第4話:あるいは、計算された暴虐

フロリダの湿った夜風が、大統領別荘「マール・ア・ラーゴ」のテラスに塩の香りを運んでいた。  ドナルド・トランプは、金色の刺繍が施された椅子に深く腰掛け、手元のスマートフォンを操作していた。画面の淡い光が、彼の険しい、しかしどこか愉悦を湛えた眼差しを浮かび上がらせる。


「……よし、これでシカゴもポートランドも終わりだ。州兵は家に帰る。連中には、自分の街の掃除は自分たちでやらせればいい」


 投稿ボタンを叩く指の動きに、迷いはない。  そばに控えていた補佐官が、タブレットを抱えたまま慎重に口を開いた。


「大統領、国内の治安維持から手を引く一方で、南への動きが速すぎませんか。ベネズエラの埠頭爆破……市場は、この『予測不能な暴力』の正体を見極めようとしてパニックになっています」


 トランプは顔を上げず、鼻で笑った。 「パニック? いいか、それは正しい反応だ。ベネズエラのあの汚い埠頭が火柱を上げた時、マドゥロの顔がどうなったか想像してみろ。麻薬を積み込もうとした瞬間に、空から地獄が降ってきたんだ。火薬の匂いと、腐った魚の匂いが混じった最高の爆発だったろうな」


「CIAの無人機だという報道がありますが……」


「誰がやったかなんて、どうでもいいことだ」  トランプは立ち上がり、テラスの端まで歩いて闇を見つめた。 「大切なのは、『私がやると決めたら、やる』という事実だけだ。誰が引き金を引いたか知りたがるのは、責任を取りたくない臆病者だけだ。私は結果を買っている。マドゥロは拘束した。次はコロンビアだ。あそこの大統領も、白い粉を売っていい身分だと思っているようだが……長くはもたないだろうな」


 彼の言葉には、圧倒的な「実利」の響きがあった。  ベネズエラでの地上作戦、マドゥロの拘束。それはかつてのホワイトハウスが何年もかけて議論し、結局踏み込めなかった領域だった。トランプはそれを、まるで邪魔な壁をブルドーザーでなぎ倒すような手際で片付けていた。


「コロンビアの次は、メキシコですか?」補佐官が震える声で尋ねる。


「シェインバウム……あの女大統領は少し怖がっているな」  トランプは楽しげに肩を揺らした。 「私の申し出を拒み続けているが、自分の庭に毒ヘビが溢れているのに、隣人の私が差し出すマングースを拒む権利がいつまであると思う? メキシコは行動しなきゃならない。さもなければ、私がやる。我々のビジネスを邪魔する薬物と不法入国は、一掃する。これは慈善事業じゃない。ディールだ」


 トランプの脳内にある「帳簿」では、すでに中南米の地図が書き換えられていた。  石油。麻薬。国境。  彼にとって、これらはすべて「コスト」と「利益」の項目に過ぎない。


「石油の価格が下がる。これがすべてだ」  トランプは、背後の影に向かって呟くように言った。 「周辺諸国が発展し、石油が自由に、安く市場に流れ出す。そうなれば、アメリカのガソリン価格は劇的に下がる。主婦たちはスーパーで笑い、トラック運転手は私に感謝する。そのためなら、ベネズエラの埠頭の一つや二つ、消えても誰も文句は言わん。……キューバ? あそこは放っておけ。腐った果実が木から落ちるのを待つだけだ」


 その冷徹な合理性は、一種の暴力的な美学すら帯びていた。  国内の州兵を撤退させ、その余力を南への「外科手術的な軍事介入」へと振り向ける。  世界が予測していた「孤立主義」とは違う。  それは、アメリカの利益に直結しない場所からは徹底して手を引き、利益の源泉となる場所には容赦なく爪を立てる、究極の「利己的拡張主義」だった。


 翌日、エアフォースワンの機内。  高度三万フィート。雲の上を滑る巨大な銀翼の中で、トランプは記者たちに囲まれていた。  革のシートの匂いと、高級なステーキの香りが漂う機内。彼はコーラを片手に、獲物を狙う鷹のような目で記者を見据えた。


「コロンビアで作戦を行う可能性はありますか?」一人の記者が食い下がった。


 トランプは、少しだけ間を置いた。  エンジンの重低音が機体を震わせる。 「……良い考えだと思う」


 その一言で、記者たちの間に電流が走った。  それは単なる示唆ではない。すでに決定された未来の、一部が漏れ出したような響きだった。


「世界は、私にルールを守れと言う。だが、そのルールで死んだアメリカ人が何人いる? そのルールで、どれだけの金がドブに捨てられた? 二五万人のロシア人が死に、中南米から毒が流れ込んでいる。私はその汚れた帳簿を、力ずくで閉じに来たんだ」


 トランプは窓の外、眼下に広がる青い海を眺めた。  そこには、昨夜爆破されたベネズエラの埠頭の煙が、まだ微かに漂っているような気がした。


「更迭は、命令されない」  彼は独り言のように、しかし確信に満ちた声で囁いた。 「世界が、もう私に逆らうことに疲れ果てた時、平和は勝手にやってくる。……勝利のパレードはいらない。ただ、レジのベルが鳴り、石油が安く流れ出せば、それで私の勝ちだ」


 トランプはコーラを飲み干し、氷をカリリと噛み砕いた。  その冷たさが、彼の喉を通り、次なる標的への決意を冷たく研ぎ澄ませていく。  第4話への幕は、すでに上がっていた。  王は誰にも命令されない。彼はただ、自分自身の意志という名の「変数」で、世界という巨大な計算機を上書きし続けていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る