずの「恋い焦がれる」という情動を、完璧な配合比率で再現していく。
心臓の鼓動が早まる。体温が上昇する。
視界がクリアになり、目の前の少女が「世界で一番愛しい存在」に見えてくる。
――嘘だ。
これは全部、俺の能力『感情増幅』が作り出した、電気信号の誤作動に過ぎない。
だが、それでいい。
彼女たちにとっては、この「熱」だけが真実なのだから。
「ノア」
俺は熱っぽく濡れた声で、腕の中の少女の名を呼んだ。
さっきまでの無機質な声音とは、まるで別人のような甘い響き。
「愛してるよ、ノア。俺の命も、感情も、全部お前にやる」
俺はシャツの襟を乱暴に引き裂き、無数の古傷が刻まれた首筋を晒した。
ノアの赤い瞳が、とろりと濁る。
「……カイ。大好き」
彼女は恍惚の表情で、俺の首に抱きついた。
そして、躊躇なくその鋭い牙を突き立てる。
ズブリ、という肉が裂ける音。
鋭い痛みが走り、熱い血液が吸い上げられていく感覚。
俺の血に溶け込んだ「増幅された愛」が、彼女の体内へと流れ込んでいく。
「んッ……ぁ……!」
ノアの喉が鳴る。
ごくごくと、喉を震わせて俺の愛を飲み干していく。
数秒の吸血行為。だが、それは永遠のように濃密な時間だった。
やがて、ノアが顔を上げる。
その口元は鮮血で濡れ、青白かった肌には薔薇色の生気が満ちていた。
全身から立ち上るのは、真紅の燐光(オーラ)。
エネルギー切れの少女は消え失せ、そこには完全稼働した「兵器」が立っていた。
「……行くよ」
ノアが地面を蹴った。
その速度は、人間の動体視力を遥かに超えていた。
「あぁ!? なんだその速さ――」
炎の男が反応するよりも早く、ノアの拳が男の腹部にめり込む。
ドォォォォン!!
衝撃波が工場内の鉄骨を吹き飛ばし、巨体がボールのように宙を舞った。
「す、すげぇ……なんだあのガキ……!」
男が血を吐きながら壁に張り付く。
だが、俺の仕事はまだ終わっていない。
もう一人、腹を空かせた怪物が残っている。
「カイ……!」
瓦礫の影から、ナギが涙目で俺を見つめていた。
ノアだけが「愛」をもらったことへの嫉妬と、自分も役に立ちたいという焦燥。
その感情を利用する。
俺はナギに歩み寄り、その肩を抱き寄せた。
冷たい金属の首輪に指を這わせる。
この首輪は、俺の声紋認証――それも、特定の「愛の言葉」でのみ解錠される特注品だ。
「ごめんな、ナギ。待たせた」
俺はナギの耳元に唇を寄せ、吐息混じりに囁く。
「誰よりも愛してる。お前だけが、俺の特別だ」
ピ、と電子音が鳴る。
ガチャン、シュルルルル……。
重厚なロックが外れ、首輪が拘束形態から戦闘形態へと変形した。
「――はい、お兄ちゃん♡」
ナギの瞳からハイライトが消え、代わりに底なしの暗い光が宿る。
リミッター解除。
災害指定レベルの念動力が、工場全体を軋ませる。
「あ、あいつら、なんなんだよ!? 化け物か!?」
炎の男が恐怖に顔を引きつらせ、最大の火球を作り出す。
だが、もう遅い。
「カイを傷つけるゴミは、いらない」
ノアが虚空から真紅の爪を振り下ろし、炎ごと男の腕を切り裂く。
「お兄ちゃんの視界に入らないで。汚らわしい」
ナギが指先をクイクイと動かすだけで、数トンの鉄骨が飴のようにねじ切れ、男を四方八方から串刺しにする。
圧倒的な蹂躙。
悲鳴を上げる暇すらない一方的な暴力。
俺が作り出した「偽物の愛」を燃料にして、彼女たちは嬉々として敵を解体していく。
その光景を眺めながら、俺はふらつく足で柱に寄りかかった。
貧血によるめまいと、脳内麻薬の反動がじわじわと押し寄せてくる。
愛してる。愛してる。愛してる。
脳内ではまだ、甘い言葉がリフレインしている。
だが、その熱狂は急速に冷めつつあった。
敵の反応が消える。
静寂が戻った廃工場に、二人の少女の荒い息遣いだけが響いていた。
「カイ! やったよ! 見ててくれた!?」
「お兄ちゃん、私の方が凄かったでしょ!?」
血に濡れたノアとナギが、満面の笑みで俺に駆け寄ってくる。
褒めてほしい。撫でてほしい。もっと愛してほしい。
そんな純粋な好意の塊が、俺に抱きつこうと手を伸ばし――。
プツン。
俺の中で、何かが焼き切れる音がした。
妹は首輪付き、相棒は吸血鬼。――俺の「愛してる」は、すべて嘘でできている。 こん @konn366
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