エピローグ

 逢恋が学校に来られるようになったのは、水曜になってからだった。彼女が幽霊として彷徨っていたのが、約九日間。その間、肉体のほうはベッドに寝たきりだったわけで、そのせいで筋肉が衰えてしまっていたらしい。車椅子に乗っていたのもそのせいだ。初めは立つことすらできなかったらしいが……月曜の放課後に見舞いに行ったときは、普通に歩いてトイレに行ってたので、真偽は不明だ。

 数日間のリハビリを経た彼女が戻ってきた日の校内は、ひどい騒ぎだった。まあ、無理もないだろう。なにせ明確に『死んだ』と発表されたはずの生徒が、何事もなかったかのように登校してきたのだから。休み時間に覗きに行ったが、朝から質問攻めに遭ったようで、彼女は疲れ切った表情で机に伏していた。

 そんな逢恋にぴったりと寄り添うように、微笑みを浮かべた舘入が体を預けていた。


 逢恋の死は、世間的には『誤報』ということになったらしい。それで騒動が収まるとは思えないが、まあそれは倉橋ら政府機関がなんとかすべきことなので、どうでもいい。なんにせよ一般人の中で真実を知っているのは、逢恋と彼女の両親以外に、俺とノエル、そして舘入だけだった。

 舘入には後日、倉橋が直接説明に行ったようだ。魂が抜け出たあとの逢恋の肉体を目撃している以上、どうしても誤魔化しきれないと判断してのことらしい。見舞いの場でばったり会ったときに、逢恋からそう聞かされた。

 先日の俺たちへの刺々しい態度を謝罪したあと、舘入はしばらく気まずそうにしていた。だが、ノエルの懐っこい性格に助けられたのか、ほどなく彼女の顔にも笑みが浮かび、病室には笑い声が満ちていった。初めて会ったときの印象とは違い、話してみれば彼女も明るくノリの軽い性格で、逢恋と気が合うのも納得だった。

 逢恋が復学し、休み時間のたびに互いの教室を行き来するようになってからは、舘入を含めた四人で話すことも増えた。といっても、逢恋と舘入がノエルで遊んでいるのを、横で見ていることのほうが多いが。


 べつに、これまでの生活がつまらないものだったわけじゃない。気の合う親友と好きなことだけ話していたあの日々も、思い返せば十分に満ち足りていた。

 けれど今、楽しげに話す彼らを眺めていると、心から『楽しい』と、そう思えた。

 そのきっかけを作った『そいつ』は、俺と目が合うなり、いつものように無邪気な笑みを見せた。


 ――俺の前に突然現れた『そいつ』は、自分が幽霊であるということすら曖昧で、見かねた俺たちが手を差し伸べなければどうなっていたのか不安になるほど、楽天的だった。

 かと思えば妙に勘が鋭かったり、意外な芯の強さを覗かせたりと、どこまでも掴みどころがない、不可解な存在だった。そして奇妙なことに、俺はそれを、どこか魅力的に感じていた。

 そうして少し心を許した途端にそいつは、ずかずかと人の心に踏み込んで、胸に空いたまま見て見ぬふりをしていた穴を、いとも簡単に埋めてしまった。大人振ろうと躍起になっていた俺を、子供のままでいいんだと言って立ち止まらせてしまった。

 俺はすっかり絆されてしまい、いつしかそいつのために動くことが、当然のことだと思い込んでいた。そいつが悲しむ顔を、怯える姿を見たくないからと、自分の身を投げ出すほどに、入れ込んでしまっていた。


 ……もはや認めざるを得ないだろう。俺は、『周郷逢恋』という少女に、恋をしていた――。


 きっと、この笑顔に慣れることは一生ないんだろう。せめてもの抵抗として、俺は堂々と目を逸らし、軽くため息をついた。


「てか終業式って何時間やんの~……?」

「知らん。まあ午前中には終わるだろ」

 空が僅かにオレンジ色を帯びはじめた帰り道。隣でうんざりとした表情を浮かべる逢恋に対し、俺は適当に返事をした。

 彼女が幽霊だったときは、そばにいてくれるだけで暑さが和らぎ、快適に過ごせていた。だがその能力が失われてしまった今、まとわりつく暑さは例年よりもひどく感じる。日は傾き、本格的な夏の到来も、まだ控えているというのに。

「じゃあ終わったらカラオケね。今度こそ」

「うっ……」

 唐突に向けられた鋭い視線に耐えきれず、咄嗟に目を逸らした。人前で歌う勇気がないので、やんわりと先延ばしにし続けてきたが……そろそろ限界みたいだ。

 と、視線を逃したその先で、ふと見覚えのある遊具が目に入った。

「そういえば、最初に会ったのってここだっけ」

 足を止め、同じように公園内へと目を向けながら、彼女は呟いた。

「あそこの滑り台の上いるときに、かおるんここ通ったんだよね」

「……あぁ、そうか」

 ようやく気付いた。あの日、滑り台の上で空を眺めていた少女が、逢恋だったことに。

「ね、ちょっと寄ってこーよ!」

 そう言って楽しげに微笑み、走り出した逢恋を追って、公園の中に足を踏み入れる。

 中央に設置されていた、金属製のシンプルな滑り台。彼女はその裏側の階段を意気揚々と駆け上がると、頂上から俺に向けて手招きをした。

「子供じゃねえんだから……」

 そのあまりの無邪気さに、つい口に出してしまった。幸い彼女には聞こえていなかったようなので、ほっと息をつきつつ階段を上る。

「ちょっ……!? 押すなよ……!」

「しょーがないじゃん、狭いんだし~」

 逢恋の言うとおり頂上のスペースは狭く、けれでもギリギリ二人分はあるはずだ。なのに彼女はぴったりと体を寄せてくる。いつのまにか、体に手すりが食い込むほど隅に追い詰められてしまっていた。

「……あのさ、アタシね、あのときここで泣いてたんだー」

 突然、彼女がそう呟いた。

「なんにも思い出せなくて、何日も歩き回って、誰にも見つけてもらえなくて……。このままずっとひとりぼっちなんだって思ったらさ、すっごく寂しくなっちゃって。それで、泣いてたの」

 俺の胸に肩を預け、じっと景色を眺めながら、彼女は言った。

「だからね、かおるんがアタシのこと見てるって気付いたとき、ほんとに嬉しかったんだ」

 柔らかな声色で、彼女はゆっくりと語った。

「……なのにさ〜、声かける暇もないくらいさっさと行っちゃったよね?」

 そう思った矢先、トーンが一段落ち、声に不満が滲みはじめた。

「そ、それは……ジロジロ見てんのも失礼かと思って……」

「しかもさ〜? せっかく話しかけてんのに全然返事してくんないし〜? 急にコケたから心配してあげただけなのに、顔見た瞬間、悲鳴上げながら逃げてくし〜?」

「いやっ、それは……! お前がいきなり部屋ん中現れるから……!」

 反論が気に障ったのか、彼女は一歩距離を取り、眼光鋭く俺を睨みつけはじめた。

「……わ、悪かったよ……」

「え〜? 謝り方違くな〜い? 前に教えたげたよね〜?」

 観念して謝ったにもかかわらず、彼女は非常に嫌味ったらしく、ニヤケ面でそう言った。しかしそれを言うなら、その件はもう許してもらったはずなんだが。

「はぁ……。ごめんなさい、でいいか?」

 そんな思いをため息とともに吐き出し、その勢いのまま、俺は二度目の謝罪をした。

「ん〜……まあいいや! 許したげる〜!」

 そしてようやく、彼女から二度目の許しと、親指と人差し指で作った丸、おまけのウインクをいただくことができた。……なんの茶番なんだこれは。


 不意に訪れた沈黙の中で、なんの変哲もない景色を、二人並んだままぼーっと眺めていた。

「……なんかさ〜、いろいろあったよね〜」

 口元を微かに綻ばせ、逢恋は言った。

「変なバケモノに追いかけられたり、食べられそうになったり……。あと、アニメみたいな戦いも見たよね。あんなのって現実でもほんとにあるんだね〜」

「……そうだな」

 俺が相槌を打つと、また、沈黙が場を満たした。けれども気まずさはあまり無く、くすぐったいような、でもどこか心地良いような、不思議な感覚だった。

 何か話題はないだろうかと思案していると、不意に逢恋がこちらに体を向けた。軽く俯いたその表情は、どこか緊張しているように見えた。

「……ごめん。けどアタシ、もう待てないから」

 呟いたその言葉の意味がよくわからず、しかし彼女の纏う雰囲気が明らかに変わったのを感じ、思わず身構える。

「ね、かおるん……」

 そして顔を上げた彼女の頬は、一段と赤く染まっていた。

「アタシね……かおるんのことが――」

 夕暮れの公園に二人きり。決意を込めた眼差しと、震える唇から紡がれた、あからさまなセリフ。逢恋が何を言おうとしているのか、寸前になってようやく、気がついた。

「――ちょっ、ちょっと待ってくれ!!」

 決定的な単語が放たれるその直前、俺は声を上げて彼女を止めた。

「な、なに!? 急に……!」

 突然の大声に、彼女は面食らったように瞬きを繰り返し、ぎゅっと眉根を寄せている。

「悪い……けど、その……」

 覚悟を決める暇もなく、突如として訪れた正念場。内臓がひっくり返りそうなほどの緊張に襲われながらも、必死に声を絞り出す。

 ……これだけは、自分から伝えるべきだと思っていたから。

「そこから先は、俺に言わせてほしい……」

 一瞬の静寂のあと、彼女は大きく目を見開き、震える両手で口元を覆った。

「逢恋、俺は……」

 こういうとき、どうやって思いを伝えたらいいんだろうか。ここが気に入っただとか、こういうところに惹かれただとか、つらつらと並び立てて、言葉を尽くすべきなんだろうか。

 ……そんな器用なこと、できそうにないな。

「俺は、お前が好きだ」

 ほんの短い言葉に全ての想いを込め、そっと手渡すように呟いた。

「――っ! アタシもっ! アタシもかおるんが好きっ!」

 目に涙をいっぱいに溜めながら、逢恋は感情をぶつけるような声色で俺に応えてくれた。そしてそのまま、縋るように俺の胸へと飛び込んできた。

「最初からずっとっ……! ひとりぼっちだったアタシをっ、見つけてくれたときから……! ずっと好きだったのっ!」

 俺の胸元で、彼女は泣きじゃくるように想いを吐き出した。

 ――真っ先に感じたのは、深い安堵だった。もしこれが俺の早とちりで、彼女は告白なんてしようとしてなかったとしたら。彼女が俺のことを、なんとも思っていなかったら。そんな不安が、ほんの数秒前まで俺の心を支配していた。だがそれが取り払われた今、脱力感を伴うほどの安堵に包まれていた。

 そして空いた心の中を、じわじわと喜びが満たしはじめている。胸の奥がゆっくりと温かくなっていくような、体がなんだか、軽くなったような。味わったことのない感覚に戸惑いつつも、素直にそれを受け入れることにした。

 他人と気持ちが通じ合うのが、こんなにも嬉しいことだったなんて、思いもしなかった。

「ひぐっ……! うれしい……! 知ってたのに、泣いちゃうくらいうれしい……!」

「……ん?」

 余韻に浸る間もなく、合間に聞こえた言葉に違和感を覚え、思わず聞き返す。

「知ってたって、何を……?」

「え……? えと、かおるんがアタシのこと、好きだってこと……?」

「は?」

 返された言葉も信じられず、また聞き返す。

「は!? な、なんでっ……!?」

「だって、めちゃくちゃわかりやすかったし……」

「はあ!? いや、ど、どこが……!?」

「えーっと……かおるんさ、アタシのこと、見過ぎなんだよね……。いや、嬉しいんだけどさ、さすがにちょっと、照れるっていうか……」

 恥ずかしそうに目を逸らしながら、彼女は言った。

 ……自覚はあった。なにせ『些細な癖に気付けるほど、常に彼女を見ていた』のだから。無邪気な笑顔が脳裏に焼きついて離れないほど、彼女に見惚れていたのだから。

「はぁぁ……」

 火が出そうなほど熱くなった顔を悟られまいと、そっと顔を横に逸らしつつ、大きくため息をついた。

「あ、またため息ついてる~」

 そんな俺を咎めるように、彼女は口を尖らせる。

「気付いてないん? それ、癖になってるっしょ? 幸せ逃げるって言うしさ~、直したほうがいいんじゃない?」

「ん……。じゃあ、気を付けるわ」

 ただの迷信だろとも思ったが、かといって聞いていて気分のいいものでもないだろう。癖になっていたことにも、正直気付いていなかった。これを機に意識してみるとするか。

「ん! そうしよ!」

 そう言って、逢恋は嬉しそうに微笑んだ。

 いつもと変わらぬその笑顔を、なぜだか今は逃げずに、真正面から受け止めることができた。僅かに潤む黒く澄みきった瞳と、ほのかに赤く染まった頬。可愛い、だなんて言葉では言い表せないほどに、彼女は魅力的だった。

「……ね、かおるんってさ、目悪いんでしょ?」

 俺が見惚れているのも気にせず、彼女は唐突に問いかけた。

「ま、まあ、そこそこ……!」

 慌てて平静を装いながら、なんとか言葉を返す。

「じゃあ、外すと見えなくなんの?」

「そりゃ、まあ……」

「ふ〜ん、ちょっと外してみてよ」

 怪訝に思いつつも、言われるがまま眼鏡を外す。つい先日買い替えたばかりのこの眼鏡は、もともと使っていた物や母さんのやつよりも軽くて――。


「……告白、そっちからしてくれたお礼、ね」

 ひらりと体を翻し、彼女はそう呟いた。

 一瞬の出来事で、何が起きたのか理解できなかった。覚えているのは、彼女のまつ毛の長さと、唇に触れた柔らかさだけ。

「じゃ、アタシ先帰るね〜」

 ぼやけた視界の中で、彼女は滑り台を滑り降りていく。着地で軽くふらついたのをなんとか立て直し、二、三歩進んでこちらを振り向いた。

「ばいばいかおるん! また明日ね!」

 そう言って手を振り、彼女は走り去っていった。

 鳴り出した五時のチャイム。それに張り合うかのように、蝉時雨が一層激しく響きはじめる。

「……なんだってんだよ、マジで――」

 そして思わず出そうになったため息を、俺はそっと飲み込んだ。

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