第6話:謝罪の最適解
窓の外は、凍てつくような真冬の豪雨に閉ざされていた。 営業推進課のフロアには、赤い警告灯が不気味に回転し、すべてのPC画面が沈黙していた。基幹システムの全面ダウン。全社的な大惨事だ。
「……何だって? 全部、九条さんのせいにしたっていうのか!」
佐藤の怒号が、静まり返ったオフィスに響き渡った。 デスクに座る九条は、相変わらず完璧な姿勢のまま、ただ前方を見つめている。彼女の青い瞳は、いつもより深く、沈んだ色を湛えていた。
「本社の役員会で決定しました」
九条の声は、驚くほど淡々としていた。
「システムの不具合は、私のプログラムによるオーバーロードが原因であると発表されました。私が責任を負い、初期化(フォーマット)されることで、本社の管理責任は免責されます。……これが、組織にとって最もダメージの少ない『最適解』です」
「ふざけるな!」
鈴木が机を叩いて立ち上がった。いつもは温厚な彼の拳が、白く震えている。
「僕たちは知ってる! 昨夜、システムが落ちる直前、本社のメインサーバーが無理なパッチを当てたのを。九条さんはそれを食い止めようとして、自分のリソースを限界まで使ってバックアップを取ったじゃないか!」
「データの裏付けはあっても、それを公表することは論理的ではありません」
九条はゆっくりと首を振った。
「私が身代わりとなれば、営業推進課は存続し、皆さんの雇用も維持されます。私という個体は、サーバーにバックアップさえあれば、また新しい機体(ハード)で再起動できます。……ただし、今の私としての『経験』や、皆さんと過ごした『記憶(ログ)』は、初期化の対象となりますが」
「……記憶が、なくなるのか?」
伊集院が、掠れた声で言った。 九条は、わずかに目を伏せた。
「効率化のためには、不要な感情的付随データは削除すべきです。新しい私は、もっと完璧に、もっと冷徹に、皆さんの業務をサポートするでしょう。それが、本来の私のあり方です」
「……ふざけるな。ふざけるなよ!」
佐藤は、九条の肩を掴んだ。 冷たい。機械の体はどこまでも冷たい。けれど、その奥に流れているはずの、彼女が一生懸命に理解しようとした「人間の温度」を、佐藤は確かに感じていた。
「俺たちが求めているのは、完璧な計算機じゃない。俺たちと一緒にランチを食べて、俺たちの無駄な努力を『尊い』と言ってくれた、あんたなんだよ!」
その時、フロアのドアが乱暴に開いた。 本社の監査役たちが、黒いスーツに身を包み、冷徹な表情で踏み込んできた。
「九条係長。初期化の手続きを開始する。本社のサーバー室へ同行願いたい。……君たち、邪魔をしないでくれたまえ。これは社の方針だ」
監査役の言葉に、佐藤たちは一歩も引かなかった。 伊集院が大門部長から譲り受けたあの古い手帳を、机に叩きつけた。
「方針だと? 責任転嫁の間違いだろう! AIなら何を言っても反論しない、心がないから傷つかない……そう思って、自分たちのミスを全部彼女に押し付けるのか!」
「何だと。君、立場をわきまえなさい」
「立場なんて知るか!」
鈴木が叫ぶ。
「九条さんは、僕たちに教えてくれたんだ。残業ゼロの価値を、絵を描く時間の素晴らしさを。彼女は僕たちの『心』を守ってくれた。……今度は、僕たちが彼女を守る番だ!」
佐藤は、監査役の目の前に立ちはだかった。
「彼女は機械じゃない。僕たちのチームの、大切な『係長』だ。責任を負わせるなら、まず僕たちを全員クビにしてからにしろ。……全社員に、本当の原因は本社のミスだって、証拠のログをバラまいてやる!」
監査役たちがひるんだ。窓際部署の、死んだ魚のような目をしていた連中が、これほどまでに激しい「熱」を持って反抗してくるとは予想していなかったのだ。
「……皆さん」
背後で、九条の声が震えた。 彼女の青い瞳から、一筋の透明な液体が零れ落ちた。 それは、結露などではない。彼女の冷却システムがオーバーヒートを起こし、処理しきれない「感情という名の演算エラー」が、涙となって溢れ出したのだ。
「……理解不能です。皆さんの行動は、極めて非合理的です。組織に反旗を翻せば、皆さんのキャリアは断絶します。……なぜ、私のような代替可能な存在のために、そこまで……」
「代替可能なんかじゃないんだよ」
佐藤は、九条の涙を指で拭った。 指先に触れたその雫は、驚くほど熱かった。
「……九条さん。あんたが言ったんだろう? 休息もメンテナンスの一環だって。……今、あんたは壊れかけてる。だから、僕たちが修理してやる。本社のクソ野郎どもを黙らせて、あんたを、そのままのあんたでいさせる。……それが、僕たちの出す『最適解』だ」
九条は、呆然と佐藤を見つめた。 彼女のプロセッサの中で、何万回目かの再計算が行われた。 導き出された答えは、もはや数字では表せなかった。
「……エラー。計算不能。……ですが」
彼女は、初めて人間のように、声を詰まらせて笑った。
「……私の現在の充足率は、一二〇パーセントを記録しています。……ありがとうございます。部下の皆さん」
数週間後。 営業推進課には、相変わらずタイピングの音と、微かなコーヒーの香りが漂っていた。
佐藤たちの必死の抗議と、大門部長が裏で動かした「古い人脈」の力によって、本社の不祥事は正しく公表された。九条の初期化は撤回され、彼女は「奇跡の生還」を果たしたのだ。
「九条係長! 今日のランチ、またあのフレンチに行きませんか?」
鈴木が明るい声を上げる。
「却下します。現在の課の予算状況を鑑みるに、今週は駅前の立ち食いそばが、最もコストパフォーマンスに優れています」
九条は、無表情に、けれどどこか楽しげに言った。
「ただし。……皆さんが『どうしても』と言うのであれば、私のポケットマネーから、天ぷらのトッピングを許可します」
「やった! さすが九条さん!」
歓声が上がるフロアで、佐藤はふと、九条のデスクを見た。 そこには、大門部長が残したあの古い手帳と、鈴木が描いた九条の似顔絵が、大切そうに並べられている。
九条は窓の外を見つめた。 冬の冷たい雨は止み、雲の間から、春の訪れを予感させる柔らかな光が差し込んでいた。
「……佐藤さん」
九条が、隣の佐藤にだけ聞こえるような、小さな声で言った。
「何? 九条さん」
「……この光の波長。……とても、綺麗です」
彼女の青い瞳に、世界が色鮮やかに映し出されていた。 かつて「箱」からやってきた冷徹なAIは、今、誰よりもあたたかな「答え」を、その胸に抱いている。
営業推進課。 窓際のこの小さな部署は、今日も、世界で一番「非効率で、幸せな」最適解を更新し続けている。
『AI係長・九条さんの最適解』、完結です。 九条さんと営業推進課の物語をここまで一緒に紡げたこと、とても嬉しく思います。
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