第十五章

 本人に促されるまま、舘入の部屋へと足を踏み入れた俺たちは、ベッドに腰掛けた彼女に軽く見下ろされる形で、カーペットの上に並んで座っていた。

「……聞いたらすぐ帰って。ほんとは誰とも、話なんかしたくないんだから……」

 舘入の言葉に、俺は静かに頷き返す。

 彼女が語ったのは、あの日何があったのか、その断片だった。ショート動画のネタにするため、生徒間で噂になっていた心霊スポットに忍び込んだこと。落とし物を拾って戻ったとき、逢恋がなぜか床に倒れ込んでいたこと。何度呼びかけても、返事が返ってこなかったこと……。時折、涙をこらえるように唇を噛み締めながら、彼女は話してくれた。

「……どうしたらいいかわかんなくて……とりあえず、救急車呼ばなきゃって思って……」

 ぽつりぽつりと、独り言のように彼女は言った。

「病院までついてったけど……大丈夫だからって、命に別状はないからって……帰らされて……」

 目を伏せ、俯いた彼女の声が、僅かに揺れはじめる。

「なのに……! 次の日の朝、警察が電話で……逢恋が……死んだって……!」

 膝の上で両手を固く握り、声を震わせながら、彼女は吐き出すように言った。

「なに聞いても調査中だからって、教えてくれなくて……! もう……わけわかんない……!」

 怒鳴るでも泣き叫ぶでもなく、ただ力無く吐き捨てたその言葉のあとで、涙が頬を伝って落ちた。

 沈黙の中で、彼女が鼻をすする音だけが、不規則に、痛々しく響いていた。

「……もういいでしょ……。私が知ってんのはそんだけ……。気が済んだなら帰って」

 ぶっきらぼうにそう言って、彼女は枕元のティッシュを引き抜いた。俯いたまま、目元をそっと拭っている。

「……つらい話をさせて悪かった。場所がわかっただけでも、俺たちは十分だ。ありがとう」

 俺は座り込んだまま軽く頭を下げ、そのまま静かに立ち上がった。

「あっ、えと、その……! あっ、うぅ……」

 俺と舘入、二人の顔を交互に見ながら、ノエルはぼそぼそと何かを呟いている。

 おそらく彼は、少しでも彼女に寄り添おうと必死で言葉を探しているんだろう。だが喪失に喘ぐ心に、他人の言葉が入り込む余地など、少なくとも今はまだ、ない。俺はそれをよく知っている。

「ノエル、行こう」

 俺に声をかけられ、彼は少しの間泣きそうな顔でこちらを見ていたが、やがて小さく頷き、目を伏せたまま立ち上がった。

 そのまま俺は、逢恋のほうへ目をやった。視線に気付き、おもむろに立ち上がった彼女は、俺を見てそっと頷いた。

 舘入の話を、逢恋はじっと静かに聞いていたが、その横顔からは感情を読み取ることができなかった。何も思い出せぬまま、自分の死に涙する友の姿を見て、彼女は何を思ったのだろうか。


 団地を出てすぐのところに、小さな公園があった。中には木製のテーブルと、それを挟んでベンチが二脚。それらを覆うように、簡素な屋根がかかっている。誰からともなく、俺たちはそのベンチに腰を下ろしていた。

「そう気を落とすなよ、収穫はあったんだから」

 テーブルに突っ伏したまま動かなくなってしまったノエルに向け、俺は慰めの言葉をかけた。

「……うん、そうだよね……」

 彼は少しだけ顔を上げ、けれどもすぐにまた、目を伏せてしまった。

 沈黙の代わりに、弱い雨音が俺たちを包み込んでいた。耳に優しく響くその音は、心を落ち着かせる一方で、静かに気持ちを沈めていくようだった。

「……あの子、アタシが死んだって、泣いてたよね……」

 俺の隣で、背もたれに体を預けたまま俯いていた逢恋が、不意に口を開いた

「なのにアタシ、あの子のこと……『かわいそうだな』って……それぐらいにしか思えなかった……」

 俯き、罪悪感を滲ませながら彼女は呟く。

「アタシのために泣いてくれてんのに……あんな、他人事みたいに……。ほんと……最低……」

 自分を蔑むように、彼女はそう吐き捨てた。厄介なことに、二人とも自らの不甲斐なさに打ちのめされ、沈み込んでしまっているようだ。

 鬱屈とした雰囲気に引きずられまいと、俺は軽くため息をついた。

「……当たり前だろ、そんなもん」

 そして胸の奥で微かに燻る、苛立ちにも似た感情を吐き出すように、静かに口を開いた。

「あいつと……舘入と友達だってことも覚えてなかったんだろ? その時点で、お前から見たらあいつは赤の他人同然だ。赤の他人が悲しんでるの見て、『可哀想』以外にどんな感情を持てばいいってんだ。それで十分だろ」

 一息に言い捨て、ふと、ノエルのほうに目を向けた。

「そこで不貞腐れてるやつも、お前とほとんど同じ理由で落ち込んでるみたいだが……」

 一瞬間を置いて、ノエルの肩が僅かに揺れた。ゆっくりと顔を上げたその表情は、困惑の色に染まっている。

「俺から言わせりゃ……誰が何を言おうが、あいつにはまだ響かんだろうな。身近な人間の死ってのは、簡単に受け入れられるようなもんじゃない」

 俺の意見に、ノエルは何か言いたげだった口をきゅっと結び、目を伏せた。横目で見た逢恋も、同じ表情で俯いている。

 一つため息をついてから、俺はベンチに背中を預けた。

「あれでよかったんだよ。中途半端に踏み込めば……それこそ倉橋の言ってたとおり、舘入をさらに傷つけることになるだろうしな」

 舘入の心に届く言葉を、俺たちは持ち合わせていない。ドアの隙間からこちらを睨む、彼女の目を見たときから、俺はそれに気付いていた。だからこそ、それ以上彼女を刺激しないようすぐにその場を離れた。

 だがそれは、二人には気付きようもないことだった。その認識の差が、二人を落ち込ませ、俺を苛立たせた。どうしようもないことで思い悩む二人に、俺はほんの少しだけ、やきもきさせられていた。

 口を開いたのはその焦燥感ゆえだったが、二人を慰めたいという思いは確かにあった。だから努めて論理的に、冷静に言葉をかけた。とはいえ、長々と並べ立てたこの理屈は、思い返せば少々説教じみていたかもしれない。慰めの言葉としては、もっと感情に寄せたもののほうがよかったのだろうか。

 さらに深く沈んでいく沈黙の中で、俺はそう思い直した。

「……それでもまだ気に入らないなら……それこそ、とっとと記憶取り戻してもう一回会えばいいだろ」

 感情的に話すのはどうにも苦手だ。だからせめて、少しでも早く前を向けるよう、解決策を提示することにした。

「残念ながらあいつは『見える人間』じゃなさそうだが……まあ、目の前でポルターガイスト起こしまくれば嫌でも信じるだろ。そうすりゃ筆談とかでコミュニケーションも取れるし、幽霊になってるとはいえ、本人と話せるならあいつも立ち直れるんじゃないか?」

 そう言って、俺は逢恋のほうへ顔を向けた。僅かに目元を潤ませた彼女と、目が合った。少し驚いたように瞳を揺らし、なおも彼女は静かに俺を見つめていたが、やがて困ったように微笑むと、小さく頷いた。

「ま、ここにいたってなんも変わりゃしねえんだし、さっさと帰ろうぜ」

 そう言って俺は立ち上がり、ノエルに目を向けた。今にも泣き出しそうな顔でこっちを見ていた彼は、俺の動きに気付くと、鼻をすする音を響かせ、深く息を吐いた。

「……うん、そうだね。そうしよっか!」

 いつもどおりの明るさで、ノエルはそう言って立ち上がった。それに合わせるように、逢恋も静かに腰を上げた。

 慰めたというよりは、ただ俺が言いたいことを言っただけのような気もする。二人がそれで立ち直れたのか、本心まではわからないが、いずれにせよ俺にできるのはこの程度だ。

「てかさー、かおるんよく気付いたよね、アタシの癖〜」

「ん、たしかに! 僕も言われて初めて、そういえばそうだったかもって思ったよ」

「あー、まあ……」

 話の流れに微かな危機感を覚え、俺は返答を濁す。それ以上つつかれないよう、顔を隠すように傘を差し、二人に背を向けた。

 だがそんな俺の様子など気にも留めず、逢恋はするりと俺の隣に収まった。

「……にひひ〜っ! んじゃ、帰ろっか!」

 俺を軽く見上げながら、彼女はイタズラっぽく微笑む。

 『些細な癖に気付けるほど、常に彼女を見ていた』ことへの追求は受けずに済んだが、受けずに済んだだけで結局バレてはいるだろう。からかうような彼女の表情と、その向こうで、ムカつくニヤけ面を俺に向けているノエルを見れば一目瞭然だ。

 ともかく、こうして普段どおりのくだらない会話ができている。それだけで、柄にもないことをした甲斐があったってものだ。


 正面頭上、電光掲示板に表示された時刻は、走っても間に合うかどうかギリギリのタイミングだった。

「……まあ、一本後でいいだろ」

「だね。人もいっぱいだし、走ると危ないかも」

 退勤ラッシュを迎えた駅の中、続々と押し寄せる人並みをかき分けるように、改札を通り抜けた。

 くたびれた顔の降車客たちとぶつからないよう、気を張って歩く俺たちとは違い、逢恋は彼らを、文字通りすり抜けていく。こういうところは便利だなと、やはり思う。

「まだ余裕あるよね? ちょっとトイレ行ってくるよ」

「ん、いてら〜」

 そう言い残し離れたノエルは、その小柄さゆえか、あっという間に人混みに紛れてしまった。

「……なんかさ、誘拐とかされそうで心配じゃね?」

「間違ってもそれ本人に言ってやるなよ……」

 高校生にもなって小さい子供扱いのノエルを不憫に思いつつ、俺はホームに続く階段を降り、すぐ横の自販機の前で立ち止まった。

「うわ、それめっちゃ甘いやつじゃん。かおるんそんなん飲むん?」

 吐き出された黄色い缶を見て、逢恋は不思議そうに言った。

「……悪いかよ」

「んーん。かっこつけてブラックとか飲んでそうだったから、意外だな〜って」

 なんて言い草だ。言っていいことと悪いことがあるだろうがよ。

「え、コーラも? めちゃくちゃ甘いの好きじゃん」

「そんなに飲めねえよ。ノエルの分だ」

「おっ! いいとこあんじゃ〜ん!」

 取り出し口から缶を二つ手に取り、そのままホーム内を見渡した。

 時々忘れそうになるが、俺の脇腹を肘で小突いているこいつは、本物の幽霊だ。俺やノエルのような『見える人間』以外には、見ることも声を聞くこともできない。つまり、俺自身は普通に彼女と話しているつもりでも、他人から見れば虚空に向かって話しかけている変質者にしか見えないというわけだ。

 幸いなことに、電車を待つ人々は皆、手元のスマホに夢中になっている。これなら不審に思う者はいないだろう。

 それでも念には念を入れ、人気の少ない壁際へと移動した。

「でもさ〜、のえるん炭酸大丈夫なん?」

「……あいつのこと小学生だと思ってんのか?」


 ホーム内に、軽快なメロディが流れはじめた。

「てかのえるんおっそくね? 電車来ちゃったけど」

 逢恋の言うとおり、俺たちが乗る予定の電車が、向こう側に小さく見えはじめている。

 ノエルがトイレに向かってから、すでに五分が過ぎた。人によってかかる時間は違うだろうが、それにしても遅い気がする。

「マジで誘拐されたんじゃね〜?」

「んなわけないだろ……」

 轟音を響かせてホームに滑り込んだ電車のドアが開き、乗客が一気に入れ替わっていく。

 これを逃したところで、また五分ほど待てば次の電車がやってくる。特段急ぐ必要もないが……。

「いちおう電話かけるか」

 スマホを取り出し、ノエルとのメッセージ画面から通話ボタンをタップした。表示された名前とアイコンを眺めながら、しばし待つ。

「……出ないな」

「え、やばくね? 冗談のつもりだったんだけど……」

「……ちょっと見てくる」

 動揺から表情を強張らせる逢恋を横目に、俺は歩きだす。さすがに考え過ぎだとは思うが、胸に覚えた微かな不安を取り除くためにも、直接様子を見に行くのが賢明だろう。

「あ、アタシも行くー……」

 逢恋とともに、降車客の流れに飲まれるように階段を登っていく。天井に吊り下げられた表示板を辿り、通路の角を曲がった。

「……あれ、いんじゃん!」

 彼女の指差した先に、ノエルはいた。その姿を視界に捉え、ほっと胸を撫で下ろす。

 同時に、その違和感に気付いた。

 トイレを出てすぐ正面の壁際に、ノエルは軽く背を丸めて立ち尽くしていた。その目の前には、制服姿の男が一人。まるでノエルを追い詰めるかのように立ちはだかっている。

「え、なんか絡まれてね?」

 異変に気付いたのか、逢恋は訝しげに呟く。俺は指先で眼鏡の位置を直し、ぐっと目を凝らした。

 シャツの裾をだらしなく外にはみ出させ、ヘラヘラとチャラついた表情のまま、男はノエルに何やら話しかけているようだ。対するノエルはというと、どこか怯えたような顔で俯き、微かに肩を震わせているように見える。

「は? なんなんあいつ。のえるんの友達?」

 あからさまな苛立ちを顔に浮かべ、奴を睨みつけたまま、逢恋は言った。

「……少なくとも、俺は見たことないな。シャツの色が違うから他校の生徒なんだろうが」

 それに、もし仮にあの不良がノエルの友人だったとして、あいつにあんな顔をさせている時点で即刻縁を切るべきだと思うが。

「んじゃ、とっとと助けいこ」

「……いや、ちょっと待て」

 大きく一歩踏み込んだ逢恋に向け、俺は言った。出鼻をくじかれ、彼女は怒りを込めた眼差しをそのままに、俺をじっと睨みつける。

 友達が不良に絡まれているんだ、そりゃあ怒りも湧くだろう。かくいう俺も、奴に対しては非常に憤りを感じている。

 とはいえああいった手合いは、下手に刺激すればすぐに機嫌を損ね、躊躇いもなく暴力を振るってくるだろう。それだけは避けなければ。

「これ持ってけ。んで――」

 手に持ったままだった缶を手渡し、俺は彼女に作戦を伝えた。

「おっけ、わかった」

 短く答え、逢恋は力強い足取りで、ズンズンと不良のほうへ向かっていった。そのまま不良の背後を通り過ぎ、通路の突き当たり、T字路になっているところで立ち止まり、くるりと振り返った。

 俺が飲み終えた黄色い空き缶を手に、逢恋は頭上へ大きく振りかぶると、そのまま不良に向けて思いきり投げつけた。

「いってっ!?」

 投げられた缶は真っ直ぐ奴の頭に向かっていき、カコンッと小気味良い音を立てた。

 不良は頭をさすりながら逢恋のほうを見たが、きっと奴には、ドヤ顔でこちらを指差す彼女の姿は視認できていないだろう。

「あぁ!? おい誰だ!! 出てこい!!」

 当然、投げつけた犯人はどこかへ逃げ去ったと考えるのが自然だ。不良は声を荒げながら、T字路の向こうを確認するため走り出す。

 と同時に、逢恋はノエルのもとへと駆け寄り、彼の手を引いてその場から逃げ出した。

「――わわっ!? あいるん!? なんでっ!?」

「かおるんどっち!?」

「そのままホームでいい!」

 不良が向かったT字路を右に行けば、ホームへと続く広い通路に繋がるはずだ。万が一にも逃げたノエルと鉢合わせてしまわないよう、奴が左の通路へと歩きはじめたのを確認してから、俺は逢恋に告げた。

 軽く頷き、勢いをそのままにホームへ向かう逢恋と、彼女に半ば引きずられるような形で手を引かれるノエル。二人のあとを、俺は何度も振り返りつつ、早歩きで追いかけた。


 ホームの端、柱の影にノエルを立たせ、少しでも姿が隠れるよう、俺は彼の前に立った。

「のえるん大丈夫? 殴られたりとかしてない?」

 隣にピッタリとくっつき、心配そうに問いかける逢恋に、ノエルは俯いたまま小さく頷いた。

「災難だったな。まさか今どき、あんな典型的な不良に絡まれるとは……。カツアゲでもされてたのか?」

「……えっ? あっ、そ、そうだね……!」

 俺の言葉に、ノエルは一拍置いて顔を上げ、すぐにまた伏せた。あんな目に遭ったせいで、少し上の空になっているのかもしれない。

「てかさー、アタシ焦り過ぎだったかも……。自分が幽霊だってこと一瞬忘れてたし。あいつに見えないのに文句言いに行こうとしてたもん」

 苦笑いを浮かべ、逢恋は言ったが、それを聞いてふと、俺は自分の作戦の穴に気付いた。

「……それを言うなら俺もだな。あいつが『見える人間』かどうかまだわかってないってのに、勝手に決めつけてた」

 逢恋の手前、おくびにも出す気はなかったが、ハッキリ言って俺は不良に向かっていくのが怖かっただけだった。

 無意識にそれを避けようと頭を回した結果、思いついた作戦だったが、考えてみれば穴だらけの杜撰な計画だった気がする。奇跡的に上手くいってよかったな……。

「え、マ? じゃあ、二人揃って焦りまくってたってこと? アハハっ! やっば〜!」

 軽く笑い飛ばす逢恋に、俺もつられて鼻で笑ってしまった。

「……ふっ、うぐっ……! ううぅ……!」

 そんな中、突然、ノエルが泣き出した。

「なっ……!? お、おい、どうした……!?」

「おわっ!? の、のえるん、どしたん!?」

 腕で顔を覆い隠し、肩を震わせるノエルに、二人揃って慌てて声をかける。

「ちょっ、かおるんの作戦がダメダメなせいで、のえるん泣いちゃったじゃん!」

「はあ!? いや、そうじゃねえだろ……! たぶん……!」

 さすがにそんなことで泣きはしないだろうが……何か気に障ることでも口走ってしまっていただろうか。

「ひぐっ……! ごめっ、ちがくて……! なんかっ、ほっとしたら、涙がっ……!」

 しゃくり上げながら、ノエルは言った。手のひらで何度も目元を拭うも、次から次へと涙が溢れ出していた。

「ん、そっか……。大丈夫だよ、我慢しないでいいからね」

 必死に涙をこらえようとするノエルに、逢恋は眉根を寄せ、包み込むように優しく微笑みかけた。

「……周りに誰もいねえし、気にする必要ないぞ」

 俺はそう言って、泣きじゃくるノエルをせめて見まいと視線を落とす。そして、伝い落ちる涙がホームの地面に小さな跡を作っていくのを、黙って見つめていた。

 耳心地の良いメロディとともに、ホームに滑り込んできた電車の轟音が、ノエルの嗚咽をかき消すように鳴り響いていた。


 ホーム端に到着した先頭車両は、乗るにも降りるにも遠く、利用客にとって人気がないらしい。幸いにも全ての乗客が降りていったのを見て、なおも泣き続けるノエルを連れて乗り込んだ。

 彼を真ん中に、三人横並びで座席に腰掛けた。そして彼が落ち着くまでの間、俺はぼーっと窓の外を眺めていた。

「ん! そうだのえるん、喉乾いたっしょ? コーラ飲む?」

 彼のすすり泣く声が止んだころ、不意に逢恋が声をかけた。

「あぁ、忘れてた」

 俺はポケットに突っ込んだままだった缶を取り出し、不思議そうに顔を上げたノエルに差し出した。

「かおるんが奢ってくれるってさ〜」

 こちらを見る逢恋は、なぜか満足げに微笑んでいる。

「……いいの?」

 缶を手に取り、こちらを見上げたノエルの目元は赤く腫れ、瞳はまだ少し潤んだままだった。

「おう」

 俺が短く答えると、彼は微かに口元を綻ばせたあと、プルタブに指をかけた。プシュッと、炭酸の弾ける音が響く。

「……まあ、だいぶぬるくなってると思うけどな」

 ノエルが一口含んだのを見て、俺はわざとらしく言った。途端に彼は顔をしかめ、吹き出しそうになるのをこらえながら、なんとか飲み込んだ。

「うーわひっど〜! 今それ言う〜?」

 口では俺を非難しつつも、逢恋は楽しそうに微笑んでいる。一方のノエルはというと……。

「んー……。でもなんか普通のより甘くて、これはこれで……」

 満更でもなさそうな表情で、手に持った缶を見つめながら呟いた。

「なんだ、飲めなくはないのか」

「マ〜? アタシは無理だわ〜」

 もう一口、缶を傾けたノエルを、逢恋と二人で見つめていた。

 喉を鳴らし、一息ついたあと、ノエルはようやく少し笑顔を見せた。その様子に、俺と逢恋は一瞬だけ目を合わせ、安堵を共有する。

 深く座席にもたれかかり、ふと窓の外に目をやると、西の空では分厚い雲の切れ間から、薄くオレンジがかった光が街に降り注いでいた。

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