幕間その一

 駅前のカフェ。通りに面した大きなガラス窓の外では、傘を片手に家路を急ぐ人々が行き交っていた。窓に向かって設けられたカウンター席には、二人の女子高生が並んで腰を下ろしていた。

「てかさぁ、最近全然フォロワー増えてかないんだよねぇ」

 手元のスマホを何度もスワイプしながら、退屈そうな顔で時音は呟いた。

「そーなん? この前なんか、『二千人超えたー』とか言ってたじゃん」

 カップから伸びるストローを唇でふにふにと弄びながら、逢恋は答えた。

「んー。でもやっぱ一万人とか行ってみたいしぃ?」

「べつに、すぐお金稼げるわけじゃないんしょ? そんな本気出す必要なくな〜い?」

「でもさぁ、こっからモデルとかなってる子もいるんだよぉ?」

 時音のスマホ上では、いわゆるショート動画が絶え間なく再生され続けていた。

 ショート動画専用の投稿アプリとして広まったそのプラットフォームは、僅かな工夫で他人の関心を集め、承認欲求を手軽に満たせる場として、若者たちの間に急速に浸透していった。時音もまた、そうした仕組みに強く惹かれた一人である。

「有名人とコラボとかもやってみたいしぃ、なんかいきなりバズったりしないかなぁ」

 逢恋には、親友の取り組みを応援したいという気持ちが確かにあった。手を貸すことに抵抗はなく、実際に彼女と一緒に踊り、その様子を撮影して投稿したこともあった。

「……私も、水着で踊ったりとかやったほうがいいんかなぁ」

「え〜……やめといたほうがいいと思うけど〜……」

 しかし、時音が日を追うごとに、その活動へ没頭していく様子を目の当たりにするうち、逢恋の胸には次第に、言葉にしがたい不安と戸惑いが芽生えはじめていた。

「……あれ!? これだけめっちゃ見られてるぅ!」

 自身が投稿した動画の中で、再生数がひときわ伸びている一本に、時音は目を留めた。

「うぅわ、マジじゃん……。見てこれぇ……ここ、なんか変なの映ってるって……」

 しかし、その動画に寄せられたコメントの大半は、映像に映り込んだ『不可解な何か』への言及で占められていた。

「変なの? ……うわっ!? なにこれ……」

「わかんなぁい……。撮ってるときはこんなん無かったのにぃ……」

 なんの変哲もない十数秒の動画だったが、音楽に合わせて踊る時音のすぐ背後に、薄暗い靄のような影がぼんやりと浮かんでいた。

「心霊現象ってやつかなぁ……。でも、めっちゃコメント来てるし、いいねもいっぱい……」

 不気味さを覚えつつも、彼女はこの偶然に、手応えを感じてしまっていた。

「ねぇ、ちょっと手伝ってくんない……?」


 最終下校時刻を過ぎ、無人となったはずの校舎内に、女子トイレから二つの人影が現れた。

「あっぶなぁ! マジバレるかと思ったぁ!」

「それな〜! 見回りがたかじいでよかったわ〜!」

 二人のはしゃぐ声が、無人の廊下に高く反響した。

 部活を終えた生徒たちが次々と校門をくぐるなか、その流れに逆らって校内へと舞い戻った二人は、施錠確認に訪れた教員を女子トイレに身を潜めることでやり過ごし、からくも侵入に成功していた。

「んで〜? 噂の心霊スポットってどこなん?」

「んとねぇ、すぐそこなんだけどぉ」

 スマートフォンのライトで足元を照らしながら、二人は人気のない廊下を真っすぐ進んでいった。

 彼女たちが忍び込んだのは、普段授業が行われている『新校舎』ではなく、かつてこの学び舎の中心を担っていた、『旧校舎』のほうだった。

 旧校舎は創立以来、長きにわたり生徒たちの学びの場として用いられてきたが、老朽化と防犯面での不備が重なり、十数年前に建設された新校舎へ、その役割を徐々に譲ることとなった。現在も一部の教室や設備は使用されているものの、その利用頻度は低く、管理の手も次第に行き届かなくなっていった。

 やがて建物は荒れはじめ、そして今、取り壊しが目前に迫っていた。

「あった! 『視聴覚室』!」

 旧校舎一階の北東端、廊下の突き当たりで、時音はドアの上にライトを向け、掲げられたプレートの文字を読み上げた。

「霊感ある先輩がさぁ、ここが一番ヤバいってゆってたんよねぇ」

 期待に胸を高鳴らせた様子で、彼女はドアノブに手を伸ばした。

「てか鍵は? 開いてないんじゃないの?」

 訝しむように見つめる逢恋を横目に、時音はゆっくりとドアノブを下ろし、力を込めて扉を引いた。

「よっ……と。鍵壊れててかかんないって、先輩がゆってたんよねぇ」

「お〜!」

 時音の得意げな言葉に、逢恋は感心した様子で小さく拍手を送った。

「うわ! なか暗〜! てか雰囲気めっちゃやばくね〜!?」

「マジじゃん! 壁とかボロボロになってっしぃ!」

 入口から中を覗き込んだ二人は、ライトに照らされた室内の、想像以上の荒れように目を輝かせた。

「ここなら絶対なんか映るっしょ! 早く撮ろぉ!」

 時音がドアを開け放ち、二人は意気揚々と中へ足を踏み入れた。

 その足元で、小さな木片が跳ね、閉まりかけていたドアの隙間へと転がっていった。

「電気つけたらバレるかな〜? アタシのスマホ、ライトにしよっか〜」

「ありがとぉ! すぐ準備すっから!」

 逢恋にライトで照らされながら身だしなみを整えていた時音は、不意に、何かを忘れているような感覚に駆られ、表情を曇らせた。

「……待って、リップ無いんだけどぉ!」

 胸ポケット、スカートのポケットへと次々に手を差し入れたが、どこにも見当たらない。彼女の表情に、僅かに焦りが滲んだ。

「さっきトイレ隠れたときじゃね〜? 慌ててたし~」

「うわぁ、最悪……」

 脳裏に蘇った、汚れた個室の光景。それが彼女の表情をさらに歪ませた。

「ごめん、探してくるから待っててぇ……」

「うい〜」

 逢恋にそう言い残すと、時音はとぼとぼと部屋を出た。

 その足元で、小さな木片が跳ね、廊下の隅へと転がっていった。


 スマホのライトだけが足元を照らす廊下は、不自然なほど静まり返っていた。その静けさが次第に心を圧迫し、時音の歩みを遅くさせていた。

「うわぁ……逢恋について来てもらえばよかったなぁ……」

 小さく独り言を漏らしながら、彼女は女子トイレの中へおずおずと足を踏み入れた。

「うわっ、最悪……。全然掃除されてねぇじゃん……」

 ライトに照らされた床タイルには、トイレットペーパーの屑や埃の塊、さらには髪の毛のようなものまでが無造作に散乱していた。彼女の背筋に、ぞわりと這い上がるような不快感が走った。

「……あっ、あった。ラッキー、ここならまだマシだわ」

 目当てのものは、見回りの教師から逃れるために隠れた個室の、便座の蓋の上に転がっていた。彼女はほっと胸を撫で下ろし、それを指先でつまみ上げると、スカートの裾で軽く拭い、ポケットにしまい込んだ。

 無意識のうちに自分で取り出してここへ置いたことなど、彼女は覚えてはいなかった。しゃがんだときに突っ張るのが嫌で、とっさにそうしただけなのだから。

 ともあれ目的を果たした彼女は、待たせている親友のもとへ向かうべく、足早に廊下を急いだ。


「ごめんお待たせぇ……!」

 密閉された重い扉のノブを引き、部屋の中へと声をかけながら、時音は足を踏み入れた。

「……って、逢恋? なにしてんの?」

 照らされた部屋の中、隅のほうに寝転がる逢恋の姿が、彼女の目に留まった。

「ね、ねぇちょっと逢恋……? なにしてんのって……!」

 胸騒ぎに突き動かされるように、彼女はおそるおそる歩み寄り、膝をついた。床に横たわったままの逢恋の肩を片手で揺らしながら、彼女は震える声で呼びかけ続けた。

「もう、わかったって! びっくりしたからさぁ……! ねぇ……! 起きてよぉ……!」

 時音は、逢恋がからかっているだけだと思い込み、揺する手に力を込めた。だが、逢恋の体は何の抵抗もなく、仰向けになった。微かに震える光源が、逢恋を照らし出した。

 青白くなった顔の中、見開かれたその目は焦点を失い、虚空を見つめていた。

「ひっ!? な、なに!? 逢恋!? どうしたん!?」

 逢恋の口はだらしなく開き、表情からは生気というものが一切失われていた。異様な光景を前に、時音の胸は激しく脈打ち、呼吸も荒くなっていった。恐怖とも混乱ともつかぬ感情が、彼女の内側で暴れていた。

「ねぇ逢恋!? 返事してよ!! 逢恋!!」

 悲痛な声を上げながら、時音は必死に呼びかけ、揺さぶり続けた。しかし返事はなく、ただ沈黙を保つ親友の体を前に、取り乱した心は行き場を失い、頬を伝う涙を止めることすらできなかった。

 誰にも届かぬ声だけが、静まり返った視聴覚室に虚しく響いていた。

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