魔界の空気は甘くて美味しい(物理)


 目の前には、小山のように積み上がったドラゴンの肉塊があった。

 ついさっき、俺がデコピン一発で粉砕した「元・魔界の王者」の成れの果てだ。


「……美味い」


 俺は焚き火の前で、ドラゴンの肉(ステーキ)を頬張っていた。

 普通なら、魔界の生物の肉は猛毒の瘴気に汚染されており、人間が口にすれば即死する。

 だが、俺の身体にとって瘴気は「最上のスパイス」でしかなかった。


 噛み締めるたびに、肉汁と共に高純度のエネルギーが体内に染み渡っていく。

 

「なるほど。呼吸で『基礎代謝』を賄い、食事で『ステータス』を底上げしている感じか」


 俺は自分の掌を握ったり開いたりして確認する。

 魔界に落ちてまだ数時間。

 だというのに、肌の質感や筋肉の繊維が、人間界にいた時とは別次元のものに作り変えられつつあった。

 例えるなら、ガラス細工の身体が、オリハルコンの合金に置換されているような感覚。


 ガサガサッ。


 茂み――といっても、鋼鉄のように硬い魔界植物の藪だが――が揺れ、数匹の魔獣が姿を現した。

 ヘル・ウルフ。

 人間界の騎士団が小隊規模で挑むAランク魔獣だ。

 血走った目で俺と、そして焼かれているドラゴンの肉を見ている。


『グルルルルッ……!』

「なんだ、お前らも腹が減ってるのか?」


 俺は串焼きにした肉を掲げて見せる。

 ヘル・ウルフたちは涎を垂らし、一斉に飛びかかってきた。

 彼らの鋭い牙は、鉄の鎧すら紙のように引き裂くという。


 ガリィッ!!


 不快な金属音が響いた。

 俺の喉笛に食らいつこうとしたリーダー格の狼が、逆に牙を砕かれて地面に転げ回る。


「……キャン!?」

「ああ、悪い。力加減を忘れて、とっさに首に力を入れちまった」


 無傷の首筋をさする。

 どうやら防御力に関しても、すでに常識の範疇を超えてしまったらしい。

 俺は地面に転がる狼を見下ろし、溜息をついた。


「せっかくの食事中なんだ。静かにしてくれないか?」


 軽く足をダン、と踏み鳴らす。

 それだけで地面が波打ち、衝撃波が周囲の空間を震わせた。

 残りの狼たちが恐怖に失禁し、その場で裏返って腹を見せる(服従のポーズ)。


「……ま、いいか。ちょうどこの広大な魔界で、地理もわからず困っていたところだ」


 俺はニヤリと笑い、リーダー格の狼――牙が折れて涙目になっている――の頭を撫でてやった。

 恐怖でブルブルと震えているが、その毛並みは意外とモフモフして悪くない。


「お前、案内役になれ。あと、この肉の残りを運ぶポーターも頼む」

「ク、クゥ〜ン……」


 こうして魔界初日。

 俺は伝説のドラゴンを平らげ、凶悪な魔獣をペットにした。

 

 だが、俺の目的はここで王様ごっこをすることじゃない。

 

「戻らなきゃな。あの国へ」


 俺をゴミのように捨てた父。嘲笑った弟。

 彼らに、この「素晴らしい力」の成果を見せてやらなければならない。

 

 そのためには――

 俺は紫色の空を見上げる。

 遥か彼方、次元の壁を越える手段が必要だ。


「まずは修行だな。この世界の瘴気をすべて喰らい尽くすつもりで、強くなってやる」


 魔力ゼロの元・王子の、魔界統一生活(チュートリアル)が幕を開けた。

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