三話・ペリギュール・ランセットである

 破廉恥な少年だった。


 長い足を隠す白いスラックス、手首まで覆うシャツに、細い手指を包む絹の手袋はいかにも貞淑な少年の装いだ。

 人々の汗がぶつかり合うような雑踏でも、ひどく目立つ美しさ。

 夏も盛りだ。真っ黒なジャケットを脱いで左手で抱えているのは、よいだろう。


「いや、違うんすよ。うちは変な意味で言ったんじゃなくてですねぇ!?」


「へえ……じゃあ、どういう意味で言ったのか教えて欲しいんだけど」


 横で騒いでいる女が目障りだが、それはどうでもいい。

 安っぽい革鎧は、燻った安っぽい冒険者そのもの。

 どうでもいい女だ。

 それよりも、


「違うんすよ!?セクハラしようと思ったわけじゃなくてェ!?!?衛兵はご勘弁ですってェ!?」


「ボタンを閉じたまえ」


 許しがたいのは、胸元のボタンが二つ外されていたことだ。


「はぁ?いきなりなんすか、あんた」


 ぎゃあぎゃあと安っぽい冒険者が何やら騒ぐが、私の耳にはちっとも入らなかった。

 有象無象の言葉に耳を傾けた所で、何の意味があるだろうか。

 森羅を解き明かそうとする学僧である私には、そんな無為にかける時間はない。


「ボタンを閉じたまえ」


 二度。

 夏の日差しの下、少年の真っ白な胸元には一筋の汗が流れていく。

 なんと破廉恥な光景であろうか。

 暑いのであれば日傘を差すなりすればいい。日陰に引っ込むなりすればいい。

 それを男の貞淑を守らず、肌を見せ涼を得ようとするとはなんたるふしだらであろうか。


「へえ」


 と、少年はなんの返事ともわからない声を出した。

 何を言っているかはわからない。

 しかし、答えだけは明確に理解出来る。


「嫌だ、って言ったら?」


 汗で濡れた、納まりの悪そうな金の髪をかきあげると、少年は私を見上げた。

 その目はひどく挑発的である。

 恐らく彼の背丈は百六十にも満たない。二百を超えた私からすれば、大抵の相手は子供のような物だ。

 いかに学僧といえど、健全な精神は健全な肉体に宿る。

 私は鍛練を怠らず、腕の太さと言えば細っこい少年の腰よりも太いであろう。

 少し、ほんの少し。


「ボタンを閉じたまえ」


「ひえっ!?」


 怒気をこめた。

 安っぽい冒険者は後退り、


「嫌だね」


 少年は笑った。

 にやり、という音すら立てそうなくらいに挑発的な笑みだ。

 だが、三度。

 私は三度、彼に言葉を尽くした。


「ならば是非もなし。拙僧は男だからと言って、手を上げぬ者ではなし」


「いいよ、俺も相手が女だからって一方的に従う貞淑さがあるわけでもないし」


「貞淑さ!?あったんすか!?」


「どこからどう見ても貞淑な理想の男だろうが。家族以外に手すら握らせたことないぞ、俺」


 半笑いで言葉を作る少年は、理想の男とはまったく違う。

 強き女の三歩後ろを歩く手弱男とは、明らかに違う鼻っ柱の強さ。

 これはこれで好きな女もいるだろう。

 強気な男を押し倒して屈服させるような、そんな乱暴な愛され方だ。

 それはこの少年にとって、不幸なことではないだろうか?

 この生まれ付きの圭角を丸く削ってやり、女に従順な男として生きるのが、彼にとっての幸福であろう。


「ならば」


「と、少し待ってくれ」


「む?」


「今日の俺は珈琲を飲みに来た。その用事は何事にも優先されることだ」


「ふむ……」


 最近になって流行している珈琲は、優れた飲み物だ。

 水の悪い都市では、酒を飲む方が安全であるからして、人が集まれば飲んで飲んで潰れてしまう。

 その点、珈琲はどうか。

 飲めばたちまち頭がすっきり覚醒し、人が集まれば有意義な理知に満ちた会話が弾む。

 最近では阿呆の妄言は減り、真っ当な議論が増えたように思える。

 学僧たる私が、その素晴らしい飲み物である珈琲を喫する事を邪魔するのは、果たして理性的な行いであろうか?

 否であった。


「確かに貴方の珈琲を邪魔するのは、いかにもよろしくない……だが」


「わかってるわかってる。これで有耶無耶にする気なんて、俺にもないよ。それにこんな雑踏で暴れるのは、他人に迷惑だ」


 何の動揺もなく、ひどく軽い声だ。

 何をされるのか理解していないわけでもなかろうに。

 それとも男だからひどいことにならないと、たかをくくっているのか。

 だが、私はしっかとグーで打つつもりだ。

 このデカい拳で。

 その覚悟も無しに、角を振り回すのは彼のためにならないのだから。


「十一の鐘が鳴ったら、その裏で」


 彼が指したのは、教会だった建物だ。

 少し前に火の不始末があったらしく、今は人もいない。

 高い壁もあり、中も覗けないのだからちょうどいいだろう。


「承った」


「ついでにお前もだ」


「え、うちもっすか!?もう関係なくないっすか!?」


「お前も俺の珈琲を邪魔しただろ」


「そんな理由で!?え、大体何するんすか!?」


 再びぎゃあぎゃあと騒ぎ出した冒険者に、彼は左の手袋を外す。


「これならわかるか?」


 ぽい、と冒険者の顔面に手袋が乗った。

 頭から手袋をぶら下げた姿は、何やら破廉恥な似姿絵のようでもある。

 とにかく間抜けなボケナスの姿だ。


「……いや、冗談じゃ済まないっすよ、これ?」


「冗談で済ませてやってもいいぜ、頭下げるならな」


 右手の手袋も外される。


「ペリギュール・ランセットである」


 顔面目掛けて投げ付けられる手袋を、私は受け取った。

 少しばかりの威を込め、彼の前髪を揺らすほどの勢いを付けて。

 そのついでに彼が左手に抱えていたジャケットが揺れ、腰元が見える。

 剣、だ。

 ボタンだけではない。武器まで持ち歩くとはなんたる破廉恥か。

 許しがたい行いだ。

 それはそうとして、


「テクト・グラック」


 予想通り、平然としたツラで受け流される。

 なんとも小憎たらしい。

 だが、少し清々しさすらある。

 気に入った、ということなのだろうか。


「…………」


「…………」


「……?」


 それに比べて、


「あ、うちもっすか!?ピラです、ピラ!」


 邪魔だからどっか行ってくれないかな、こいつ。








Q.なんで貞操逆転世界なの?


A.男尊女卑物にしたら絶対怒られるけど、女尊男卑なら許される故。

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