第三章 エピソード6

セレスティア神聖国

王立学院・寄宿舎 ― ルナリアの部屋(夜)


星がまたたく夜空に、三つの月が浮かんでいた。


蒼、銀、そして淡紅――


それぞれが異なる光を宿しながら、

静かに寄り添うように輝いている。

窓辺のレースカーテンは、その混ざり合う月光を受け、

まるで夢の綾のように淡く染め上げられていた。


夜の帳が降りた学院の寄宿舎には、

昼間の喧噪が嘘のように、深い静寂が広がっている。


――この世界の夜は、どうしてこんなにも、静かで、遠いのだろう。


『すゃ~……』


ルナリアの脳内で、まひるの寝息が響いていた。

あれほど饒舌だった彼女の声は、夕食後を境に途切れ、

まるで糸が切れたように沈黙した。


『……乙女ゲースイッチ……強制オフ……

 フラグ回収……完走……Zzz』


寝言まで“乙女ゲー”の香りが……。

思わずルナリアは、くすりと笑う。


(……本当に、あなた、27歳なのかしら)


シナモンを少々ブレンドした紅茶の湯気を吸い込みながら、

ルナリアは月明かりの差す窓辺に目をやった。


(……わたくしも、今日は少し、疲れましたわ)


講堂での視線。

昼休みのざわめき。

そして――あの王子との邂逅。


思い通りにはいかなかった。

けれど、それでもどこかに残る、静かな満足感。


(……まひるさんの声がないと、少しだけ寂しく感じますわね)


一口、紅茶を口にすると、

シナモンの香りが、やさしく鼻をくすぐる。


静かな夜に包まれながら、

ルナリアはふと、過去の自分に思いを馳せる。


(“氷の百合”などと、呼ばれていましたわね)


――学院の図書館。


下級生の少女が手に取ったのは、一冊の魔導書。

その少女は、嬉しそうにページをめくっていた。


意味は分からずとも、

“高度な術式が書かれた本を読んでいる自分”に

満足していただけなのかもしれない。


「――あなたには、ふさわしくありませんわ。

 それは“読み手を選ぶ”書。返しなさい」


少女の手から、本を取り上げていた。


声音は冷たく、言葉は鋭かった。


まさに――“無知を嗤う貴族”。

その姿そのものだった。


(下手に優しくして、危険な知識を与えれば、

 “妃としての不覚”――)

(それなら、“正しさ”で封じるべき――

 そう、信じていたのですわ)


妃教育――

それは、誤りなきふるまいを是とする、

無謬の仮面をかぶる訓練。


(でも、あのときの彼女は……泣いていましたわ)


肩を震わせ、声を殺していた。

“高度な術式に触れてみたい”――

その小さな願いを、わたくしは踏みにじった。


もし、あの時――

まひるが隣にいてくれたなら。


きっと、こう言ったでしょう。


『ルナリアさん、それはアウトです!

 破滅フラグ一直線ですよっ!!』


(……ふふっ)


思わず、ひとりで小さく笑ってしまう。


あの時の少女は、今も学院にいる。

図書館の廊下ですれ違うたびに、

未だに目を伏せ、足早に去っていく。


彼女が泣いたのは、自分の力不足を思い知らされたから。

――あのときは、ただそれだけのことだと思っていました。


(彼女には、わたくしの言葉が

 “届かなかった”のですわね)


今日、初めて――

自分の想いを“自分の言葉”で話した。


そして、ほんの少しだけ、

王子に届いた気がする。


まひるという異邦の魂が、

そばにいてくれたからこそ。


(……言葉とは、“正しさを届ける”ものではなく、

 “想いを届ける”ものなのかもしれませんわ)


それは、ルナリアにとって、

初めての気づきだった。


(せめて、あの子にもう一度だけ……

 あの時の続きを、

 わたくしの言葉で話すことができたなら)


そっとカーテンを開くと、

月明かりが胸元のペンダントを照らした。


(あのとき、女神アルフェリス様に願いました。

 “この想いが、誰かひとりにでも届きますように”――と)


そっとナイトガウンの胸元に手を当てる。

ペンダントが、月の光にふわりときらめく。


そして、あの夜の願いが、

形となって応えたように――

まひるが現れた。


偶然なのか、奇跡なのか。

それは分からない。

けれど確かに、何かが変わり始めた。


(王子の前で口にした言葉は、

 誰かが与えた言葉ではなく、

 わたくし自身の想いを言葉にしたものでした)


これまでは、それが怖かった――

仮面を被った妃としてではなく、

“ルナリア”として声を発することが。


想いを自分の言葉で届けるということは、

その責任も、自らが負うということ。


だからこそ。

まひるの言う“破滅フラグ”に

近づいたとしても――後悔はない。


『……ルナリアさん……

 破滅フラグ、起動してます……』


まひるの寝言が、

夜の静寂を、ゆるく揺らす。


(……聞こえていましたの?)


『スリープモードで……

 間欠受信中です……』


ルナリアは笑い、

ゆっくりとベッドの縁に腰を下ろす。


けれど、

そっと寄り添ってくれるような気配だけが、

確かにそこにあった。


(少しずつでも、選べるようになりたい。

 “正しさ”ではなく、“届く言葉”を――)

(王子のまなざしが、

 ほんの一瞬だけ変わった、あの瞬間……

 確かに“伝わった”と感じましたわ)

(……言葉とは、

 誰かの心をそっと照らす、

 小さなろうそくのようなものなのかもしれませんわね)


机の上のキャンドルが、ゆらりと揺れる。

視線は、本のページではなく、遥か遠くを見ていた。


『……ルナリアさん……

 スコップは……正面から……

 “破滅フラグ”を掘り返さないように……』


(……まひるさん?)


思わず、くすっと笑みが零れる。


(……あなたは、いつだって、

 わたくしの心配ばかりしてくださるのですね)

(けれど――あなた自身の“好き”や“望み”は、

 ちゃんと叶えられているのでしょうか)


『……ご奉仕活動……

 筋肉痛フラグ……接近中……Zzz』


まったく。

夢の中でも“乙女ゲー”に“社畜”なのだから。


そっと毛布を整え、

ルナリアは月を見上げた。


(……あなたの言葉や、そのささやかな行動が――)


(わたくしを救ってくださっていると、

 気づけただけで……

 今日は、もう十分ですわ)


『……ルナリアさん、明日も一緒に……

 破滅フラグ、順次対応させて頂きますので……Zzz』


その寝言に、ルナリアはそっと微笑んだ。


夜は、静かに更けていく。

三つの月が、その微笑みを照らしていた。


***


そして――

翌朝。


朝の光が差し込む室内に、

ルナリアの規則正しいルーティンが始まっていた。


空になったモーニングティーのカップを、

テーブルにそっと置く。


鏡の前で髪を整え、

制服の襟を正し、

最後に、ふわりと金糸のような髪を肩にかける。


扉の前に立ち、

深く息を吸い込んだ、その瞬間――


『おっはようございまーっす!

 社畜は朝が勝負っすよー!

 さあ、パンを咥えて猛ダッシュです!』


(……やっぱり、あなた……うるさいですわね)


でも、不思議と煩わしくはなかった。

むしろ、ほんの少しだけ――

その声を聞いた瞬間、

心が軽くなっていた。


(今日という一日が、

 どんなに“破滅フラグ”だらけでも――)


彼女には――

隣で笑ってくれる、たったひとりがいるのだから。



……そして、奉仕日の学院。


“小さき花の革命”の始まりが――

静かに、動き出そうとしていた。


それは、まだ、ほんの小さな一歩。

けれど――物語は、確かに次の幕へと進もうとしていた。

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