第七章
耳元で鳴り響くアラームに苛立ちを覚えつつ、のそのそと体を起こした。差し込む朝日と眠気に顔をしかめながら、スマホを手繰り寄せアラームを止める。ベッドの上で背中を丸めたまま、大きくあくびをした。
「んー……おはよぉ……」
視線を横に向けると、ボヤけた視界の中でノエルがゆっくりと起き上がるのが見えた。
「はぁ……」
低血圧気味なせいで朝は苦手だ。とっとと顔を洗って目を覚ますためにも、枕元の眼鏡を手に取って掛けた。
「――げるって言うっしょ?」
「あはは……」
逢恋の問いかけに、ノエルは乾いた笑いを……。
「かおるんに言ってるんですけど〜?」
「……ん?」
俺かよ、と思いつつも、前半が聞き取れなかった以上返答できるわけもなく。
「あー……悪い、聞いてなかった」
「も〜、いいから顔洗ってきな?」
そう言って、彼女は俺をジトっと睨みつけた。
「八十インチだったかなぁ。ちゃんと測ったことないけど、だいたい……これくらい?」
「……え、やば、めっちゃデカくね?」
二人の会話を聞き流しながら、着替えを終えクローゼットから出る。
「そんなデッカいので観れんの? めっちゃいいじゃん、早く行きた〜い!」
「ふふっ。じゃあ放課後にね」
嬉しそうに微笑むノエルのすぐ手前、机の横に引っ掛けておいたバッグを手に取った。
「あ、もう出る?」
制服姿でチェアに腰掛け、バッグを膝の上に抱えたまま、ノエルは俺に問う。
「いや、そろそろ遅刻するぞ」
「うぇっ!? ……ほんとだもうこんな時間!」
驚きのあまり声を裏返らせ、スマホを確認したノエルは慌てて立ち上がった。
「んじゃ、アタシはテキトーに外ウロウロしとこっかな〜」
言いながら、逢恋はおもむろに立ち上がり、軽く伸びをした。
「……ほんとに、一緒に行かないの? 友達とか先生の顔見れば、もしかしたらなにか思い出せるかもよ?」
「あー……。えと、せ、せっかく自由になったんだし? 学校なんて行ってらんないっしょ! みたいな……」
少し残念そうに問いかけるノエルに対し、逢恋は毛先を指で弄りながら、なぜか目を泳がせている。
「と、とりあえずさ! 二人とも遅刻しそうなんっしょ? ほら急いで!」
「そうだった! 薫くん、行こ!」
「ん、あぁ……」
「行ってら〜!」
彼女は俺たちに向け、笑顔でひらひらと手を振っていたが、その表情はどこか引きつって見えた。
昨晩ファミレスにて、ドリンクバーから席へと戻った俺たちは、『逢恋』という少女について、ひいては『幽霊』という存在そのものについて話し合った。
俺の部屋に突然現れ、多大なる精神的ショックを与えた、謎の少女。一週間前、彼女はなぜか公園の遊具の中で目を覚ましたという。その時点で彼女は、自分の名前を含むほぼ全ての記憶を失っていた。時を同じくして、一人の女子高生が不慮の事故で亡くなっている。可読性の低いはずのその名前をスラスラと読めたことから、彼女がその女子高生本人だと推定した。
加えて彼女は、俺たち以外の人間には見えず、声も届かず、写真や動画にもまったく映らなかった。さらに彼女は現在、触れるもの全てをすり抜けてしまうという異常な状態にある。これらは全て、『幽霊』と呼ばれる胡乱な存在の特徴に酷似している。
要するに彼女は、『なんらかの理由で記憶を失ってしまった、数日前に不慮の事故で亡くなった女子高生、周郷逢恋の幽霊』だということになる。当の本人が何も思い出せていない以上、確証には至ってはいないが、おそらくはこういうことだ。
次に、『幽霊』についてネットで調べてみると、「死んだ者が成仏できず姿を現したもの」とあった。要はなんらかの理由で死を受け入れられなかった魂が、そのままこの世にしがみついている、ということだろう。『心残り』や『未練』といったものが原因で、あの世へと渡ることができず、彷徨い続けることとなった者たちということだ。
つまり彼女も、この世に何か『未練』を残しているせいで、このような形で俺たちの前に姿を現したということになる。であればそれを解消してやれば、彼女も正しく成仏できることだろう。
が、それを聞き出そうにも、当の本人は絶賛記憶喪失中だ。それどころか、「え、てか成仏? それ絶対しなきゃダメなやつなん?」とも言っていた。
結果として、彼女がいることで何か不都合が起きているわけではないということもあり、成仏に関しては保留とした。
記憶に関しても、彼女自身が「ま、そのうち思い出すんじゃね〜? てかそんなことよりさ、カラオケ行かない? 今ならアタシ、タダで入れそうだし」というスタンスなので、そのままなあなあとなってしまった。
結局何もわからず、何も決まらないまま、俺たちはファミレスをあとにしたのだった。
「あいるん、自分の記憶に興味ないのかなぁ……」
ノエルは机に頬杖をつき、不満げに呟いた。
「ないことはないんじゃないか? 名前がわかったかもってときも食いついてきてたし」
俺は廊下側の壁に背を預け、横目でノエルを見ながら言った。
「だよねぇ……。なんでついて来なかったんだろ……」
「さあな、乗り気じゃなかったんだろ」
今朝の彼女を思い出し、そのおかしな様子に多少の違和感を感じつつも、俺はそう返した。
「うーん……だとしたら僕らが勝手に詮索するのも、あんまりよくないのかなぁ……」
「ずいぶん興味津々だな」
「だって、かわいそうじゃない? 友達のことも家族のことも、なーんにも覚えてないなんて」
目を伏せ、どこか寂しそうな表情のまま、彼は続ける。
「僕らの前では明るく振る舞ってるけど、心の中ではきっと、寂しいって、そう思ってるはずだよ。偶然とはいえこうやって関わりを持った以上は、できることならなんだって力になってあげないとって、僕は思うんだ」
「……そうか」
フィクションでしか聞けないような熱いセリフが、彼の口からスラスラと紡がれていった。俺はただ、彼のその高潔なる精神に感心の声を上げることしかできなかった。
「……でもやっぱり、勝手に詮索するのはダメだよね。せめてあいるんの気持ちを聞くまでは、調べるのはやめとくよ……」
か細い声でそう呟くと、彼はそのまま机に突っ伏してしまった。
「なんで落ち込んでんだ。そんなに調べたかったのか」
「うぅ〜……気になるよぉ〜……」
悶えるように身を捩りながら、彼は呻き声を上げた。
一夜明けた今でも、彼女についての情報は全く増えていない。わかっているのは、学年とクラス、名前に、『校内で起きた不慮の事故による事故死』ということだけだ。そのどれも、本人の記憶を呼び戻すには至らなかった。
こうなると一番手っ取り早いのは、誰か先生に直接、何があったか聞くことだろう。根拠はないが、死因や事故の内容がわかれば、彼女も何か思い出すかもしれない。
しかし詮索するなと言われてる以上、聞き出そうとしても適当にあしらわれるか、最悪の場合「ご遺族の気持ちを考えろ」と怒鳴られるのが目に見えている。力になりたいというノエルの気持ちもわかるが、そんなリスクを背負ってやるほど、べつに切羽詰まっているわけでもないだろう。
「逆に、薫くんは気にならないの!? あいるんに一体なにがあって、なんでああなっちゃったのか!」
勢いよく頭を上げ、彼は俺に訴えかけた。
気にならないと言えば、嘘になる。彼女が俺に危害を加えるつもりはないとわかり、少しずつその存在に慣れていくと、本来であればフィクションの世界にしか登場しない、本物の『幽霊』という存在と実際に対話しているという非日常的な状況に、僅かな興奮を覚えていた。微かに退屈を感じていた日々に、突如として眩いほどの光が差したような、そんな感覚だった。
「……まあ、興味はある、か……。幽霊とかいう謎の存在を解き明かすチャンスと考えれば、多少は……」
「でしょぉ!? 僕も、こう言っちゃなんだけど……今すごく、ワクワクしてるんだ」
特にノエルは、幼少期からそういった経験が多かった分、興味もひとしおだろう。
「そもそも幽霊ってさ、どういう生き物なんだろうね?」
「少なくとも『生き物』ではないだろうな。死んでんだから」
揚げ足を取られ、ノエルは一瞬だけ不機嫌そうに俺を睨みつけた。
「壁や物をすり抜ける……物質透過か。俺ら以外に見えないってことは、ステルス能力も持ってるってことだよな」
「そ、そんな異能バトルモノみたいな……」
苦笑いを浮かべたまま、ノエルはスマホを取り出す。
「昨日見たサイトだと、えーっと……『高次元』……『アストラル体』……? 難しいことばっか書いてるなぁ。……あれっ」
彼の目線が、不意に俺の背後へと向けられた。何かに気付いたように目を見開き、同時に、皺を寄せていた眉間がふっと緩む。
「面白そうな話してるね」
声のしたほうへ振り返ると、廊下に面する窓の向こうから、倉橋がニヤついた顔で俺たちを見ていた。
「っす……」
俺は昨日、彼に居眠りを注意されたばかりなので、少々気まずい。
「神智学に興味あるの?」
「しんち……? あ、いえ、えと、僕らちょっと、『幽霊』について調べてて――」
ノエルの話を遮るように、授業開始を告げるチャイムが鳴り響く。
「……おっと、授業始めないとね」
そう言って倉橋は窓から離れ、改めて教室の中へと入った。
授業終了のチャイムが響き渡る中、倉橋はなぜか俺の席の前で立ち止まった。
「な、なんすか……今日は寝てないっすよ……」
「たしかに。ずいぶん眠そうだったけど、よく我慢したね」
昨晩は一度目が覚めたとはいえ、比較的早い時間から床に入ったおかげで、一昨日の睡眠不足を引きずらずに済んでいた。それでも、眠いものは眠いが。
「ま、それは良しとして……笹ノ間くん、それから、桝原くんも。悪いんだけど、昼休みに職員室まで来てくれる?」
「は?」
「えっ!?」
突然のご指名に、二人揃って声を上げた。不良行為には興味ないし、呼び出しを食らうようなことはしてないはずなんだが……。
「あぁ、お説教とかじゃないから大丈夫だよ。昼食、食べてからでいいからねー」
そう言い残し、彼は教室をあとにした。俺はすぐさま振り返り、ノエルと顔を見合わせる。互いに怪訝な表情のまま、心当たりのない記憶を掘り起こしていた。
「し、失礼しまーす……!」
ノエルは恐る恐る、職員室へと足を踏み入れた。その後ろに続き、見渡した俺の視界で、こちらに気付いた倉橋が手を振っている。
「ごめんね、呼びつけちゃって。立ち話もなんだから、あっちで話そうか」
立ち上がった倉橋に先導され、職員室の隅、パーテーションで区切られた面談用のスペースへと向かった。
「それで、二人を呼んだ理由なんだけど……」
向かいに座り、じっと俺たちを見つめながら、彼は続ける。
「今朝、『幽霊について調べてる』って言ってたね?」
「あっ、はい……」
おずおずと返答したノエルに、倉橋は視線を向けた。
「それがどうしても気になってね……。君たちは、どうしてそんなこと調べてるの?」
「どっ……!? いやっ、あのっ、えとっ……!」
一気に懐まで踏み込まれ、ノエルは慌てふためき、呂律までもが怪しくなってしまった。
その隣で、俺は軽くため息をつき、俯きながら答えた。
「……言ったって信じないですよ、こんな話」
「なにやら、複雑な事情がありそうだね。君たちさえよければ、聞かせてくれないかな?」
少しだけ顔を上げると、彼は微笑みながら俺を見つめていた。
べつに、逢恋の存在を秘密にしておく必要はない。問題なのは、他人に話したところでその相手が『見えない』人間だった場合、俺たち二人が虚言野郎として片付けられてしまうということだ。それを考えると、隠しておいたほうが無難だろう。事前にそう決めていたため、ノエルは取り乱してしまったのだ。
「……会ったんすよ、本物の幽霊と」
だのに今、俺が正直に話しているのは、適当な嘘でこの場を切り抜ける労力と、異常者扱いされるリスクとが釣り合ったからに過ぎず、端的に言うと、この状況がただただ面倒だと感じたからだ。
「――ほぅ……」
俺が話し終えると、倉橋は口元に添えた手の隙間から、微かに声を漏らした。その目元からは、いつのまにか笑みが消えていた。
「つまり、君たちの前に突然現れた謎の少女が、どうやら本物の幽霊かもしれないと……」
そう言って彼は腕を組み、深く息を吐いた。
念のため詳細はぼかし、正体についても伏せておいた。さっきも考えたとおり、「亡くなった人でふざけるのはやめろ」となるのが目に見えているからだ。
「……真偽は別として、そんな話――」
さて。笑いものにされるか、あるいは病院を勧められるか。どちらにしろ彼は、それを周囲に言いふらすほどの悪人ではないだろう。仮にも教員ではあるわけだし。であれば、この場さえ乗り切ってしまえばすぐにでも解放されるはずだ。どう言われようが、適当に流してしまおう。
「――先生めちゃくちゃ好きなんだよ!! お化けとか幽霊とかさぁ!」
「おっと……」
参ったな、このリアクションは想定してなかった。別ベクトルで非常にめんどくさそうだ。
「ホラー映画とかも大好きだし、休みの日は心霊スポットとか行ったりしてるんだよ!」
「そ、そうっすか……」
彼の勢いに気圧され、相槌を打つ顔が引きつってしまう。
「ていうか、その子は壁をすり抜けられるんだよね!? そりゃあもう本物だよ! うわー、すごいなぁ……! やっぱり実在したんだ……!」
背もたれに体を預け、目を輝かせながら彼は言った。
「その子はまだ、笹ノ間くんの家に?」
「あ、いや、どっかウロウロしてくるっつって……」
「じゃあ、学校終わったらまた会う?」
「そう、っすね……」
「ふむ……じゃあこうしよう!」
そう言って彼は、懐から手帳を取り出した。
「十七時には上がれるからさ、その子と一緒に、校門の前まで来てくれない?」
「……なんでっすか」
「だって、会ってみたいじゃないか! 憧れの存在なんだから!」
両手を広げ、熱意を込めて彼は言う。
「……あの、先生は霊感とか、あったりするんですか?」
隣で静かに聞いていたノエルが、不意に問いかける。
「いや、ないよ。お化けとか見たことないし、身の回りで心霊現象とかも、全然起きたことないかな」
「あー……」
キッパリと言い切った倉橋に対し、ノエルは気まずそうに俺を見た。
「じゃあ、そもそも見えないんじゃないっすかね?」
代わりに俺が切り捨てると、彼は表情をそのままに、ピタリと固まってしまった。
「……それでも! もしかしたらってこともあるしさ!」
しかしすぐさま気を取り直し、めげずに主張し続ける。
「ね? 頼むよ〜! このとおり!」
そうしてついには、座ったまま頭まで下げはじめてしまった。
「……まあ、帰ったら言ってみますよ」
そんな彼の熱意に負け、俺は渋々応える。
「そもそも、本人が拒否する可能性もあるんで、そうなったら無理っすからね」
「もちろん! 無理強いはしないよ!」
顔を上げた彼は俺をしっかりと見据え、力強く頷いた。
「じゃ、よろしくね!」
満足げな倉橋に対し、俺は引きつる頬をそのままに、愛想笑いを返した。
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