第十八章

 校門はしっかりと施錠されており、なおかつ監視カメラが設置されていた。正面切って侵入するわけにもいかないため、人目に付かなさそうな箇所を探してみる。敷地はぐるっと塀で囲まれているが、高さはせいぜい二メートル程度なため、越えようと思えばどこからでも越えられそうだった。

 目的地にほど近い、旧校舎横の塀。先に登った俺が二人を引き上げる形で、無事侵入に成功した。旧校舎には監視カメラがなかったはずだが、そもそも不法侵入中であるという疚しさのせいで、どうしてもコソ泥のような動きになってしまう。

 玄関のガラス扉をすり抜けた逢恋に鍵を開けてもらうことで、俺たちはようやく旧校舎の中へと足を踏み入れた。


「うぅ……! 真っ暗だよぉ……!」

 成り行きで先頭に立つことになったノエルが、スマホのライトで足元を照らしながら、おっかなびっくり歩いていく。その後ろを、逢恋に腕を抱きしめられながらついて行く。

 初めは、この状況に耐えられる自信がなかった。鼻先に迫る、彼女の髪から香る華やかな香り。制服越しに感じる、押しつけられた彼女の柔らかさ。その奥から伝わってくる、彼女の鼓動。全てが俺の心をかき回し、心臓が跳ねまわるのを止められなかったからだ。

 だがそれもつかの間、目的の場所へ近付いていくにつれ、彼女の体の震えが激しくなっていった。俺の肩に顔を半分うずめ、痺れてしまうくらいに俺の腕をきつく抱き締めながら、彼女は必死に恐怖に耐えている。その姿に雑念は消え、今はただ、彼女を護りたいという意志だけがあった。

 ――彼女はなぜ過去に向き合うたび、こんなにも恐怖に苛まれてしまうのだろうか。事故当時の記憶が残っているのなら、それがトラウマとして刻まれた結果、こうなってしまうことは十分にありえるだろう。けれども彼女は完全に記憶を失っているわけで、呼び起こされるトラウマがそもそも存在していないはずだ。

 ……あるいは彼女の本能が、そうさせているのだろうか。

「無理する必要ないぞ……。今からでも戻って……」

「だっ、だいじょうぶっ……だから……! はっ、ふっ……! ふうっ……!」

 荒い呼吸をなんとか整えようと繰り返す深呼吸も、形にすらなっていない。今すぐにでも引き返すべきだと思わせるほどに怯えきっているが、それでも彼女は、真実へ向かおうと懸命に足を運んでいた。

「……あっ、あったよ、『視聴覚室』……!」

 そしてたどり着いた目的地、『周郷逢恋』という少女が、なんらかの事件に巻き込まれ命を落とした場所。旧校舎一階、東廊下突き当たりの、『視聴覚室』。

「ほんとだ……鍵空いてる……!」

 ノエルが手をかけたドアノブは、密閉感のある重厚な動きを見せつつも、ガコンッという音を立てて下りた。

「んっ……! お、重い……!」

 彼が全体重をかけ、ノブを引っこ抜くようにしてようやく、ドアが開いた。

 恐る恐る足を踏み入れたノエルが、室内をゆっくりとライトで照らしていく。右手側のスクリーンに向かって、左側には長机と椅子がいくつも配置されている。だがその並びは整然とはされておらず、横に倒れたりひっくり返っていたりと、不自然なほどに荒れていた。その影響か、床には木片が散らばっており、とても授業に使えるような状態ではない。

 ――明らかに何かが起きたであろうその有様に、俺は思わず生唾を飲み込んだ。

「うわぁ……! ぼ、ボロボロだぁ……!」

 キョロキョロと部屋中を見回しながら、ノエルはゆっくり奥へ向かっていく。その後を追うためドアを支えていた手を離すと、ギイィッと不気味な音を立てながら、ドアが閉まった。

「だ、大丈夫か……?」

 しがみついたままの逢恋に声をかける。俺の肩に顔を完全に押しつけ、ひどく震えながら、それでも彼女は小さく頷いた。

「うーん……。舘入さんが来たときも散らかってたらしいし……パッと見た感じでは、なにがあったのかわかんないかも……」

 舘入の話によれば、逢恋はふと目を離した隙にこの場に倒れ込んでいたらしいが、その原因は一体、何だったのだろうか……。

「……あっ、わっ……!? こ、これやばいんじゃないの……!?」

 スクリーンの真正面辺りでふと歩みを止めたノエルが、部屋の隅のほうを照らしながら言った。 

「なんかっ……! お、おふだみたいなやつ落ちてるよ……!?」

「は……!? お札……!?」

 彼の言葉に、背筋がぞっと凍りつく。それはおおよそこの状況で、最も耳にしたくない単語だった。

「どっ、どこかから剥がれて落ちちゃったのかな……!? でもっ……こんなのがあるってことは……もしかして……!」

 憶測で話すのはやめろと言うには、俺たちは怪奇現象に触れ過ぎた。このお札が、この部屋に潜む霊的な何かを抑え込むため、用意されたものであろうこと。それが瞬時に理解できるほど……それを否定できる言い訳を、何も用意できないほどに……。

 ――そのとき、俺の腕にしがみついたままの逢恋が、突然顔を上げた。

「そ、それっ……!! アタシっ……!!」

 眉根を寄せ、見開いた眼で彼女はノエルを見つめている。

「あ……あぁ……!! そうだっ、アタシ……!! 時音を待ってて……!!」

「あ、あいるん!? どうかしたの!?」

「何か思い出したのか……!?」

 振り向いたノエルのライトが俺の足元に向けられ、その光を受けた彼女の顔は、ひどく青ざめて見えた。

「お札……!! なんだろってっ、触ったら落ちて……!! それでっ……!?」

 ひとり言のように呟き、ガタガタと全身を震わせながら、彼女はゆっくり俺のほうを向くと――。

「いっ……いやああぁぁ!!」

 恐怖に顔を歪ませながら、堰を切ったように悲鳴を上げた。そのまま頭を抱え、その場にしゃがみ込む。

「お、おい!? 大丈夫か!?」

 慌てて声をかけるも、彼女はその場にうずくまったまま、体を震わせぶつぶつと何かを呟いている。

「ノエル!! もう戻ろう!!」

 限界だ……! もう真相なんてどうでもいい、おぶってでもここから出してやらないと……!

「う、うん! わかった!」

 ノエルは答えると同時に走り出し、そのままドアノブに手をかけた。

「ふっ……! んぐぐっ……!! あ、開かないぃ……!」

 しかし、彼が体重をかけて押し開けようとしているにもかかわらず、ドアはピクリとも動かなかった。

 その直前に見えた、彼の手元に違和感を覚え、俺は立ち上がる。

「なんだ……!? 空回りしてる……!?」

 ノエルに代わってノブを下ろした瞬間、あまりの手応えのなさに驚く。さっき入るときはあんなに重そうに見えたのに、内側がこんなに軽いわけがない。つまり……ノブが壊れている……!?

「と、閉じ込められちゃったってこと!?」

 実際は向こう側にもう一枚ドアはあるし、最悪窓をぶち破って出ることだってできる。けれどもこの状況において、『ドアが壊れている』という事実は、俺たちの心理に多大なるストレスを与え――。

「ひぃっ……!? な、なんの音……!?」

 背後からの異音に、ノエルが悲鳴を上げた。俺の耳が正しければ……水面で、何かが跳ねたような……そんな音が聞こえた気がする。

「やだ……!! やだぁ……!! またっ……あいつが……!!」

 足元で逢恋が、何かに怯えるように声を上げた。

「――っ……!! ノエル!! 電気点けろ!!」

 この際、忍び込んだのがバレたって構わない。視界を確保することが最優先だ。

「わ、わかった! えと……これだ!」

 ノエルが部屋の隅をライトで照らしながら手を伸ばすと、室内がパッと明るくなった。急激な明暗の差に、ぐっと目を細める。

「……な、なんだ……あれ……!?」

 そして目が慣れはじめたころ、部屋の中央に不自然に落ちた影の塊に、目が留まった。

 視聴覚室の中央、長机と椅子を左右に押しのけるようにしてできた、小さな空間。そこに直径一メートルほどの大きな影が落ちている。だが、照明から床までの間に光を遮るものは何もなく、そこに影が存在していること自体が異常だった。

 よく見るとその影の中から、何かが飛び出しているのに気付いた。薄く平たい三角形の背が、丸く凹んだようなその独特な形は、どこか見覚えのある形をしていて、まるで……。

「あ、あれって……! さ、サメじゃない!?」

 それはまるで、水面から背ビレだけを出して泳ぐ、『鮫』のそれにそっくりだった。

「ひっ……!? いやあぁ!!」

 ノエルが出した鮫という単語に反応したのか、逢恋がうずくまったまま悲鳴を上げた。

「たすけて……!! あいつにっ……!! たべられちゃうぅ……!!」

「だ、大丈夫だ……! 落ち着け逢恋!」

 慌てて彼女の隣に屈み、肩を抱いて声をかけた。

 昨日と同じく、彼女は『鮫』に対して異様な反応を示している。怯えるその姿はまるで小さな子供のようで、失った記憶が相当恐ろしいものであろうことが推測できる。

「うわぁ!? う、動いたよ!?」

 床から飛び出た背ビレは、周囲の影を伴ったまま、スクリーンのほうへ向かって移動しはじめた。ゆらゆらと左右に揺らめきながら、そいつはゆっくりと進んでいたが、やがて教壇の少し手前で動きを止めた。

「……こリゃあいいヤ。逃ガした獲物ガ、仲間連れてのコのコ戻ってキヤガった」

 どこかから、不気味な『音』が聞こえた。

 ――それは『人間の声』によく似ていた。だが、一音一音の音程や強弱がほんの少しだけズレており、それが強烈な違和感を生み出している。それが耳に届くたび、ぞわぞわと何かが背筋を這いあがるような嫌悪感があった。

「適当ニつまみ食いセずニ、何日モ我慢して待ってた甲斐ガあったゼ……」

 その声色は、抑えきれぬ笑いを滲ませているようだった。その不気味な響きは俺たちの前方、スクリーンの正面辺りから聞こえてくる。……おそらく、あの背ビレの辺りから。

「う、嘘でしょ……!? 喋る、バケモノ……!?」

「あれも……! 怪異の一種……なんだろ……!?」

「だと思うっ……けどっ……!?」

 俺たちが狼狽えているうちに、背ビレの周りの影が少しずつ拡大していった。

 やがて楕円形へと形を変えた影は、一度表面が大きく波打ったかと思うと、中から、何かが飛び出した。

「わああぁっ!?」

「マっ……ジかよ!?」

 空中を泳ぐように身をよじり、こちらに鼻先を向けたその怪異はまさに、『鮫』だった。

 ――その姿は一見すると、あの『ホホジロザメ』によく似ていた。特徴的な背ビレと流線型の体躯に、大きく引き裂けたような口元からは鋭利な歯がいくつも顔を覗かせている。

 だが、口の端からは何か黒い煙のようなものが絶えず漏れ出してきており、胸ビレの先や胴体後方部分はもはや煙と化しているかのようで、かろうじて輪郭を保ちながら揺らめいて見えた。

「いやっ……!! いやああぁぁ!!」

 その姿を見るなり、逢恋はまた悲痛な叫びを上げる。

 旧校舎の廃教室に、剥がされたお札。そこで何かに巻き込まれ、幽霊となってしまった少女は、なぜか鮫に強い恐怖心を抱えていた。そしてそこに現れた、鮫のような姿をした化け物。

 ――彼女に何が起きたのかは、もはや明白だった。

「や、やばいよ薫くん!! はやく逃げないと!!」

「わかってる……!! けど……!!」

 目の前の『化け鮫』は、明らかに俺たちを標的としている。一刻も早く逃げ出すべきだが、すぐそばで縮こまったままの逢恋を、抱えて逃げようにも時間がかかる……。

「よウヤく飯ニあリつケる……。どれカラ食おウカなぁ……!」

 気味の悪い声でそう呟くと、化け鮫は空中を泳ぐように、ゆっくりとこちらに近付いてきた。

 このままじゃマズい。そう思ったとき、視界の端に何かが映った。

「うっ……うああぁぁ!!」

 そのままそれを拾い、立ち上がると同時に頭上高く掲げた。

「グオォッ!?」

 振り下ろした木片は、化け鮫の鼻先に命中し、砕け散った。すると奴は、呻き声を上げるとともに体を大きく反らし、激しく頭を振り回して苦しみはじめた。

 鮫は、鼻先に重要な感覚器官が備わっていると聞いたことがある。一か八かだったが、どうやら少しは効果があったようだ。

「今のうちに逃げるぞ!! 逢恋! 立てるか!?」

「やだ……!! やだぁ……!!」

 駆け寄って膝をつき、声をかけるも、彼女は頭を抱えたまま動けずにいる。パニック状態で、俺の声すら聞こえていないのかもしれない。

「おい、逢恋!! こっち見ろ!!」

「ひっ……!?」

 彼女の両肩を掴み、強く揺さぶるとともに声を張り上げた。その甲斐あってか、彼女は悲鳴を上げつつも顔を上げてくれた。

「ここから逃げるぞ……! いいな……!?」

 涙でいっぱいになってしまった彼女の瞳に向け、俺は言った。

「怖いなら目を閉じてたっていい……! 俺が引っ張ってやるから……! だから、行こう……!」

「はっ、あっ……! う、うんっ……!!」

 そしてようやく、彼女は正気を取り戻したようだ。力強く頷いた彼女の手を取り、引き起こす。繋いだ手の温もりを離さないよう、しっかりと握りしめた。

「ノエル、行くぞ!!」

「わ、わかった!!」

 向こう側のドアに向かって、先に走り出したノエルの背を追い――。

「さすガニモウ逃ガセんワなぁ」

 それが聞こえたと同時に、ノエルの目の前に長机が飛来した。

「うわああぁぁ!?」

「きゃああぁぁ!!」

「クッソ……!!」 

 鈍く硬い轟音が室内に響く。行く手を阻むように重なった長机には、くっきりと歯形が残っていた。

「ヤっぱリ最初は、逃ガした奴カラ食ウベキだよなぁ……!」

「ひぃっ!?」

 奴の言葉に逢恋は悲鳴を上げ、爪が食い込むほど強く、俺の手を握った。

 深く切れ込みの入ったような口角を、さらに吊り上げ笑うその風貌は、よく知ったホホジロザメのそれとは違う、異質な雰囲気を纏っている。

 その恐ろしさに思わず足が竦み、けれどもすぐに思い直し、一歩前に出た。

「……なんだぁ? 邪魔すんなラお前カラ食っチまウぞ?」

 何か思いついたわけでも、諦めたわけでもない。ただ彼女を護りたい、そう思っただけだった。

 足が震え、冷や汗が止まらない。どうしたらいいかわからないまま立ち尽くす俺に、奴は構わず襲いかかってきた。

「うっ、うわああぁぁ!!」

 迫る無数の牙に怯え、それでも彼女を護ろうと、覆いかぶさるように背を向けた。

 ――机を簡単に貫通してしまうほど鋭利な牙。それに体を引き裂かれる痛みは、どれほどなんだろうか。極限状態の中、冷静になった頭で、そんなことを考えていた。


「――ガァッ!? な、なんだコいつ!?」

 何かが風を切るような音が聞こえたかと思うと、奴が突然喚きはじめた。恐る恐る、振り返ってみる。

 俺の目の前には、さっき俺たちを助けてくれた金色の狼が、体勢を低く保ったまま奴と対峙していた。

「さ、さっきのオオカミ!! 助けに来てくれたんだ!!」

「は!? なんでっ……!? どこから!?」

 慌てて見回すも、ドアは両方とも閉まったままだ。窓も閉まったままなため、気付かれずに侵入できそうな場所もない。どこかに隠れていたのだろうか……?

「コのガキ……まさカ!? ……いヤ、そんなはずは……!!」

 俺たちから少し距離を取った化け鮫が、狼狽えながら何かを呟いている。その隙を狙ってか、狼が勢いよく飛びかかった。

「ウッ!? グオアァァ!!」

 狼は化け鮫の周りを、目にも止まらぬ速さで飛び回る。すると奴は呻き声を上げ、その場で悶え苦しみはじめた。奴の体に、みるみるうちに傷が付けられていく。

「ガッ……! ヤメロォ!!」

 咆哮を上げるとともに、化け鮫はその場で勢いよく体を回転させた。それに弾き飛ばされたのか、狼は空中に跳ね上がったあと、俺たちの前に着地した。

 その瞬間、狼と化け鮫の間の床が、突然光りだした。

「わぁ!? こ、今度はなに!?」

 床の上には爪で引っ搔いたような傷がいくつも付けられているが、その傷が繋がって何かの図形のような形となり、そこから光の筋が立ち上っているようだ。そしてその形に、見覚えがあった。

「……言葉まで覚えたか、思ったより成長が早いな。まあそれだけ、生徒たちが不安を抱えていたってことか」

 光が描く図形、『六芒星』の中心部から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。そして目が眩むほどの眩しさの中、光の中から、誰かが姿を現した。

「や、ごめんねみんな。遅くなっちゃった」

「えっ!? く、倉橋先生!?」

「は!? い、イケメン先生じゃん!?」

「はぁ!? なにがっ、どうなって!?」

 そして眩しさが収まったころ、その場にちょこんと座る狼の隣に、臨時の英語教師、倉橋が立っていた。苦笑いを浮かべながら、彼は俺たちに向け申し訳なさそうに、片手をひらひらと振っている。

「話さなきゃいけないことがたくさんあるんだけど……。とりあえずは、あっち片付けてからにしようか」

 そう言って彼は振り返り、俺たちと同じく状況の飲み込めていなさそうな化け鮫に向け、一歩踏み出した。

「ウッ……!? お、お前!! コの前カラ俺を探しテたっ……! 嫌なニオイガするヤツ!!」

「お、正解! でもヤなニオイってのはひどいな~。まあ君たちからすれば、そう感じるんだろうけど……」

 化け鮫相手に、親しげに話しかけながら彼はゆっくりと近付いていく。

「ここ数日、君が上手く隠れるもんだから苦労したんだよ? おかげで、こ~んな回りくどくて危ない橋を渡る羽目に――」

 倉橋が話し終わる前に、化け鮫は彼に向かって飛びかかった。

 その無数の牙が届く直前、彼は右手の人差し指と中指を揃え、胸元で立てた。その瞬間、彼の周囲に半透明の壁のようなものが現れ、化け鮫の牙はそれに阻まれて止まった。

「ガッ……!? グッ……!?」

「……人の話は、最後まで聞くべきなんだけどな」

 トーンの落ちた口調で、彼は残念そうに言う。そのまま、立てた指を化け鮫へと向けた。

「グギッ!? ガアアァッ!!」

 すると化け鮫が突然苦しみだし、身を捩りながら後ろに飛び退いた。空中でのたうち回る化け鮫の姿をよく見ると、奴の頭部に、まるで自分自身に噛みつかれたような形でびっしりと歯形が付いている。

「さてと……。いくら知能が発達したからって、ノータイムで人に危害を加えるようじゃ、共存の余地はないな」

 そう言って倉橋は、胸元から何か細長い紙のようなものを取り出すと、暴れる化け鮫に向かって投げつけた。するとその紙は、まるで何かに操られているかのような不自然な軌道で、化け鮫の口の中へと入っていった。

 そしてまた、彼は指を二本揃えて胸元で立てた。

『破邪霊符、急急如律令』

「ゲェッ!? ギャアアァァ!!」

 倉橋が呪文のようなものを唱えると同時に、化け鮫の体が突然、激しい炎に包まれた。

 化け鮫は炎から逃れようと泳ぎはじめたが、すぐに何かにぶつかってしまった。よく見ると、今度は奴が、あの半透明な壁のようなものに閉じ込められているようだ。

「……あまり気分のいいものでもないし、見ないほうがいいね」

 こちらを振り返った倉橋は、苦笑いを浮かべながらそう言った。すると、化け鮫の声が突如として聞こえなくなった。半透明だったはずの壁も、表面がすりガラスのような見た目に変化しており、必死にもがき苦しんでいた化け鮫の姿が見えなくなっていた。

「これでよし。じゃあ、改めて……」

 彼はキョロキョロと辺りを見回し、その辺に転がっていた椅子を集めていく。三つを横並びに、その正面に一つ置き、背もたれに肘をかけて体を預けた。

「もう大丈夫だから、ゆっくり話そうか」

 そう言って、彼は微笑んだ。

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