下
学校から帰ると、両親はいなかった。
(どこに行ったんだろう…………?)
家の中は静まり返っている。
彼は疑問に思ったが、正直いなくなって好都合なのもあるので、彼は内心喜んで部屋に向かった。
「よしっ、今日は僕1人だ!何しようかなー」
トランプに、漫画、ラジオでも聴こうかな。
外にでも遊びに行こうかな。
あ、テレビも久しぶりに独占して見れるぞ。
彼は踊るような気分であちこち行ったり来たりして、キッチンを漁って骨製のスナック菓子を発見したかと思うと、すぐさま部屋のベッドに向かって走った。
(まずはラジオを聴こうかなー、ついでに漫画も読もう)
ラジオを付けると、どこでも聞いた事のない音楽が流れ始めた。戦慄と悲鳴が入り交じる曲は、気分を落ち着かせるのに最適だ。
(ラジオのこのなんてことない曲が、実は1番いい雰囲気にしてくれるんだよなあ)
彼は音楽に暫く浸った。
そして彼は漫画をぱらぱらと捲り、くすくすと笑いながらスナック菓子を口に運んだ。
スナック菓子は、口の中でかりぽりと弾ける。
噛む度に骨の軽さと匂いが癖になる。
(やっぱりオニオンチップスといったら骨味なんだよな。この旨さがたまんない)
紙の中では、魔物と鬼が食い合いをしている。
(ふふふ、漫画なんて久しぶりだ。やっぱり昔読んだこの漫画、面白いなぁ)
空はまだ芋色だ。暗くなるまで時間はたっぷりある。まだまだ遊べることに彼は喜んだ。
1ページ、また1ページと漫画を繰る。
ラジオからは悲鳴が聞こえてくる。
彼は、楽しむ気持ちが徐々に、眠気に変わっていくのを感じた。
漫画の終わりを読む頃には、彼はいつの間にか眠ってしまっていた。
「うう…………」
自意識が深淵から這い上がるように脳に近づく。
彼は目を覚ます。
(……………寝てた……のか)
ぼうっとした感覚とじんわりと滲むような頭痛が酷い。
しばらく蹲っていたが、やがて憂鬱な気持ちでゆっくりと起き上がると、やたらと白く冴えて映る目の前の景色に違和感を覚えた。
なんというか、全体的に明るい気がする。
ふと、窓を見る。
空はもう赤に染まっている。
「もう…………こんなに……?」
さぁっとした悪寒が背筋を痒くさせる。
それと共に、額に脂っぽい汗がひんやりとするのが解った。
彼は焦る。
(やりたいことの1つや2つしか出来てないじゃないか!急いで、帰って来る前に残りを!………)
あれこれ考える間に体は動き出していた。
まだはっきりと冴えない頭で部屋から飛び出て、1階に降りる。
どたどたと騒音を上げてから降りた時に、彼はしまったと思った。
(もし、帰ってきてたら…………)
そう思って、部屋の隅々を見渡す。
1階は、まだ静まり返ったままだ。
部屋は暗く、外から漏れ出る赤い陽射しが部屋に溶けている。
彼はほっとして、気を落ち着かせようと深呼吸した。
吸って、吐くうちに心は何とか波をならした。
「………とりあえず、顔を洗おう」
彼は頭痛に苛まれながら、ゆったりとした足取りで洗面所へと向かった。
(僕としたことが、寝すぎてしまった…………)
蛇口を掴み、捻る。
(今日という日は滅多にやって来ないぞ。この機を逃したら、せっかくのチャンスが台無しだ)
そこから絞り出たどろりとした血が掌に溜まる。
(この後は、何をしようか。やっぱり、外に出て思いっきり遊ぶってのもいいなあ)
それを思い切り顔にぶつける。
ばちゃ、という生々しい音と共に、顔の皮膚にぬるい血液が染み込んでいくのが分かる。
幾分痛々しい。
彼は暫しの間、その感覚に溺れる。
するとその途端、その血が目の中に入り込む。それと同時に、刃物で刺されたかのような痛みとともに目の内が染みた。
「うっ…………!」
(なんだこの痛み……!)
今まで感じたことの無い強烈な痛みだ。
横隔膜から目の裏側にぞぞ、と入り込み、血球が粘液と混じり膠状となり疼くような………
彼は痛さに苦しみながら、目を抑えながら必死に擦った。
そして、どうにか拭き取ろうと、恐る恐る目を開けてみる。
その瞬間、目の中がチカッチカッと乱光を浴びたかのような、眩しい痛さに見舞われる。
(なんだ………これっ…………)
それに耐えきれず目を開けると、眩しい閃光が瞳孔を炙った。そしてその次の瞬間、鏡の中にとてつもなく怖い何かが写った。
「…………!?」
オレンジと茶を綯い交ぜにして薄めた色。
どこか、猿に酷く良く似た生物。
見たこともない不気味な生物。
彼は、その衝撃に「ギャア」と叫び後ろに仰け反った。
それは彼の心の奥底にある、決して掘り出してはいけない言わば「パンドラの箱」を、逆向きに引っ掻いてこじ開けたそれだった。
それは熾烈な恐怖心を煽る。
彼の心は震えていた。
彼は恐怖のあまり、手近にあったドライヤーを鏡に投げつける。鏡は衝撃に耐えきれずにひびが枝分かれするように入り、そこから粉々に砕け散った。
ドライヤーは洗面所にがしゃんと落ちる。
その上に、割れたガラス片が粉雪のようにさらさらと舞い落ちる。
彼は、はあはあと息を切らしながら、鏡を悍ましそうに睨みつける。
「なんだ、今の………怪物っ」
彼は床に尻餅をつく。
表面が単色……で、頭から……毛が……大量に……うっ。目が………2つ、鼻と口が真ん中に………1つずつ………!?ああ、思い出しただけでも気持ちが悪い。
彼は、胃酸が喉をかけ上る感じがして、ぐっと口を抑える。
そうして、勢いよく地べたに蹲る。
口からは、涎がぽた、ぽたと垂れる。
ぐわぐわと揺れる視界の中、彼は漠然と思う。
あんなの、まるで化け物だ。
(…………きっと、疲れているんだ)
きっとそうだ、と自分に言い聞かせる。
そうでもしないと、気が狂いだしそうだった。
また、思い出して吐きそうになる前に………
「……そうだ、外へ行こう………」
外へ行ったら、気も紛れるだろう。
彼は逃げるように玄関を飛び出した。
(おかしいっ、おかしい………おかしい!!)
彼は走りながら目の前の景色にただ驚愕していた。
目の前の視界は走る度上下に揺れながら、どこかピントが合わずにいた。
心臓が脈打つのと合わせて、瞳も鼓動に揺れて見た景色はばくばくと波打っている。
そして、またもや眩しい光が彼の眼球に響く。
それに目を瞑って苦しみながらも、彼は走る。
視界は三原色に分離して歪んでいる。
視界は、ぱち、ぱちと弾ける光に眩む。
赤かった空は、瞬きする度に光、青く変色する。
紫色だった地面は、揺れたかと思うと徐々に黒色に変化する。
(そんなっ………嘘だ………!)
息切れしながら、彼は涙目になって無我夢中で足を蹴った。
(いつもの世界じゃない…………!)
頭の中が混乱する。
景色はどんどんと変わっていく。
すると、目の前に朝に見た通行人たちが通りかかるのを見た。
彼は安堵した。
(ほらっよく見ろ!あの人たちは全く変わりないじゃないか!)
光はまばゆく強くなる。
瞳はぶるぶると痙攣したように震える。
視界の歪みは激しくなる。
彼は喜びもつかの間、ある瞬間絶望へと叩き落とされた。
視界がぐわんと揺れたかと思うと、分離していた色が一気に重なった。
彼は焦って辺りを見渡す。
(あのっ、真ん中が裂けた脂塊はっ………)
傍から見て、それは一般の女学生だった。
(………っじゃあ、小さな鼠は………!?)
その生物も、図体が大きい偉そうな学生になっていた。
薄い紙は野太い中年男性、泥が溶けたようなものは小さな小学生、球状のヒモ足は、小綺麗な女性、犬面の蟲はひょろりとした男性………
………………
濁った空気は綺麗になって、緑色の雲は淡い灰色になり、黒い太陽は白くなり、光だと思っていたものは影になり、巨大な生物は小さな小鳥になり、黒い鶏のようなものは烏になっていた。
彼は冷や汗と共に、体の震えが止まらなくなった。
「こんなっ………こんなことが……………」
醜い。
全てが汚くて醜い。
いつもの綺麗な世界を返してくれ。
いつも…………いつもの…………………
彼は絶望と涙に満ちた瞳を血走らせ、叫ぶ。
「嘘だっ…………これは幻覚だっ!!!!
汚い汚い汚い汚い…きたない…っ……………
………………あんまりだ!!!!!
綺麗な世界を………返せよぉ!」
彼の顔は真っ青になり、その口からは意味不明の濁音を発している。
周りの目は驚きと恐怖に満ち、彼を見つめている。
その目線一つ一つが、彼の体にどろどろになって纏わりつく。それだけでも、彼の体は恐怖に引き裂かれそうになった。
「見るなあ………みるなみるなみるな」
彼は嗚咽の混じった呻き声で地面を舐めるように蹲った。
胃の中が騒がしい。勢いが喉をよじ登ったかと思うと、とっぷりと彼の口から溶物が零された。
口の中がにちゃにちゃとして気持ち悪い。吐き出されるうちにそれは固形のものを含むようになった。彼は溶けかけのそれをもう一度反芻してごっくんと飲み込む。にゅるりとした感触とともに、それは喉に押し込まれる。
彼は息切れしながら嗤う。
「………はっ、はははははははっ、美味しいぞ
……これは………お前らより綺麗で、美しくて、繊細な芸術品だ………」
人々はその異様な光景に恐怖して逃げ出す。
彼は涎にまみれた顔を上げる。
一瞬、景色がぐらりと揺れて、以前の綺麗な世界に戻った。
群衆は怪物に戻る。
彼はそれに安堵し、呼吸を整えながらその風景を眺めた。
(美しい……………)
ふと、その群衆の中に、母の姿を見つけた。
彼は母に四つん這いになりながらずるずると近づいた。
母は、今日は1つの顔だった。
醜く嗄れていた。
彼は、目を見張っていった。
「母さん…………今日は一段と、綺麗だね」
母は、表情を曇らせ、彼を蹴った。
「このっ………怪物!」
その隣には、訝しげな顔をする紙幣があった。
怪物少年 @azhr123
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます