【ホラー×百合】月の光の下であの子はもう・・・

南條 綾

【ホラー×百合】月の光の下であの子はもう

 私は暗闇が嫌いだ。無音の闇に包まれると、息を呑むような圧迫感が全身を襲う。特に、こんな深い夜の闇には、何か得体の知れないものが潜んでいる気がしてならない。


 あの時、彼女がいたから、私はその闇の中で一人じゃなかった。彼女の存在が、私を支えてくれた。彼女がいてくれたから、私は前に進めたんだ。


 あの夜も、家の中は静まり返っていた。外の風の音さえ聞こえず、遠くの車の音も消え、まるで世界が息を潜めているかのようだった。私は寝室で目を閉じていたが、眠りは浅く、すぐに眠れなかった。


 その夜は、背中に視線が貼りつくみたいで、『誰かがいる』とわかった。部屋の隅から、かすかな足音が聞こえるような気がしていた。私は布団を固く握りしめた。おかしい。外に出るのは危険だ。でも、あの子が心配で、どうしても我慢できなかった。あの子が一人で怯えているのではないかと、胸がざわついた。


 しばらく迷った末、私は重い足取りでベッドから起き上がり、リビングへ向かった。廊下のフローリングが、わずかにきしむ音を立てる。それさえ、今夜は不気味に響いた。


 リビングのドアをそっと開けた瞬間、背筋に冷たいものが走った。部屋は薄暗く、窓から差し込む月の光が、床に淡い銀色の筋を描いていた。その光の輪の中で、彼女が静かに座っていた。ソファに寄りかかり、膝を抱えるように。


「綾……」彼女の声が、静かな部屋に低く響いた。その声が、なぜか胸に棘のように刺さった。普段の優しい響きとは違う、どこか遠く感じか細い声が聞こえている。彼女の顔を月明かりが照らし、輪郭を浮かび上がらせていたが、表情は影に隠れ、よく見えなかった。いや、見たはずなのに、恐怖ではなく、何か異質なものが宿っているように感じた。


「大丈夫、だよね?」私は不安を抑えきれず、声を絞り出した。返事はなく、彼女はただ私をじっと見つめているだけだった。目の奥に、何かがうごめいているような気がして、私は思わず視線を逸らした。


「怖い……」その言葉が、彼女の唇から零れた。低く、震える声で。その一言が、私の心を深く抉った。


 私は足を踏み出そうとしたが、まるで足元に根が生えたように動かない。何かに絡め取られたような、粘つく感覚。慌てて振り返ると、部屋の隅に、ぼんやりとした影があった。人影のような、輪郭の曖昧な黒い塊。


「綾、気をつけて」彼女の声が、再び響いた。今度は少し震えが強かった。私は恐怖と同時に、胸の奥が締め付けられるような痛みを覚えた。彼女を守らなければ、という思いが湧き上がり、私はようやく足を進め、彼女に近づいた。手を伸ばす。


「何がいるの?」私の声はかすれ、喉が乾いていた。


 彼女はゆっくりと立ち上がり、私の手を取った。その手の感触が、異様に冷たかった。まるで氷のような、血の通っていない冷たさ。彼女は無言で、私の手を握り返し、部屋の中を歩き始めた。影が、ゆっくりと私たちに近づいてくるように見えた。床を這うように、音もなく。


「何がいるの、教えて。」私は繰り返し問いかけたが、彼女はただ黙って手を引くだけだった。その手のひらが、ますます冷えていく気がした。


 突然、部屋全体が一瞬で暗くなった。月の光さえさえぎられたかのように、深い闇が落ちる。静寂せいじゃくがさらに重くのしかかり、耳元で何かが囁くような幻聴が聞こえた。息苦しい寒気が、背中を這い上がる。


「見てはいけないよ」彼女が小さな声で呟いた。その言葉に、私は反射的に目を閉じた。心臓が激しく鳴り、息が荒くなる。


 どれほど時間が経っただろうか。恐る恐る目を開けると「ああ……!」彼女の姿は、そこになかった。確かに手を握っていたはずなのに、手のひらには空虚な冷たさだけが残っていた。握っていた感触が、幻だったかのように消え失せていた。


 慌てて周囲を見回すと、部屋の隅の影が、こちらをじっと見つめている。影の中心に、二つの光る点――目のようなものが、私を捉えていた。心臓が早鐘のように鳴り響く。息が乱れ、膝が震えた。


 その瞬間、私は理解した。この恐怖の正体を。私たちの間に、ずっと前から、何か見えないものが潜んでいたのだ。あの子を彼女を、変えてしまったものを。


「あの子……」私は震える声で呟いた。喉がからからに乾き、言葉が途切れた。怖かった。全身が拒否するほどに。でも、進むしかない。彼女が求めた先に、必ず辿り着かなければならない。彼女を救うために、または、彼女の本当の姿を知るために。


 私は振り返らず、闇の中へと歩き続けた。影が後ろからついてくる気配を感じながら、それでも足を止めなかった。冷たい空気が肌を刺し、耳元で囁きが続く中を。闇は深く、果てしなく広がっていた。どこまで進んでも、出口は見えない。でも、私は歩く。彼女の冷たい手を探して、永遠に。

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