第十三章

「――あだっ!?」

 玄関ドアに顔面から突っ込んだ逢恋が、鼻を押さえて痛がっている。

「いったー……! もーなんで〜……?」

「逆に不便になったな」

 物に触れられるようになった反面、すり抜ける能力が上手く機能しないときがあるらしく、彼女は昨日からいろいろなドアに行く手を阻まれている。

「マジそれ〜……。もうすり抜けようとすんのやめよ〜……」

 落ち込んだまま、彼女は改めてドアを開けた。

「あ! 二人ともおはよぉ!」

 玄関先で待っていたノエルは、俺たちの顔を見るなり、弾けるような笑顔を見せた。

 朝届いたメッセージによると、逢恋が心配でわざわざ迎えに来たらしい。こいつはもう死後は確実に天国行きだな。もしくは悟りを開いて仏様になるか。

「おう」

「おはよ〜のえるん……。ねー聞いて〜……」

 とぼとぼとノエルのもとへ向かう逢恋を尻目に、玄関に鍵をかけた。

「うーん、それは災難だね」

「でしょ〜……? 絶対鼻の骨折れてんだけど〜……」

 梅雨時らしく、空は一面鈍色に覆われている。風は変わらず湿り気を帯びているが、そばに逢恋がいるおかげか体感気温は低く、少し肌寒さを感じるほどだ。

「あ、てかアタシ、かおるんに触れるようになったよ」

「え、ほんと? なんか、難しいって言ってなかった?」

「ほんとほんと。ほら」

 そう言って逢恋は俺の手を取り、ノエルが見やすい高さに持ち上げた。

「見て〜、すごいっしょ」

「おー!」

 繋がれた二人の手を見て、ノエルは驚いている。

「アタシはやればできる子だかんね〜」

 得意げにそう言って、逢恋は俺の手を離した。

 ……俺は今、ひどく動揺している。突然のことで反応もできなかったが、ほんの数秒の間、俺は確かに彼女と手を繋いでいたようだ。ひんやりとした、しなやかで柔らかな感触が、まだ鮮明に俺の手のひらに残っている。

 顔の火照りが治まるまで、頼むから二人ともこっちを見てくれるなよ。

「それって、もう誰でも触れるってこと?」

「ん、どーなんだろ。……えいっ!」

 返答を待つノエルに対し、逢恋は突然、彼の頬を指でつまんだ。

「あうっ!? ひょっ、ひょっろやめへよあいるぅん……!」

「アハハっ! のえるんにも触れるー!」

 モゴモゴと何かを訴えかけるノエルを見て、逢恋は楽しそうに笑っている。

「んむっ……! もー! いきなり引っ張るなんてひどいよ!」

「ごめんごめん! でもさ、触れるようになったんだし、けっかおーらいでしょ?」

 なおも笑顔の逢恋に対し、何が『結果オーライ』だと言わんばかりに、ノエルは頬を膨らませている。

 しかし、思ったよりあっさり触れてしまったな。それだけ二人が打ち解けているということなんだろうが……。

「遊んでないでとっとと行くぞ」

 まあ、どうでもいいことだ。

「わっ、待ってよ薫くん!」

 さっさと歩き出した俺に、ノエルは慌ててついて来たが、逢恋はこっちをじっと見つめたまま動かない。

「どうした? なんかあったか?」

「……ふふっ、んーん! なんでもな〜い!」

 と思いきや、彼女は上機嫌でこちらにやって来た。やはり、何を考えてるのかわからない、不思議なやつだ。


「あいるん、大丈夫?」

「んー。今んとこ」

 逢恋はしゃがみ込んだまま、ノエルの机に顎だけを乗せている。

「なんか、ヤだな〜って感じはあるんだけどね。まあ大丈夫かな〜」

 学校には怖くて近寄れないと言っていたわりには、彼女はいつもどおりの軽さで返す。

「無理すんなよ、ヤバそうならすぐ言え」

「ん! ありがと!」

 とはいえ、注意しておくに越したことはない。逢恋のあんな姿を見るのは、もう二度とごめんだからな。

「てかさ、アタシと普通に喋ってるけどいいん? 他の子に変な奴らだと思われん?」

「ま、大丈夫だろ。そんなにみんな、他人に興味ねえだろうし」

「だね。まあ、怪しまれたところで誤魔化しようはいくらでも……」

 話の途中でノエルは不意に、俺の背後へと目を向けた。その目線を辿り、俺は振り向く。

「おはよう、ちょっといいかな」

 廊下に面する窓の向こう、倉橋が手を上げて俺たちに挨拶している。

「あっ、イケメン先生じゃん」

「っす」

「おはようございます!」

 俺たちが挨拶を返すと、彼は満足そうに歯を見せて笑った。彼の到来に気付いていたクラスの女子たちは、そのイケメンっぷりに黄色い声援を送っている。

「昨日、フラヴィアさんと話したんだってね? すごくいい子たちで、話してて楽しかったですってメッセージが来てたよ」

 女子たちに手を上げて応えつつ、彼は言った。

「あ、いえいえ、こちらこそ! すごく面白い話だったし、タメになる内容だったから、とっても助かりました!」

 全面的に同意するが、それを倉橋に言ったところであまり意味はないぞ。

「そっか、そりゃよかったよ。ところで……」

 不意に、倉橋はこちらに少し身を乗り出し、口元を手で隠した。

「どんな話だったか、あとで詳しく教えてくれないかな……?」

 興味が抑えきれないのか、小声で言った彼の表情が緩んでいる。だが、残念ながらその期待には応えられそうにない。

「あー、えと……秘密にしろって言われてて……」

「見えない人間には話しちゃダメらしいんで」

 ノエルと俺からのコンボを食らい、倉橋は表情をそのままに、ショックで固まってしまったようだ。

「……いや! 僕はめげないよ! いつか必ず、真相にたどり着いてみせる!」

 と思いきや、彼は決意を新たに拳を握り締めた。結構な志だ。先生、あんた探偵にでもなるといい。

「まずは手始めに、君たちに手を貸してくれたお礼として、フラヴィアさんを食事にでも誘ってみようかな」

 ぶつぶつと呟きながら、彼は懐から取り出した手帳をペラペラとめくっている。

「なんてね。なんにせよ、前に進めてるみたいでよかったよ。じゃ、授業のほうも頑張ってね」

「うっす……」

「あ、はい……」

 そう言って、倉橋は廊下の奥へと消えていった。

「変わった人だなぁ……」

「昨日の時点でわかっちゃいたがな」

「てかさ、あいつ結婚してんでしょ? 他の女に手出すとかサイテーじゃね〜?」

 先生、残念だがあんたの評価は下降の一途だよ。

「あっ、授業で思い出したけど、授業中はアタシ適当に散歩してっからね」

「散歩? 外に出るの?」

「んーん、学校ん中。どうせ暇だしさ」

「は?」

「えぇっ!?」

 おいおい、学校怖いんじゃなかったのか?

「ひ、一人で大丈夫……!?」

「いけるいける、ヤバかったらすぐ帰ってくるし。それにさ、なんか思い出せたらラッキーじゃん?」

 おまけに楽観的と来た。こりゃパニック映画だと真っ先に喰われるタイプだな。……それが原因で死んだんじゃないか? こいつ……。

「はぁ……無茶だけはすんなよ?」

「ん! わかってるって〜!」

 ため息混じりに言った俺に、彼女はウインクを交えて答えた。

 ちょうどそのとき、朝の予鈴が鳴りはじめた。

「んじゃ、行ってくるね〜」


 はっきり言って、授業が全く耳に入らない。今この瞬間にも、校舎のどこかで逢恋が怯えて泣いているかもしれないと思うと、どうにも落ち着かず、なんの教科の時間かすら忘れてしまうほどに心がかき乱されている。

 無限にも思えるほどの時間が流れ、今ようやく、チャイムが鳴った。

「俺が探しに行くから、お前は残っててくれ」

「うえっ!? な、なんの話!?」

 十分休憩のうちに校舎内全てを回れるだろうか。いざとなればサボっても構わないが、その場合誰にも見つからないように立ち回る必要がある。……待て、女子トイレはどうする? 廊下から中を確認できない教室だってあるぞ? クソ、考えててもキリがない。とにかく行動を――。

「ん、かおるんトイレ?」

「おっ……!?」

 半ば衝動的に席を立った俺の前に、逢恋は呑気な顔をして立っていた。

「あ! あいるんおかえり! よかったぁ、無事に戻ってきてくれて……」

「ただいま〜。もー、大丈夫だって」

 困ったような笑みを浮かべ、ひらひらと手を振りつつ、彼女はまたノエルの机の横にしゃがみ込んだ。

「あれ、トイレ行かんの?」

「……あとでいい」

 何事もなく戻ってきたことへの安堵と、一人慌てふためいていたことへの羞恥。二つの感情を無理やり押し込めるように、大きくため息をついてから席に戻った。

「それで、どうだった?」

「んー、特には? 多分全部見てきたと思うけど、気になるとこなかったし」

「そっかぁ。となると、やっぱり直接聞きに行ったほうが早そうだね。昼休みにでも六組に行ってみようか」

「いや、必要ない」

 ノエルの提案を、俺はバッサリと切り捨てた。

「もともと知り合いだってんならまだしも、いきなり別のクラスのやつが個人情報聞きにきたって、そう簡単に教えるわけないだろ」

「そ、それはそうかもだけど……でも、それ以外に方法が……」

「生徒名簿を見ればいい。名前も住所も載ってるはずだ」

 俺の案にノエルは一瞬、驚いたように眉を上げたが、しかしすぐに怪訝な表情を見せる。

「それって、職員室で保管してるやつでしょ……? それこそ、簡単に見れるもんじゃないんじゃない……?」

 ノエルの意見はもっともだ。倉橋が何も教えてくれなかったように、個人情報が満載の生徒名簿なんて、見る許可を得られるわけがない。

 だが、そもそも許可なんて取る必要はないんだ。

「誰にもバレずに見る方法があるだろ」


「いやアタシが行くんかい!!」

 職員室の扉を背に、逢恋は叫んだ。

「おっ、ナイスツッコミ!」

 俺を睨みつける逢恋に対し、ノエルは楽しそうに拍手を送っている。

「幽霊なんて、隠密行動にはもってこいだろ」

「そうだよ! 誰にも気付かれることなく、秘密裏に機密情報を盗み出す……これぞまさにスパイ!」

 妙にテンションが高いなと思ったが、そういやこいつ、スパイアクション系の映画も好きだったな。

「はぁ~……まあいいけどさ〜……」

 しかし主演の逢恋はというと、めんどくさそうに肩を落とし、大きくため息をついていた。

「んで……? なにしてきたらいいん……?」

「よし! じゃあ作戦を説明するよ!」

 発案者の俺を差し置き、なぜかノエルが一歩前に出て話しはじめた。

「まずは六組の出席簿を探して、その中からここ一週間休みっぱなしの生徒を見つける! そして六組の生徒名簿の中から、その子の住所を手に入れるんだ! ただし! その間誰にもバレないようにしなきゃいけない!」

 妙に芝居がかった言い方で、彼は作戦概要を告げた。

「これは相当危険なミッションだよ……! 気をつけてね、あいるん!」

「え、あー、うん……」

 司令官ぶったノエルの様子に、逢恋は少し引いている。

「えっと、もう行っていい……?」

「もちろん! じゃ、健闘を祈ってるよ!」

 ノエルに送り出され、逢恋はうんざりとした表情のまま、職員室の扉をすり抜けていった。

「待つことしかできないっていうのは、どうにも歯痒いね……!」

「さっきからなに言ってんだお前」

 俺にツッコまれ、彼はようやく、ハッと我に帰った。

「え、えへへ……ごめん……。なんか、映画みたいで、テンション上がっちゃって……」

 照れくさそうに微笑みながら、シャツの襟元をつまんでパタパタと風を送っている。

「ふぅ……あいるんがいなくなると、一気に暑くなるね」

「たしかに。そういや、昨日はエアコンつけずに寝たな」

 ノエルの言うとおり、逢恋がそばにいないだけで一気に蒸し暑くなってきた。ハンディファンやネッククーラーなんかより、幽霊のほうがよっぽど冷却効果があるんじゃないか。

「あ、昨日で思い出したけど、あいるんとちゃんと仲直りできたんだね」

「ん? あぁ、あれはその、からかわれてただけというか……」

「え、そうなの? なんかすごく怒ってたように見えたけど……。まあでも、二人とも仲良さそうで安心したよ」

 そう言って彼は笑った……と思いきや、そのままその笑顔は、ぬるりとニヤケ面へと変貌した。

「ところでぇ……昨日は二人きりでどんな話したのぉ……?」

「どっ……!? べ、べつにそんな、大した話してねえよ……!」

 狼狽える俺に、ノエルはずいっと詰め寄ってくる。

「うっそだぁ! 朝から手なんか繋いじゃってさぁ、絶対昨日なんかあったんでしょぉ……!?」

「あ、あれは不可抗力というか……! いや、な、なんもねえよ!」

 ノエルのしつこい追求にたじろぎ、声を荒げて否定するも、余計に怪しくなってしまった気がする。

「ふーん……? まあ、今日のところはこの辺で勘弁してあげるよ!」

 よかった、なんとか見逃してもらえるようだ。実際のところ、何かあったわけではあるし、気軽に話せるような出来事でもない。命拾いしたか……。

「なんにせよ、仲がいいに越したことはないからねぇ」

 満足げにそう言ったノエルだが、不意に、真顔でこちらを向いた。

「待って、出席簿って教室にあるんじゃない?」

「……え?」

「なんか、いっつも教卓の上に置いてなかったっけ……?」

 ……言われてみれば、そんな気がする。出欠を取るためのものなのであれば、わざわざ職員室に持ち帰る意味もない、か……。

「……えと、あいるんに一旦戻るように、なんか合図でも出す……?」

「……はぁ……ちょっと行ってくる」

 どうやらこのミッションは、はなからインポッシブルなものだったようだ。軽くため息をつきながら、扉に手を――。

「ただいま〜、って近っ!?」

「うおっ!?」

 ちょうどそのとき、逢恋が扉をすり抜けてきた。

「びっくりした〜! なんでそんなドアの真ん前立ってんの?」

 体半分を壁にめり込ませたまま、彼女は驚いている。

「いや、お前を呼びに行こうと……」

「え、アタシ? なんかあったん?」

「出席簿見つかんなかったでしょ? たぶん教室に置きっぱなしだろうから、先に……」

「ん? 名前も住所もわかったけど?」

「……マジか」

「え!? すごい! なんで!?」

 どうやら、彼女は我々の想像以上のエージェントだったようだ。

「とりあえず適当にウロウロしてたらさ、イケメン先生が昼飯食べてんの見えて、なんかイタズラしてやろっかな〜って寄ってったんだけど、そしたら机の上になんかメモ置いてあって、そこに書いてあった」

「……えっ、それほんとにその子? 全然関係ない子のなんじゃ……」

「や、合ってる合ってる。横に付箋ついてて、そこに『周郷さんの友達 ずっと休んでる』って書いてあったし」

 そんなピンポイントな。個人的に調べようとでもしてたのか? まあ、おかげでいろいろと手間が省けて助かった。

「じゃ、そいつだな」

「いぇ〜い!」

 無事に任務をやり遂げた逢恋は、得意げに微笑んでいる。

「やったねあいるん! じゃあ、学校終わったらすぐ向かおう!」

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