第4話 彼女の本領
針葉樹にのしかかった雪が音を立てて滑り落ちる。
見渡す限りの白銀の世界。
すべての生命眠りについているそんな場所で。
彼らは抱きしめ合っていた。
何も喋らず、ただ涙を流している女性と。
唇を噛みしめ、慰めるように妻の背に手を回している男性。
そんな二人の正体はかつて一生を共にすると、契りを交わした夫婦であり。
生者と死者。
本来であればもう抱きしめ合うどころか、言葉を交わし合うことすら許されない運命を定めづけられた二人だ。
けれど彼らの身に起きた出来事は…。
これを奇跡と呼ばないならば、奇跡という言葉に当てはまる事象はきっとこの世に存在しないだろう。
起こりえないはずの邂逅。
それが今、彼らの目の前では繰り広げられていた。
どれほどの時間が経ったのか計る指標はないが、それが何度か繰り返された後、妻の耳元で夫は囁く。
『一緒に連れて行って欲しかったんだろ?』
彼の言うそれは。その言葉の意味は。
妻の口からは言葉の代わりに真っ白な吐息が零れ落ちて、消えていく。
右往左往と視線を彷徨わせている瞳からは明らかな動揺が伝わってくるようだ。
―『わたしも一緒に連れて行ってくれたらよかったのに』
「なんで…知っ…て…るの」
「見てた、ずっと見てたんだ」
彼の言葉に嘘はない。
彼は見ていた。
あれほど皆に見せていた笑顔なんて消え去り。
暗闇で一人泣いているのを。
慰めることも、励ましてやることも。抱きしめてやることも、頭を撫でてやることすらできずに、ただ見ていた。
自分はなんて役立たずなんだと思いながらずっと見ていた。
「なにもできなかったけど見てたんだよ。だから会いに来たんだ」
いい加減、この全てを終わらせなければいけないから。
ただ一言、俺はお前を…連れては行かないよ、と。
恐らくこの世界で正解とされている答えを告げに。
会いに来た…はずだったのに。
なのに。
「いらない!どうせあななだって生きろっていうんでしょう!」
全てを見透かしたようにお前は叫ぶ。
「生きてればきっといつか良いことがあるって。死ぬなんてダメだって!ただ息をするだけでも、こんなに苦しいのに」
心の奥底から悲鳴をあげるから。
「わたしを無理やり生かしたくせに、なんで置いて行ってしまうの」
人の気も知らないで、泣くから。
こんなことを言いにきたわけじゃないのに。
「ならやっぱり一緒に行くか?」
溢れてしまう。
最後まで胸の内に隠し通しておきたかった本音が。
零れてしまう。
なんで俺は死ななきゃいけなかったんだと。
「それなら、このまま目を閉じたらいい」
家族も友人も、日常も。自分にとって大切なものは全部ここにあるのに、なんで俺はここにいられなくなるのだと。
一緒にいてくれ、俺だって怖いんだ
一度閉じた妻の瞳が必ずもう一度開くのが分かっていながら言う。
言う。
そんなことできるはずもないのに。
「生きろ」
二人ぼっちの世界ならそれでもよかった。
でも違う。
今の俺たちはそうではない。
「生きてくれ」
可愛い一人娘と自分のわがまま。
優先すべきものなんて、あの子が生まれた時から決まっている。
彼女たちの幸せを心の底から祈っている。
「お別れだ」
奇跡が解けるのなんて一瞬だ。
奇跡とは恐らく。儚くて、脆いもので。
それが起こる時間は有限で。永遠などありはしない。
無慈悲な風がまるで二人を引き裂くかのように間に割って入ってくる。
ここが生者と死者の踏み越えることはできない一線だとでも言うように。
雪が俺を覆い隠す。
俺から彼女を奪い取る。
このまま俺は消えてしまうんだろうか。
「…」
ならせめて。せめて最後くらい。
この祈りを。願いを。想いを。
「なあ…覚えてるか」
この吹雪の向こうにいる君へ。
―俺も帰るよ
「なに!?聞こえない!」
『わたしね、この村が好きよ』
『この村の人たちがいつのまにかわたしの家族になったの。だから生まれ変わってもきっと、わたしはここに帰ってきちゃうのね』
『あなたと、アメリアと家族みんなが揃ったこの村に』
俺も同じだと。
帰るから。帰ってくるから。
二人とも同じ場所に帰ってくるなら。
「ならどうせまた逢えるだろ」
だから。
「またな」
雪の降りゆく灰空の世界に。
最後に見えた色はとても美しい金だった。
※
さらさらと葉を囁かせる巨大樹の前に彼女は立っていた。
夜風と共に輪舞を踊るかのように飛び交う蛍たちに。
月光の下、佇んでいる彼女。
この世のものとは思えないほど幻想的なその光景は、まさに先人たちが描いた絵画の再現といえる。
立ち入ることは憚られる。
村人たちは声もなく現在進行形で巻き起こる奇跡を眺め続けることしかできなかった。
「これは…一体」
たまたま外にいただけのオースティンとて例外ではない。
「何故蛍が…?」
村の至る方向からまるで彼女を目的地としているかのような黄緑色の光がゆらゆらと揺れながら集まっている。近くに生息地があると聞いたことも、水辺のない村にこれほどの数羽ばたいてきたことも未だかつて…ない。
では何故、そんな世にも珍しい自然現象が今何故ここで起こったのか。
否、起こされたのだ、他の誰でもない彼女の手によって。
月と蛍、二つの光が夜空の中で交差する。
数多の黄緑色の光がまるで運河のように彼女と巨大樹の元へと流れ込んでくる。
ひたすらに、美しい。
美しい光景だ。
「あとはよろしくお願いします」
遠く離れた彼女の横顔から溢された呟きは読み取れない。
無意識のうち、暖かな光の粒に息子たちの姿を重ねながら、切ないような、寂しいような。泣いてしまいそうな気持ちで満たされながら、オースティンはその光景を見守った。
「役割持ち」
そうして不意に頭の中に浮かんだ言葉で、オースティンは目の前で繰り広げられる現象の全てを理解したのだ。
この世界には、世界の秩序を守るために役割を定められた存在がいるという。
世界が世界であり続けるために管理する。
その使命は命よりも重いとされている。
大海原に住まう主。
大空を支配する主。
大地と共に眠る主。
だが彼らが人前に姿を現すことはほとんどない。
たとえ現れたとしても判別することが不可能なのだ。
役割持ちについての検討は傑物として名を残す医師アルバートの手記に残されている。
決して保存状態は良くなく抜け落ちているページも多くあったが、そこに書かれていたのは主に一人の少女のことばかりだった。
『人間の魂を巡りの中へと還す任を定められた、哀れな少女』
「ミツキ」
思い出した。手記に登場した西の国で聞き慣れないその名前は…遠い東の国に由来すると記されていた。
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