第十二章
「ん、もう寝んの?」
立ち上がり、あくびをする俺を見上げながら、逢恋は言った。
「さすがにな。続き観てていいぞ」
あれから二本の映画を鑑賞し、そろそろ日付が変わろうとしていた。
「そこにヘッドホンあるだろ。今なら着けれるんじゃないか?」
「あ、これ? ……んしょ。どう? 似合ってる〜?」
俺が指差す先、机の隅にあったヘッドホンを彼女は手に取る。頭に着け、軽く髪を整えたあと、口元に軽くピースを添えてみせた。
「左右逆だぞ」
「え、マ?」
逢恋が正しく装着しなおしている間に、俺はコードの先端をモニターの穴に挿し込んだ。
「いいか? 音出すぞ?」
「ん、おっけー」
念のためボリュームを下げ、再生ボタンをクリックした。
「おー、いい感じ〜!」
左右のパッドを手で押さえ、逢恋は目を輝かせている。
「止め方はわかるよな?」
「だいじょぶ! ありがと!」
俺を見上げ、逢恋は嬉しそうに目を細めている。もう何度目かの笑顔だが、いまだに慣れることはなく、彼女に笑いかけられるたび、鼓動が跳ね上がってしまう。
「そうか、ならいい」
かろうじて平静を装ったまま、俺はベッドのほうへ向かった。
「あ、電気消しちゃっていいよ〜! おやすみ〜!」
こちらを振り向き、逢恋は言ったが、ヘッドホンのせいか心なしか声量がデカい。ベッドに腰掛け、電灯の紐へ伸ばした手をそのまま彼女に向け、俺は軽く反応を返した。
カチャンという音とともに、部屋が暗くなった。俺の視界では、モニターからの光に照らされ、逢恋の後ろ姿がぼんやりと浮かび上がっている。
ふと、思いついたままに眼鏡を外してみると、ぼやけた視界の中で彼女の姿は忽然と姿を消し、空中にヘッドホンだけが浮いているという、なかなか奇怪な光景となっていた。その可笑しさを鼻で笑い飛ばし、そのままベッドに寝転がり、目を閉じた。
――小刻みに揺れる座席と、規則的な走行音。また、あの夢だ。
「クソっ! なんだってんだよマジで!!」
声を荒げながら立ち上がり、周囲を見回す。車両内には、俺以外に乗客が一人いた。
「ど、どうせアンタも死ぬんだろ!? なあ!!」
乗客に向け、俺は叫んだ。
スーツ姿のその女性は、誰も座席に座っていないにも関わらず、吊り革に掴まったままじっと立ち尽くしている。その横顔からは血の気が感じられず、何の反応も返さずに、ただ俯いていた。
「なんとか言ってくれよ……!」
もう三度目だ。この悪夢の流れはわかってる。これから流れるアナウンスどおりに、彼女が死ぬんだろう。人が死ぬ瞬間を間近で見させられるという、ひどく悪趣味なものだ。
「問題は……」
乗客は俺含めたった二人。次のアナウンスで仮に彼女が死んだとしたら、次は俺の番だ。
どうせ夢だ、実際に死ぬわけではないだろう。しかし普通の夢とは違い、この夢の中では『痛み』を含めた全ての感覚が鮮明に感じられてしまう。現に今も、握りしめた手のひらに爪が刺さる、鋭い痛みをしっかりと感じてしまっている。
人が死ぬ瞬間の苦痛……想像もしたくないが、もしそれが自分に――。
「次はー、服毒ー、服毒です」
「うあっ!?」
そのとき、軽快なチャイムの音とともに、車内にアナウンスが流れた。
「ゴフッ!!」
慌てて女性のほうに目を向けた。すると彼女は大きく咳き込んだあと、両手で喉を押さえて苦しみだした。
「ぐっ……! ゲッ……! ガァッ……!」
彼女はまるで、酸素不足に喘ぐ金魚のように口をパクパクとさせながら、喉の奥から絞り出すようなえずき声を上げている。
「ひっ!?」
そしてその場に崩れ落ち、倒れ込んだ彼女と、目が合った。大きく見開いた瞼の中で、焦点の合わなくなった虚ろな目玉が、じっと俺を見つめているようにも見えた。
「ふ、服毒……ってことは、毒で死んだってことだよな……!?」
ひどく青ざめた顔で、彼女は口の端から泡を吹き、小刻みに体を痙攣させている。
毒による死など、フィクションではありふれたものであり、もはや見慣れてしまっている。しかし今、目の前で起きたこの光景はそのどれよりもおぞましく、真に迫るような不気味さがあった。
「クソっ! ど、どうすれば……!?」
どれだけ見回しても、車内にはもう俺一人しかいない。早く目覚めなければ。さもないと、次にあんな目に遭うのは間違いなく――。
「――あっ……」
そのとき、軽快なチャイムの音が、車内に鳴り響いた。
「うわあっ!?」
叫びながら飛び起き、慌てて体を起こした。
「はっ、はぁっ……! またか……!」
どうやらまた、悪夢にうなされていたようだ。ベッドの上でうなだれたまま、大きくため息をつく。
「……ん? ……あぁ、そうか」
ふと横に目をやるが、逢恋の姿が見当たらず、しかしすぐに思い出し、眼鏡をかけた。
「おはよ〜、大丈夫?」
「まあ、なんとか……」
俺のすぐ隣で床に膝をつき、ベッドに両肘をついたまま、彼女は首を傾げていた。
「すごいしんどそうだったから揺すって起こしたけど、よかったよね?」
「あぁ、悪いな……」
「ぜ〜んぜん。てか、お守りどうしたん?」
お守り……フラヴィアさんがくれたお札か。そういえば……。
「……ポケット入れっぱなしだな」
「もらった意味なくて草。肌身離さずって言ってたのに〜」
咎めるように、逢恋は俺の脇腹をつつく。まあ、持ってたところで効力があるのかどうかもわからんが。
「今何時だ?」
悪夢のせいで目が冴えてしまった。壁に背を預け、体を伸ばしながら逢恋に問いかけた。
「んとね〜、二時過ぎ」
となると、大体二時間くらいは眠れたようだ。……というか、昨日も一昨日もこの時間だったような気がする。何か法則性でもあるんだろうか。
「さっきの観終わったんだけどさ、のえるんのバッグに付いてんのって、あのアライグマだよね?」
言いながら、逢恋はなぜかベッドに上がり、俺の隣に腰を下ろした。
「お、おう……。なんか、見た目が好みらしい……」
当然のように隣に座り込んだ逢恋に対し、俺はなんとか平静を保ちつつ返答した。
「てかさ〜、あの子めっちゃいい子じゃない?」
「いい子……? だいぶ口も悪いし気性も……」
「アライグマじゃなくて! のえるんの話〜」
「あー……」
なんでだよ。明らかにアライグマの流れだっただろ。
「ノリもいいしさ〜、顔も女の子みたいでかわいいし。かおるんなんであんな子と仲良くなれたん?」
随分な言いようだな。まあ、否定はしないが。
「ああ見えてあいつも相当な映画通だからな。しかも考察好きの。あいつの話についていけるのなんて、俺ぐらいなもんだ」
これは自惚れでもなんでもない。ノエルにかかれば、登場人物の目線や立ち位置のみならず、雲の形や影の落ち方すら考察の材料たり得てしまう。まあ、その大半がこじ付けじみた深読みだが。
「ほえ〜。じゃやっぱりのえるん、アタシに気遣ってくれてたんだ」
「……ん?」
「二人はほんとはもっと難しい話してんでしょ? でものえるん、アタシと話すときはすっごいわかりやすく教えてくれるからさ〜」
「あー、まあ、そうだろうな。あいつはもはや、思いやりの化身と言っても過言じゃないくらいには、他人のことしか考えてないからな」
「ねーほんと。昼間もさ、アタシが落ち着くまでずーっと声かけてくれてたし、ほんっとに優しい子だよね〜」
瞬間、脳裏をよぎったのは、恐怖に染まった彼女の悲鳴と、怯えきった彼女の、悲痛な表情。
「――……そうだな」
胸の奥がえぐり取られるような感覚に、返答が少しだけ遅れてしまった。
「そ、そんな反応されるとさ……! アタシも、気まずいっていうか……!」
「……悪い」
慌てた様子の逢恋に、俺は一言、謝ることしかできなかった。
彼女がああなった原因の一端は俺にある。それなのに、俺は彼女に寄り添ってやることすらできなかった。罪悪感と不甲斐なさが今になってまたぶり返し、俺の心を押し潰そうとしていた。
「……かおるんさ、アタシがああなったの、もしかして自分のせいだと思ってない?」
「んなっ……!?」
唐突に核心を突かれ、反射的に逢恋のほうを見ると、彼女は俺をじっと睨みつけていた。
「どーせなんか、『リモコン持ってたの俺だから、悪いのは俺なんだー!』とか、そんなバカみたいなこと思ってんでしょ?」
「ば、バカみたいな……!?」
図星なうえ、バカ呼ばわりまでされてしまい、動揺から声が上擦る。
「だってそうじゃん。かおるんはアタシのために映画選んでくれてただけっしょ? たまたま電池切れかなんかでリモコン動かんくなって、それがたまたまぴったし、あの映画んとこで止まっちゃってたって、そんだけ。べつに、かおるんなーんも悪くないじゃん。でしょ?」
「そ、それは……まあ、そう……か……」
「それなのにさ? 勝手に落ち込んで、学校行くまでずっとテンション低かったじゃん。しかもアタシのこと、変に避けてたっしょ? あれ、アタシすっごいヤだったかんね?」
「そ、それは……! その……!」
俺の目をまっすぐに見つめ続けるその瞳に、全てを見透かされているような気がして、取り繕う気にもならなかった。
「……情けなかったんだ……。何もできなかった自分が……。ノエルみたいに、優しく気遣うような言葉をかけられなかった自分が……。それが、すごく――」
「はぁ!?」
正直に打ち明ける俺を遮り、彼女は突然声を荒げはじめた。
「『何もできなかった』って……それ、マジで言ってんの!? そんなわけないじゃん!!」
眉をひそめ、目を見開き、信じられないといった表情で彼女は俺を見つめている。
「アタシが怖がってんの見て、かおるんすぐ映画止めようとしてくれたじゃん! 大丈夫かって言ってくれたじゃん! あれ、すっごく嬉しかったんだよ!? なのにさ、なんもできなかったとか……! そんな悲しいこと言わないで!!」
泣き叫ぶかのように、彼女は思い切り言葉をぶつけてきた。じっと見つめるその瞳は僅かに潤み、キラキラと輝いている。
目元を拭いながら、彼女は少し俯いた。そっと鼻をすすり、そしてまた、静かに口を開いた。
「遅くなっちゃったけどさ、今言うよ……? かおるん、ほんっとにありがと……。のえるんもそうだけど、かおるんもずっと近くにいてくれたおかげで、アタシは元気になれたから……」
涙ぐむ声で、彼女は少しずつ言葉を紡いでいく。
「だからさ、そんな寂しそうな顔しないで……。いつもみたいに、ムスッとしたままでもいいからさ……。ね……?」
そして顔を上げた彼女は、涙をこらえながら、優しく俺に微笑みかけた。
その精一杯な笑顔と、彼女の温かい言葉が、自己嫌悪に沈んだ俺の心を、優しく掬い上げてくれた。
「……悪かった、その……自分では、何もできなかったと思ってたから……。でも……お前がそれでいいって、言ってくれるなら……よかったよ……」
せめてきちんと向き合いたくて、言葉を詰まらせながらも、なんとか俺は正直な気持ちを吐き出した。
「っ……! うん……!」
そんな拙い言葉にも、彼女は嬉しそうに微笑んでくれた。ただそれだけで、俺は救われた気分だった。
「ふー……! あーあ! 今度はアタシが泣かされちゃったな〜!」
そして逢恋は前を向き、一つ大きく息を吐いたあと、わざとらしくそう言った。……はいはいわかりました、今謝りますよ……。
「あ! もう謝んのなしね! キリないから!」
「えぇ……」
どうにもよくわからんやつだ……。そう思いながら、軽くため息をついた。
「……なあ」
一つだけ、引っかかっていることがあった。
「俺、そんなにムスッとした顔してんのか……?」
「え、気付いてなかったん? いっつもなんか、不機嫌そうにどっか睨んでるよ?」
「あー……」
……早めに眼鏡、作り直さないとな。
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