第二章 エピソード2
――聖都セレスティア・下町エリア。
白い石造りの家々が肩を寄せ合い、赤茶色の屋根瓦が夕陽にやさしく染まる――ちょうど夕餉の時間。
坂道の先には、どこまでも続く緩やかな石畳の小路が伸びている。
窓辺には色とりどりの花が咲き誇り、開け放たれた扉からは焼きたてのパンとハーブの香りがふわりと漂う。
どこからか聞こえる子どもたちの笑い声と、鍋をかき混ぜる音。
(……これが、乙女ゲーの“下町”……?)
まひるは思わずスカートの裾をつまんで、くるりと一回転。
ふわりと広がるスカートに、金の混じった銀糸の髪が夕陽を受けてきらめいた。
「なにここ……! リアル異世界情緒、最高なんですけどっ!」
心の中で拍手喝采。
現実を忘れそうになるほど、温かくてやさしい空気がそこにはあった。
(これなら毎日でも散歩したいなぁ……
社畜時代じゃ考えられなかった贅沢……♪)
そんなふうに夢見心地で坂道を下っていくと――
「ミケぇぇぇぇ!!
もうどこ行っちゃったのぉ……!」
石畳の路地から、必死な声が飛び込んできた。
道端で泣いている小さな女の子と、おろおろする母親。
その傍らには買い物かごの中身も散乱している。
(よし、来た! 小動物救出系善行イベント!)
「どうかしましたか?」
そっと声をかけ、さっと買い物かごの中身を拾い集め――
「どうぞ!」
母娘は――凍りついた。
「えっ……!? お、お嬢様!? あ、あの……」
「ル、ルナリア様……!?」
母親の声がうわずる。
娘は目をまん丸に見開いて、言葉を失っている。
まひるはルナリアの顔で、満面の笑みを浮かべた。
「うん、わたしはルナリアです~!
あのね、ミケちゃんって、どんな猫?」
「しろくて、くろくて、しましまのしっぽ!」
(……三毛ちゃうやん……? まぁいっか)
買い物かごを、口を開けたまま固まっている母親に渡す。
「じゃあ探してくるね!」
「では、ミケちゃん確保案件、至急対応いたします!
納期厳守は社畜の嗜みですから!」
スカートを気にせずしゃがみ込み、
まひるは道端の隙間や物陰を覗き込んでは走り回る。
「……いた! そこの荷車の下!
……って、ミケちゃーん、待ってぇえ!」
ばさっ!とスカートが跳ね上がり、髪も乱れ、泥だらけになりながら――
……気づけば、足元は土にまみれ、髪には枯葉が刺さっていた。
「ほら、捕まえたよーっ!」
夕陽を背に、まひる(ルナリアの姿)は小さな腕にふわふわの猫を抱き上げた。
泥に染まったドレスの裾がひらりと揺れ、銀の混じった金糸の髪は風にふわりと舞う。
抱きしめた白黒ぶちの猫に、そっと頬をすり寄せると――
「にゃ~」と甘えるような声が響いた。
まひるは嬉しそうに目を細め、柔らかな微笑みを浮かべる。
(はぁぁ……癒される……。
これが転生してまで味わう、“異世界もふもふライフ”ってやつかぁ……♪)
夕陽に染まる街道に立つその姿は、
――まるで童話の一頁から抜け出したように、あたたかく美しかった。
ふと見れば、この猫ちゃん……
白地に黒ぶち、そして尻尾だけトラ模様――確かに、三毛っぽい……ような気もする。
両手で脇を抱えて母娘に差し出すと、猫は重力に逆らわず、びよ~んと伸びる。
(これこれ~、猫カフェ思い出すな~)
「ミケぇぇぇっ!!!」
子どもは泣きながら猫を抱き上げ、母親はおろおろしながら言う。
「お、お嬢様……その、お手を汚すなんて、そんな恐れ多い……!」
「ううん、大丈夫です! わたし猫大好きですしっ!」
まひるが断言すると、子どもは屈託のない笑顔をまひるに向けた。
「ありがとうお姉ちゃん!!!」
「……本当に、ありがとうございました……!
まさか、“氷の百合”と呼ばれるお嬢様が――こんなにお優しいなんて……」
泥と笑顔でぐちゃぐちゃなまひる(ルナリアの姿)に、
母子は深く、心から頭を下げた。
(よーし善行イベント①、クリア!)
(これでルナリアさんの好感度も+3は間違いなし! よきよき)
ドヤ顔で、次なる善行イベントを探しに行くまひるなのであった。
***
「……すみません、どなたか……階段が……」
狭い路地裏の石段の下で、杖をついた老婦人が立ちすくんでいた。
(早速きたきた! 老婦人救助イベントフラグ!)
満面の笑みを浮かべたまひる(ルナリアの姿)は、老婦人に軽やかに近づく。
「どうしましたか?」
振り返った老婦人の瞳が驚愕に染まり、顔がひきつった。
「……ル、ルナリアお嬢様……!?
な、なぜこんな場所に……!?」
(てか、さっきの母娘といい、ルナリアさんって有名なのかな??
まいっか。それより、善行イベントフラグ回収回収!)
「たまたまお散歩中で~す。どうぞ、背中にどうぞ!」
「え、えぇぇ!? そ、それはさすがにっ……!」
「だいじょうぶ、平気ですっ! 今、筋トレ中なんです~!
昔は会社の階段をダッシュしてましたから♪」
(あ、そっか、さっき猫ちゃん探したときに……)
「あ! そうですよね。ごめんなさい」
そそくさと、ドレスについた泥や草を手で払う。
――そして、にっこり笑って、ひょいっとおぶる。
「ひょ、ひょぇぇ……!? しっ、失礼いたします……」
階段を一歩ずつ、慎重に上がるまひる。
すれ違う人々がざわめき、噂する。
「ルナリア様……あのルナリア様が……?」
「どうしたのかしら……? 別人のように……」
階段を上がるたびに、周囲の視線がじわじわと突き刺さる。
(……え、そんなに珍しい? 善行って基本でしょ?)
頂上まで上りきったところで、老婦人がそっと言う。
「……あの、ありがとうございました。本当に、助かりました」
「ううん、こちらこそ。いい筋トレになりました♪」
頂上にたどり着いたとき、ほんの少しだけ息が上がった。
でも、それ以上に――背中に感じた「ありがとう」が温かくて。
ふと振り向くと、ぱちぱち――と、階段の周囲で拍手が沸いていた。
最初は遠慮がちだったその音が、次第に大きな輪となって広がっていく。
「ルナリア様! 見直しました!」(お兄さんの声)
「ほれぼれしました。令嬢の鏡です!」(お姉さんの声)
「お姉ちゃん、かっこよかったー!」(子どもの声)
「あの”氷の百合”が……”泥の百合”に!」(通りすがりの貴族の声)
「さすがセレスティアの誇りじゃ!」(おじいさんの声)
「僕たちも助け合おう! ささ、おじいさん、僕の手を取って!」(お兄さんの声)
「未来の王妃様、万歳!」(たくさんの声)
(えっ……なんか、これ……めっちゃ“人事評価”上がってる感じしない!?)
(いやいや、これは善行……ボランティアだから……
え、でも評価されるのは素直に嬉しいかも……♪)
拍手喝采を浴びながら、まひるはそっと一歩前へ出た。
沈みゆく光を浴び、陽だまりを編んだような髪がふわりと揺れる。
泥に染まったドレスの裾も気に留めず、まひるは礼をした。
それは――乙女ゲーの定番。いわゆるカーテシー。
背筋を伸ばしたまま裾を摘まむと、左足を下げ、右足を曲げて身体を落とす。
まひるも驚くほど自然に。
きっとそれは――ルナリアの身体に染みついた所作。
その瞬間、場のざわめきが静まり返り――誰もが息を呑んだ。
そして、すっと背筋を伸ばして立つ。
柔らかな微笑みを浮かべ、胸元でそっと手を重ねたその姿は――
まるで、一輪の百合が誇らしげに咲き誇るかのよう。
「あの、たったの一睨みで市場全体が凍り付いたというルナリア様が――
微笑んだ……!」(たまたま見ていたどこかの執事の声)
「……この日から語り草になったんだ。“氷の百合が微笑んだ日”ってな」(通りすがりのおじさんの声)
まひる(ルナリアの姿)はくるりと踵を返すと、拍手を背に歩き出す。
(ふふっ、善行イベント②まで完璧……!)
(これで“庶民好感度”も爆上げですな♪)
(庶民につるし上げられてギロチンエンドとか、最悪ですからっ♪)
――その背中を、誰もが憧れの眼差しで見つめていた。
(いやー、ほんと、善行って気持ちいいな~♪)
……その笑顔が、どれほど人々の心に刻まれたのか、当の本人は知る由もなく――。
***
夕暮れの教会裏庭。
物干し竿に揺れるシスターのスカートの向こうで――
スコップを手に、黙々と草を抜くまひるの姿。
「スコップ転がっててラッキーだったな~」
「うん、まずアイテム探しから始めなきゃいけないのが、
乙女ゲーの定番ですから――
『ルナリアはスコップを見つけた』的なやつ」
「んしょ、んしょ……。
ハーブじゃなかった……これはロゼッタなのかな? ただのタンポポ……」
「……あら?」
近くを通りかかったシスターが、その姿に足を止めた。
「ルナリア様……? ……ご自分で、草を?」
「はい~! なんか整ってると、気分も整うというか……なんというか♪」
目を真ん丸にしたまま、シスターが小さな声を漏らす。
「……あ、それ……夏には綺麗な花が……」
「えっ!?」
まひるが今抜いたばかりの草を握ったまま振り返ると――
「も、申し訳ありません! ルナリア様!」
「いやいや、こちらこそごめんなさい。
危うく抜いちゃうところでした~。えへへ。
教えてくれてありがとうございます!」
まひるはさっき抜いた草を、慌てて植え直す。
これでよし。
社畜のリカバリー力、完璧!
シスターがそっと胸に手を当て、静かに頭を下げる。
(……これが“氷の百合”と呼ばれているお方だなんて……
きっと、噂は間違っていたのね……)
日が落ち、まひるのスカートは泥に染まり、手には土の匂いがしみこんでいた。
でも――心はすっきりしていた。
雑草はきれいになくなり、つるっとした裏庭。
まひるは大いに満足してうなずいた。
「ふぅ……乙女ゲー善行×3、完了ですっ!」
(今日はいい仕事したなぁ……乙女ゲー世界でも――こんなに社畜精神が役立つなんて)
まひるは空の三つの月を眺めながら、腕で額の汗をぬぐった。
「しかも、その日のうちに帰れるって……。こんなの何年ぶりかよ~」
月の光を受けて、星屑を織り込んだような髪が、そよ風にそっと揺れる。
顔も服も泥に染まりながらも、ルナリア(中身はまひる)は静かに微笑んでいた。
その姿は――どんな女神よりも、生気に満ちて美しかったという。
(よし、完璧。これで”庶民発ギロチン”破滅フラグの可能性は消滅だねっ♪)
まひるの耳に、少し離れた舞踏会場の音楽がかすかに流れてくる。
(次は……とっ)
(舞踏会の時間かな――
王子とセリアちゃん、ちょっとだけ見に行っちゃおうかな。
やっぱり、社畜的にPDCAは大切だよね。チェックチェック♪)
――でも、まひるは大事なことを忘れていた……かもしれない。
「破滅フラグは、一つ対応しただけじゃ終わらない」
ってこと。
サブキャラ、モブキャラ、果ては世界そのものから刺さる理不尽フラグの存在を。
そもそも、さっきセリアちゃんに丸投げした破滅フラグ①『婚約破棄イベント』の“予防接種”だって、本当に効いているかは――
神のみぞ知る、かもしれない……のに。
(……いやいや、そんな鬼畜ゲーなわけ……ないよね? ね?)
(でもでも、またフラグ立ったら――順次対応させて頂きます!)
まひるは、どこか背筋に寒気を感じつつも、能天気に歩き出した――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます