第5話 3分間の奇跡
17時00分。 転送先は、自宅のガレージ。 湊は迷わず車のキーを回した。エンジンが唸りを上げる。 アクセルを踏み込む。 住宅街を猛スピードで駆け抜ける。 交差点までは車で二分。 到着と同時にトラックが来るはずだ。タイミングは計算済みだ。
ハンドルを握る手が汗ばむ。 バックミラーに、後部座席に置いたままの陽のぬいぐるみが映った。 涙が溢れて視界が滲む。 死ぬのは怖い。当たり前だ。 もう二度と結衣の料理を食べられない。陽の成長を見られない。 だけど、二人を失う絶望に比べれば、こんな痛みはどうということはない。
17時02分。 交差点が見えてきた。 信号待ちをしている結衣と陽の姿が小さく見える。 右方向から、暴走トラックが迫っているのが見えた。 ここだ。ここで飛び出せば、トラックの側面に衝突できる。
「うおおおおおおおっ!!」
湊は叫び、アクセルをベタ踏みした。 速度計が跳ね上がる。 あと数秒で衝突。 さよなら。愛してる。
その瞬間だった。 湊の脳裏に、あるシミュレーション結果がよぎった。
――衝突の破片は? 二トンの鉄塊と四トンの鉄塊が高速でぶつかる。 その衝撃で飛び散るガラス、鉄屑、爆風。 それらはどこへ飛ぶ? 歩道にいる二人の距離は、わずか五メートル。 ……巻き込まれる。 俺が突っ込めば、俺も死ぬし、二人も破片で死ぬ可能性が高い。
「……くそっ!!」
湊は反射的にブレーキを踏んだ。 タイヤが悲鳴を上げ、白煙を上げて車がスピンして止まる。 交差点の手前。 間に合わない。このままじゃトラックが二人を轢く。
どうする? どうすればいい? 車を降りる。残り時間は三十秒。 走る。全力で走る。 突き飛ばす? ダメだ、フェンスがある。 呼び止める? ダメだ、バスが来る。 トラックにぶつかる? 生身じゃ弾かれるだけだ。
二人はまだ信号を見ている。 こちらには気づいていない。 湊は走った。心臓が破裂しそうだ。 二人に近づく。 何か、別の方法。 二人が自発的に動いて、かつ安全な場所へ誘導する方法。 そんな魔法みたいな方法が……。
あった。 たった一つだけ。 湊は足を止めた。 二人の真正面ではない。 交差点の真ん中、本来なら車が通る危険地帯。 そこへ飛び出し、二人に顔を向けた。
そして、笑った。 精一杯の、最高の笑顔で。 大きく手を振った。
「おーい!!」
その声に、結衣と陽が気づく。
「あ! パパだ!」 「湊? なんであんなところに……」
陽が嬉しそうに駆け出した。 結衣も慌てて追いかける。 「ちょっと湊! 危ないじゃない!」
二人が歩道から車道へと数歩踏み出す。 俺の方へ。 トラックの進行ルートから外れた、交差点の中央分離帯付近へ。
ゴォォォォオオオオッ!!
風が吹き荒れる。 トラックが通過した。 本来二人が立っていた歩道を粉砕し、そのままガードレールを薙ぎ倒して電柱へ激突した。 二人は呆然と立ち尽くしている。 湊の目の前、わずか数メートルの場所で。 無傷だ。破片も飛んでいない。 完璧な位置取り。
「パパ……?」
陽が震える声で呼ぶ。 湊は微笑んだ。 成功した。 第三の選択。 自分が「標的」となり、二人を安全地帯へ誘き寄せること。
その時、頭上からギギギ……と嫌な音が降ってきた。 トラックが激突した衝撃で、老朽化した信号機の支柱が根元から折れていた。 数トンの鉄柱が、ゆっくりと傾いてくる。 その落下地点にいるのは、湊ただ一人。
「湊! 逃げて!!」
結衣の悲鳴が聞こえる。 逃げられない。足が竦んでいるわけじゃない。 これが「代償」だと理解しているからだ。 運命の総量。 誰かが生き残るには、誰かが死ななければならない。 なら、これでいい。これがベストだ。
「……愛してるよ」
湊の唇が動いた。 声にはならなかったかもしれない。 鉄柱が視界を覆う。 衝撃。 痛みは一瞬だった。 3分経過のアラームが、遠くで鳴っているのが聞こえた。 だが、湊の意識は闇へと溶けていった。 現在へ帰る肉体は、もうどこにもないのだから。
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