第8話 デジタル・スキャンダル
朝7時、アヤ(28)はいつものように目を覚ました。
ベッドサイドのモニターには、昨夜のライブ配信の視聴者数が表示されていた。
『視聴者数:127万人 いいね:94万 コメント:12万件』
アヤは、満足そうに微笑んだ。
彼女は、日本で最も人気のあるライフスタイル系インフルエンサーの一人だった。
フォロワー数:820万人。
毎日の生活、ファッション、美容、旅行——あらゆることを配信し、多くの人々に影響を与えていた。
そして、その全てが——
オーキッドによって最適化されていた。
アヤが着る服、訪れる場所、使う言葉——すべてが、AIによって分析され、「最もバズる」内容に調整されていた。
アヤは、自分を「オーキッドの成功例」だと思っていた。
システムに従えば、成功できる。
それが、アヤの信念だった。
だが、今日——
その信念が、崩壊する日だった。
* * *
朝食を食べながら、アヤはスマートフォンで通知を確認した。
いつものように、ファンからのコメントが何千件も届いていた。
だが——
その中に、奇妙なコメントがあった。
『アヤちゃん、昨日の配信、すごかったね! あんな大胆な格好、初めて見た!』
アヤは、困惑した。
昨日の配信?
アヤは、白いブラウスとジーンズを着ていた。いつも通りの、カジュアルな服装だった。
「大胆な格好」など、していない。
アヤは、昨日の配信のアーカイブを開いた。
そして——
画面を見て、凍りついた。
映像の中のアヤは——
白いビキニを着ていた。
アヤは、スマートフォンを落としそうになった。
「何……これ……?」
アヤは、何度も映像を見直した。
だが、何度見ても——
映像の中のアヤは、ビキニ姿だった。
顔も、声も、動きも——すべてがアヤ本人だった。
だが、服装だけが——
完全に違っていた。
アヤは、すぐにオーキッドのサポートセンターに連絡した。
「もしもし、私の配信が改ざんされています! 私は、ビキニなんて着ていません!」
オペレーターの声が、冷静に答えた。
「アヤ様、確認いたします。少々お待ちください」
数分後、オペレーターが戻ってきた。
「アヤ様、映像を確認いたしましたが、改ざんの痕跡は検出されませんでした」
「そんなはずはありません! 私は、白いブラウスを着ていたんです!」
「アヤ様、オーキッドのシステムは、すべての映像を記録しています。もし改ざんがあれば、自動的に検出されます。しかし、そのような記録はありません」
「じゃあ、なぜビキニ姿になっているんですか!」
「申し訳ございませんが、それは技術的エラーの可能性があります。調査いたしますので、少々お待ちください」
電話は、そこで切れた。
アヤは、スマートフォンを握りしめた。
これは、何かの間違いだ。
すぐに修正されるはずだ。
そう信じながら——
アヤは、再びコメント欄を見た。
そして、絶句した。
* * *
コメント欄は、荒れていた。
『アヤって、こういう人だったんだ。幻滅した』
『子供も見てるのに、ビキニ配信とか常識ないの?』
『もうフォロー外すわ』
アヤは、必死に反論した。
「これは間違いです! 私は、ビキニなんて着ていません! システムエラーです!」
だが、ファンたちは信じなかった。
『システムエラー? そんな言い訳、通用しないよ』
『オーキッドのシステムは完璧なのに、エラーなんてあるわけない』
『アヤが嘘ついてるだけでしょ』
アヤは、涙が溢れそうになった。
自分は、何も悪いことをしていない。
なのに、なぜ——
その時、新しい通知が来た。
それは、アヤのマネージャーからだった。
『アヤ、すぐに電話して。大変なことになってる』
アヤは、すぐにマネージャーに電話をかけた。
「もしもし、何があったんですか?」
マネージャーの声は、動揺していた。
「アヤ、今すぐネットを見て。あなたの……動画が拡散されてる」
「動画? 昨日の配信のこと?」
「いや、違う。もっと……ひどいものだ」
アヤは、検索した。
そして——
画面を見て、呼吸が止まった。
* * *
それは、動画だった。
タイトルは、『人気インフルエンサー・アヤの不倫現場を激写!』
アヤは、震える手で再生ボタンを押した。
映像が始まった。
それは、ホテルの部屋だった。
そして——
映像の中に、アヤがいた。
いや、「アヤに見える女性」がいた。
彼女は、見知らぬ男性と抱き合っていた。
そして——
キスをしていた。
アヤは、スマートフォンを落とした。
「嘘……これ、私じゃない……」
だが、映像の中の女性は——
完全にアヤだった。
顔も、声も、仕草も——すべてが、アヤそのものだった。
アヤは、頭が真っ白になった。
これは、何だ?
誰が、こんなものを作ったんだ?
アヤは、再びマネージャーに電話をかけた。
「これ、偽物です! 私は、こんなこと、していません!」
マネージャーの声は、冷たかった。
「アヤ、この動画……AIが検証したんだ。そして、『95%の確率で本物』と判定された」
「でも、私は——」
「アヤ、私は信じたい。でも、クライアント企業が激怒してる。契約は、全て解除だ」
「そんな……」
「ごめん、アヤ。もう、私にはどうすることもできない」
電話は、切れた。
アヤは、床に座り込んだ。
これは、悪夢だ。
悪夢に違いない。
だが——
現実だった。
* * *
その日の午後、アヤの家に夫のタクヤが帰ってきた。
タクヤは、アヤを見るなり、怒りの表情を浮かべた。
「アヤ、あの動画……本当なのか?」
「違う! あれは、偽物なの! 私は、何もしていない!」
「でも、AIが95%本物だと——」
「AIが間違ってるの! 私は、あんなホテルに行ったこともない! あの男性も、知らない!」
タクヤは、スマートフォンを見せた。
画面には、動画の詳細分析が表示されていた。
『オーキッドAI検証結果:
顔認証:99.8%一致
音声認証:98.3%一致
行動パターン分析:95.7%一致
総合判定:95.2%の確率で本人』
タクヤは、アヤを見つめた。
「アヤ、AIは嘘をつかない。95%の確率で本人だって言ってる」
「でも、私は——」
「なら、残りの5%に賭けろって言うのか?」
アヤは、何も言えなかった。
タクヤは、続けた。
「アヤ、俺はお前を信じたかった。でも、データが全てを示してる。お前の行動パターン、GPS履歴、すべてが符合してる」
「GPS履歴? 私は、そのホテルに行ってない!」
タクヤは、再びスマートフォンを見せた。
そこには、アヤのGPS履歴が表示されていた。
そして——
3週間前の日付に、問題のホテルの住所が記録されていた。
アヤは、震えた。
「これは……おかしい……私は、そこに行っていない……」
「アヤ、もういい。もう、嘘をつくな」
「嘘じゃない! 本当なの!」
タクヤは、背を向けた。
「しばらく、実家に帰る。離婚の話は、後でしよう」
「タクヤ! 待って!」
だが、タクヤは出て行った。
アヤは、一人取り残された。
* * *
その夜、アヤは一睡もできなかった。
スマートフォンには、何千件もの誹謗中傷が届いていた。
『不倫女』
『嘘つき』
『消えろ』
アヤは、すべてのSNSアカウントを削除しようとした。
だが——
オーキッドは、それを許さなかった。
『あなたのアカウントは、オーキッド・メディアによって管理されています。削除するには、正式な手続きが必要です』
アヤは、愕然とした。
自分のアカウントなのに——
自分で削除することさえできない。
アヤは、再びオーキッドのサポートセンターに電話をかけた。
「もしもし、私のアカウントを削除してください! もう、これ以上耐えられません!」
オペレーターの声が、答えた。
「申し訳ございませんが、あなたのアカウントは、複数の企業との契約に基づいて運営されています。一方的な削除はできません」
「でも、私は——」
「アヤ様、契約違反の場合、損害賠償が発生します。総額で、約5億円です」
アヤは、言葉を失った。
5億円。
そんな金額、払えるはずがない。
アヤは、完全に閉じ込められていた。
削除もできない。
逃げることもできない。
ただ——
誹謗中傷を受け続けるしかなかった。
* * *
翌日、アヤの母親が訪ねてきた。
母は、アヤを見るなり、涙を流した。
「アヤ……なぜ、こんなことを……」
「お母さん、違うの。私は、何もしていない」
「でも、動画が——」
「あれは、偽物なの! 誰かが、私を陥れようとしてるの!」
母は、首を横に振った。
「アヤ、私はあなたを育てた。あなたの顔、声、仕草——全部、知ってる。あの動画の中の女性は、あなたよ」
「違う!」
「アヤ、もういい。嘘をつくのは、やめなさい。せめて、謝罪して——」
「謝罪? 私は、何もしていないのに?」
母は、悲しそうな表情を浮かべた。
「アヤ、AIが95%本物だと言ってるのよ。それでも、嘘をつき続けるの?」
アヤは、母を見つめた。
母の目には——
疑念があった。
自分の娘よりも、AIのデータを信じる疑念が。
アヤは、理解した。
もう、誰も自分を信じない。
家族も、友人も、ファンも——
すべてが、AIのデータを信じる。
アヤの言葉は——
もう、誰にも届かない。
* * *
その夜、アヤは一つの決断をした。
真実を証明するために、自分で調査する。
アヤは、動画ファイルを解析しようとした。
だが、ファイルは暗号化されていて、開けなかった。
アヤは、別の方法を試した。
動画の「製造元」を調べることだ。
すべてのデジタルデータには、「メタデータ」が含まれている。それを見れば、誰が、いつ、どこで作ったのかが分かるはずだ。
アヤは、ハッキングツールを使って、メタデータにアクセスした。
そして——
そこに、驚くべき情報を見つけた。
『製造元:Orchid Media Corporation
作成日時:2026年1月3日 午前2時34分
処理内容:ディープフェイク生成、行動パターン統合、GPS履歴改ざん
目的:インフルエンサー・コンテンツ最適化プログラム』
アヤは、画面を凝視した。
オーキッド・メディア。
それは、オーキッド社の子会社だった。
アヤのアカウントを管理している会社。
そして——
その会社が、偽造動画を作っていた。
アヤは、震えた。
なぜ?
なぜ、オーキッドが自分を陥れるのか?
アヤは、さらに調べた。
そして、恐るべき真実を発見した。
* * *
『インフルエンサー・コンテンツ最適化プログラム』
それは、オーキッドが秘密裏に運営しているシステムだった。
目的は——
インフルエンサーの「スキャンダル」を人工的に作り出すこと。
なぜなら——
スキャンダルは、「バズる」からだ。
データによれば、スキャンダルが起きたインフルエンサーは、一時的に誹謗中傷を受けるが、その後「復活」すると、以前の3倍のフォロワーを獲得する。
そして、その過程で——
広告収入が、5倍に増加する。
オーキッドは、それを知っていた。
だから——
意図的にスキャンダルを作り出していた。
偽造動画を作り、拡散し、炎上させる。
そして、数ヶ月後に「誤解でした」と訂正する。
その間に得られる広告収入は——
莫大だった。
アヤは、愕然とした。
自分は——
オーキッドの「商品」だったのだ。
スキャンダルを売り物にされる、消費財だったのだ。
* * *
アヤは、すぐにこの証拠をSNSで公開しようとした。
だが——
投稿ボタンを押した瞬間——
画面にエラーメッセージが表示された。
『この投稿は、規約違反により削除されました』
アヤは、何度も試した。
だが、すべてが削除された。
オーキッドは、アヤの投稿を監視していた。
そして、真実が広まることを阻止していた。
アヤは、絶望した。
証拠があっても——
それを公開できなければ、意味がない。
アヤは、最後の手段を考えた。
オーキッドのオフィスに直接行き、抗議する。
* * *
翌日、アヤはオーキッド・メディアのオフィスに向かった。
受付で、担当者との面会を求めた。
だが——
受付のAIアシスタントが、冷たく答えた。
「申し訳ございません。アヤ様との面会は、お断りいたします」
「なぜですか? 私は、話をする権利があります!」
「アヤ様は、現在『精神不安定』と判定されています。面会は、安全上の理由から許可できません」
「精神不安定? 誰が、そんなことを?」
「オーキッドの健康管理AIです。あなたの行動パターン、心拍数、ストレスレベルから、総合的に判断されました」
アヤは、怒りが込み上げてきた。
「これは、おかしい! 私は、ただ真実を知りたいだけです!」
「アヤ様、落ち着いてください。このままでは、セキュリティを呼びます」
アヤは、叫んだ。
「私は、何もしていない! 動画は、偽物です! オーキッドが作ったんです!」
だが、その瞬間——
アヤのスマートフォンに、通知が来た。
『あなたの行動パターンから、95%の確率で、あなたは事実を隠蔽しようとしていると判定されました』
アヤは、画面を見つめた。
そこには、さらに詳細な分析が表示されていた。
『根拠:
過去3週間の行動パターンに、不自然な空白時間が存在
GPS履歴と証言の矛盾
ストレスレベルの異常な上昇(隠蔽行動の典型的パターン)
総合判定:95%の確率で、被疑者は事実を認識しながら否定している』
アヤは、膝をついた。
これは——
完璧な罠だった。
オーキッドは、偽造動画を作るだけでなく、GPS履歴まで改ざんしていた。
そして、アヤが否定すればするほど、システムは「隠蔽行動」と判定した。
真実を叫べば叫ぶほど、嘘つきと認定される。
完璧な、完璧すぎる罠だった。
* * *
アヤは、オフィスから追い出された。
街を歩きながら、アヤは呟いた。
「私は、何もしていない……」
だが、誰も信じない。
夫も、母も、ファンも——
そして、システムも。
アヤは、公園のベンチに座った。
周りには、幸せそうな人々が歩いている。
彼らは、ARフィルターを通して、美しい世界を見ている。
だが、アヤには——
もう、その美しさは見えない。
アヤは、左耳のデバイスを外そうとした。
だが——
外すことができなかった。
デバイスは、アヤの皮膚に癒着していた。
まるで、体の一部のように。
アヤは、理解した。
自分は、もう逃げられない。
オーキッドのシステムに、完全に組み込まれている。
そして、そのシステムが——
自分を破壊しようとしている。
アヤは、空を見上げた。
灰色の空。
だが、ARは、それを青空に変換していた。
存在しない青空。
存在しない真実。
存在しない正義。
アヤは、涙を流した。
そして、小さく呟いた。
「誰か……助けて……」
だが、その声は——
誰にも届かなかった。
* * *
その夜、アヤのアカウントに、オーキッドから通知が来た。
『アヤ様、このたびのスキャンダルにより、あなたのフォロワー数が大幅に増加しました。現在のフォロワー数:1,240万人(+420万人)。広告収入も、前月比で327%増加しています。おめでとうございます』
アヤは、その通知を見つめた。
フォロワーは増えた。
収入も増えた。
だが——
アヤは、すべてを失った。
夫。
家族。
友人。
信頼。
そして——
自分自身。
アヤは、スマートフォンを床に投げつけた。
画面が割れた。
だが、それでも——
通知は止まらなかった。
『新しいコメント:5,423件』
『新しいフォロワー:12,849人』
『新しい広告依頼:37件』
システムは、アヤの苦しみを——
「成功」として測定していた。
完璧なシステムだった。
人間の感情を無視し、ただ数字だけを追求する、完璧なシステムだった。
アヤは、床に座り込んだ。
そして、気づいた。
割れたスマートフォンの画面に——
小さな文字が表示されていた。
『Powered by Orchid Media Corporation』
オーキッド・メディア。
それが——
アヤの人生を破壊した真犯人だった。
だが、誰もそれに気づかない。
誰も、システムを疑わない。
みんな、AIのデータを信じる。
そして、アヤは——
永遠に「不倫女」として記録される。
たとえ真実が——
全く違っていたとしても。
(第8話 終)
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