「忘却のピアノ」

第6話 木漏れ日の下の邂逅

寝転がった時、緑葉の隙間から雲一つない空が見えた。


夏のゲリラ豪雨に襲われることも多かったここ数日。

大きく伸びをした僕は、やっぱり晴れた空の方が心地良いと呑気に鼻歌を歌い始める。


フンフンフン、と。

何て静かで穏やかな空間なんだろう。

ここにあるのは虫の音に、鳥のさえずり、緑の囁き。

それだけで。


奏でられているのは自然のハーモニー。溶け込むように僕は歌い方を変えた。

「タラララン、ラン、ラン」

ノッてきた。


だが、気持ちよく口ずさんでいたはずの僕は次の瞬間、「わぁ!」と大きな声を上げることになる。


「どうしたのさ」

この辺りに住んでいる野兎が突然僕の元に駆け込んできたのだ。


演奏会を邪魔された僕は少し不満げに言う。

だが言われた本人…兎はどこ吹く風、既に遥か彼方へと走り去ってしまった。


「何だったの…?」

ぼやく僕。しかし一人きりでいるのに返事などあるはずもなく…代わりといわんばかりに答えてくれたのはヒュウと激しい音を鳴らす強風。

一斉に周りの木々が葉を大きく揺らし、僕は上半身だけ起き上げた。


その時だった。


「こんなところで何してるの?」

辺りに人の…女の人の澄んだ声が響き渡った。


驚いた僕が振り返ると、先程野兎が駆けてきた方向からその人は姿を現した。


風に靡く…初めて見る夜空色の髪に、黒い瞳。

一つに纏められた髪の隙間からは深紅のイヤリングが揺れ、太陽の光を受けて一層と強い輝きを発している。


「え?」

僕は隠しきれない驚きから思わず素っ頓狂な声を上げた。

女の人はそのまま僕の隣まで歩いて来ると、体に付いた葉を落としてから、もう一度僕に尋ねる。


「一人で、ここで何してるの?」

その声色は森の奥に一人でいる子供を怒っているようなものではなくて。

どちらかといえば。


女の人の瞳がやけに胸に突き刺さる。

とっさに返事ができなくて、僕は言葉を詰まらせた。


僕は…僕は。


答えを探すように暫しの間、少年は目を閉じた。


「             」


再び吹いた強い突風が二人の間を駆け抜けた。



「お客様、ご注文は何になさいますか」


吊り下げられた洒落たライト。職人の手によって一つ一つ丁寧に織り込まれたというテーブルクロス。磨き上げられたカトラリー。


客は談笑しながら食事を楽しみ、ホールスタッフは足取り速く行き交う。はめ込まれた窓ガラスからは満天の星空が覗き込み、爛々と光り輝いている姿はまるで人々の様子を伺っているかのようだ。


そんなここはフォレスト・スノウ。

いわば日常の疲れを癒すため憩いを求めている人の集まるリゾートホテルだ。


主な客層は滅多に取れない自分達の時間を謳歌するため子供を預けてやって来た夫婦や、バカンスを楽しんでいる恋人達。

ホテル命名の理由ともなった、森林に施される雪景色が皆の観覧目的である。


つまり新緑の季節である現在は普段ではオフシーズンとされ、森林浴に来る客は稀にあれ冬の集客数の比にはならない…はずだったのだが。


「交代よ、少し休んで」

「…お願いします」


決して客にはみせないがホールスタッフ達の崩れない愛想の良い微笑みの下には、わずかばかり疲労の色が浮かんでいる。バックヤードへと戻った新入社員のスタッフは誤魔化しきれなかったあくびを噛みしめながら休憩室へと入り、何とも頼りない背をポンと叩き見送った先輩社員は「いつになったら収まるのかしらね、この騒ぎは…」とぽつりと呟いた。


彼女がぼやくのも無理はない。

何せこの騒ぎが始まったのはここ数日の話なのだから。

では何があったのか。

まずはそこから話すことにしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る