第六章
「……あっ、返信来たよ!」
モール併設のファミレスに入り、注文を終えたところで、向かいに座るノエルが言った。
「なんかわかった〜……?」
隣に座る彼女は、両手で頬杖をつきながらそう言った。彼女が退屈そうなのは、俺たち二人だけが飯を食うのが気に入らないかららしいが、そうは言ってもどうしようもないことなので、我慢してもらうほかないのだ。
「んーとね……あっ! 名前わかったかも!」
「え、マ!? 見して見して!!」
一転して、興奮した様子で彼女は身を乗り出す。それに合わせるようにノエルも、テーブルに乗り上げる形で手元のスマホを差し出した。
「えーっと……しゅ、しゅうごう……? あい……れん……?」
画面には、『周郷逢恋』と表示されていた。どうやらこれが、俺の隣にいる女子高生幽霊の名前らしい。
校内での生徒の事故死。発表されたのが金曜日だったにも関わらず、週が明けた月曜は校内中その噂で持ちきりだった。詮索するなとのお達しだったが、思春期真っ盛りの生徒たちが守れるわけもなく、休み時間に耳をすませば、あれやこれやと憶測が飛び交っているのが聞こえていた。
一方、ノエルはその状況に思うところがあったようで、俺にその話題を振ることも、陽キャグループの会話に首を突っ込みにいくこともなかった。真面目で思いやりのあるノエルらしいなと思いつつ、俺はそもそもあまり興味がなかったので、二人変わらず映画の批評をやっていた。
しかし、こうなってしまっては話が別だということで、彼は進んでクラスのやつらに連絡をとり、彼女についての情報を集めはじめた。そうして手に入れた最初の手がかりが、彼女の名前だった。
『周郷逢恋』。パッと見ただけでは、人名だと気付けないぐらいキラキラしている。この字面では、四字熟語だと言われたほうがむしろ納得しそうだ。名字はまだしも、名前のほうは相当手強そうだが……。
「すごうじゃない?」
「ん?」
「え?」
横から覗き込みながら、特に考え込む様子もなくあっさりと、彼女は口にした。
「上の名前。下はね〜、あいるだと思うな〜」
「あい、る……?」
「ふぅーん……? あっ」
俺もノエルも怪訝な顔になったところで、通知音が鳴った。
「ほ、ほんとだ……!」
追加で送られてきたメッセージを見て、ノエルは目を丸くして驚いている。
「……恋と書いて、『る』……!?」
他人の名前にとやかく言うもんではないと思うが、いくら当て字が許されてるといっても限度があるんじゃないか!? 百歩譲って『こ』とか『れ』ならわかるが、『る』!? さすがに読みが埒外だろ!? 映画評論家に漫画の実写化の脚本任せるような暴挙じゃないか!?
「めちゃくちゃだな……」
「そう? まだわかりやすいほうだと思うけど……」
「お、おう……」
と思ったが、向かいに座る彼は『聖夜』と書いて『のえる』と読む、読めない名前界の王みたいな男だった。あんたほどの男がそう言うなら、きっとそうなんだろう……。
「あいるかぁ、よくわかったね……あっ違う、自分の名前なんだから当然か」
「ん、そっか。これアタシの名前なんだっけ」
「あれ、思い出したわけじゃないの?」
「なんだろ〜……。べつに、なんか思い出したとかじゃないんだけど〜……。でも、この名前はなんか、すごいしっくりくる、ていうか……? なんか……変な感じ〜」
ずいぶん抽象的なうえ語彙が壊滅的だが、言いたいことはわからんでもない。
「とはいえ、これをノーヒントで読めるのなんざ親か本人ぐらいなもんだろうし、確定じゃないか?」
俺がそう言うと、彼女は身を乗り出すのをやめ、背もたれに勢いよく体を預けた。
一週間前に不慮の事故で亡くなった、『周郷逢恋』という少女。原理は不明だが、その少女が幽霊となって現れたのが、隣に座る彼女の正体だということになる。
「だね。まだわからないことだらけだけど、とりあえず名前だけでもわかってよかった……かな?」
席に座り直し、苦笑を浮かべながらノエルは言った。
「逢恋か〜……」
隣でそう呟き、軽く天井を見上げた彼女のその口元が、僅かに緩む。その表情は、どこか誇らしげで、ほのかに嬉しそうだった。
「ねね、アタシのことさ、なんて呼びたい?」
「な、なんだその質問……」
ずいっとこちらへ体を寄せながら、彼女は言った。
「あだ名! アタシにもつけて〜」
「そんな、急に言われても……」
長いまつ毛が華やかに彩る、彼女の丸く大きな瞳は、店内の照明を反射しキラキラと輝いて見える。
「す、周郷って呼ぶんじゃダメなのか……!?」
期待を込めた眼差しが俺に突き刺さり、みるみるうちに体温が上がっていく。たまらず顔を背けてしまったが、顔が赤くなってしまってやいないだろうか。
「そんなんあだ名でもなんでもないじゃん! もっとかわいいの〜」
彼女はなぜか更に距離を詰め、唇を尖らせながら不満を漏らす。
ただでさえ、女子との交流なんてものとは無縁の生活を送ってきたというのに、突然こんな至近距離まで詰められて、平常心でいられるわけがない。
どうしたらいいかわからず、俺は縋るようにノエルを見つめ、情けなく助けを求めることとした。
「あはは……。じゃあ逆に、逢恋ちゃんは呼ばれたいあだ名とかないの?」
「あー。んとね〜、なんだろな〜」
ノエルの問いかけに、彼女はようやく俺から離れ、席に座り直した。ほっと胸を撫で下ろし、軽くため息をつく。
「あーちゃん、あーりん、あいぴょん……のえるんと合わせるのもアリ……? のまっちは……。あれっ!?」
ピンと立てた人差し指を口元に添えながら、彼女はぶつぶつと呟いていたが、突然何かに気付いたように目を見開き、口を開いた。
「えまって、アタシら全員名前に『る』入ってない!?」
「……あ、ほんとだ」
「えすごくない!? こんなんもう運命じゃん! じゃあアタシもあいるんにしよ!」
かおる、のえる、あいる、か。面白い偶然もあったもんだ。
「んで、のまっちもかおるんに変更で!」
「んなっ……!?」
いきなり矛先を向けられ、素っ頓狂な声が漏れ出る。
べつに、元のあだ名も気に入っていたわけではないが、そっちはそっちでなんだか少しむず痒い気がする……。
「決まり〜! いぇ〜い!」
指を下向きにしたピースサインを俺たち二人に向けながら、彼女は喜んでいる。
反対する間もなく決まってしまったが、まあ楽しそうなので良しとするか……。
「そういや、他になんか情報ないのか?」
「ん、えっとねぇ……。なさそう……かなぁ。六組に知り合いがいる子がいないみたいで……。あとは根も葉もない噂ばっかりみたい」
ノエルは少しの間スマホを確認していたが、やがてそれをポケットにしまい込み、立ち上がった。
「喉乾いちゃった。一旦ドリンクバー行かない?」
「ん、そうだな」
「あっ、ずる〜! アタシだってジュース飲みたいのに〜!」
結局、新たな情報が舞い込むことはなく、食事を済ませた俺たちはそのまま、家に帰ってきていた。
「この赤いおじがリーダーなん?」
「いや、リーダーはこっちの盾持ってる青い奴だ」
「え、こっち?」
モニターに表示された作品のキービジュアルを、三人横並びで眺めている。
一週間の幽霊生活が相当暇だったのか、ファミレスでの俺たちのコアな映画談義にも、逢恋は興味津々と言った様子で首を突っ込んできていた。
「リーダーなのに端っこって、かわいそうじゃね〜?」
「赤い人のほうが人気あるからね……。知名度とか興行成績とか考えると、そうしたほうが売れるっぽいから……」
「日本だと特にな」
界隈が賑わうのはいいことだ。俺たちは着々と、彼女を沼へと引きずりこむ準備を進めていた、のだが……。
「……やばいな、限界かもしれん」
「ん、どしたん?」
「あっ、そっか、寝不足なんだっけ」
幽霊騒動が一応は解決したことで気が緩み、そこに食後の血糖値乱高下も合わさってか、今俺は津波のような眠気に襲われている。
「夜更かしは肌に悪いよ〜?」
「誰のせいだと……」
俺が漏らした文句に、逢恋は頭にハテナを浮かべながら微笑んでいる。寝不足の原因となった悪夢は、おそらくこいつに脅かされたせいで見たものなんだが。塩投げてやろうか。
「無理しないでいいよ。僕らのことはほっといて大丈夫だから」
「のえるんと一緒に、りしゅう? しとくね〜」
実際、ノエルは家でシャワーを済ませてから来たらしいし、俺がいなくても困ることはないだろう。念のためPCの履歴を消しといてよかったな……。
「んじゃ、シャワー浴びてくる」
「うい〜」
「行ってらっしゃーい」
ふらつく足でなんとか階段を上り、ドアを開けた。
「ん、おかえり〜」
「おかえり、大丈夫?」
照明の消えた部屋の中、学習机の上に置かれたモニターの前で、逢恋は椅子に座り、ノエルはその隣で少し身を屈めながら見ていたようだ。
「今なら五秒で寝れる」
言いながらクローゼットを開け、中から古いチェアを引っ張り出した。
「ノエル、これ使えよ」
「わっ、ありがと」
ノエルは慌ててこちらに駆け寄り、チェアを受け取った。
「薫くん、僕は布団で大丈夫だから、ベッドで寝なよ」
クローゼットを閉め、振り返る。
「客人を床で寝かせられるかよ」
「そんなの気にしなくていいからさ。それに、僕は今日寝るつもりないからね! あいるんのために解説役になるんだ!」
「ひゅ〜! のえるんかっこい〜!」
昨日もそんなこと言ってたが、結局日付が変わって一時間程度でウトウトしはじめてただろうが――。
「んじゃ、お言葉に甘えさせてもらうか」
――なんて指摘は野暮だろう。俺を気遣うための建前だってこと、わかったうえで乗ってやるのが友達ってもんだ。
「音量もちょっと下げて……っていうか、イヤホン持ってきたらよかったなぁ……」
「気にすんな。俺は寝たら起きないほうだし、今ならマジで二秒で寝れる」
「短くなってて草」
ベッドに倒れ込むと、途端に凄まじい規模の眠気が押し寄せてきた。
「だああぁぁ……」
「ふふっ、おやすみー」
「かおるんおやす〜」
もはや眼鏡を外すことすら面倒に思えて、そのまま目を閉じてしまった。
――軽快なチャイムの音が、辺りに鳴り響いた。
「次はー、練炭ー、練炭です」
「――はっ!?」
車内に流れる、奇怪なアナウンス。その瞬間、俺は跳ね起きた。
「い、今のは……」
戸惑いながら周囲を見回すと、俺以外に二人の乗客がいた。一人は大柄で、高級そうな白いジャケットを着た髭面の男。俺の斜向かいのシートに腰掛け、深くうなだれた首筋からはタトゥーが覗いている。もう一人は――。
「うあっ……!?」
もう一人はすでに、床に倒れ伏していた。
俺のすぐ右手、連結部へ続くドアの前に、中年の女性が横たわっている。彼女の口元からは濁った液体がこぼれ、喉の奥からは泡立つような音が微かに漏れていた。
「こ、これ、まさか……!?」
思わずのけぞり、シートからずり落ちそうになりながらも、俺はその光景から目を離せずにいた。
そのとき、俺の脳裏では、昨日見た悪夢の内容が鮮明に甦りつつあった。電車内、あるはずのない駅名、そして、そのアナウンスの通りに死んでいく、他の乗客たち。今置かれているこの状況も、ほとんど同じもののように思えるが……であればこれは、昨日の続き、ということなのだろうか……。
「練炭って言ったよな……!?」
先ほど流れたアナウンスは、『練炭』だった。つまりこれは、密閉空間で『練炭』が燃焼する際に発生した一酸化炭素、その中毒症状であり……。
「だ、大丈夫ですか!?」
足がすくみ、その場から動けないままで声をかけるが、女性からの返答はない。虚ろな目でどこかを見つめ、ピクリともしない。
――彼女はおそらく、もう亡くなっている。
「……なんだよ、なんなんだよこの夢……!!」
言いようのない不安をかき消すため、そう吐き捨てた。
たとえ夢とはいえ、見ている最中は現実とそう変わりはないものだ。込み上げる不快感も、背中に貼りつく汗の冷たさも、今の俺は鮮明に感じとっている。ひどく、気味が悪い。
だが、夢ならばとっとと目を覚ませば済む話だ。こんなわけのわからない、気色の悪い空間に一秒たりとも留まっていたくない。さっさと抜け出してしまおう。
「ふぅ……」
大きく息を吐き、ぐっと目を閉じ「目を覚ませ」と念じる。昔はどんな怖い夢であっても、これですぐに抜け出せた、はずだったが……。
「……クソっ!」
一向に目が覚めず、苛立ちから強く膝を叩いた。
「痛っ……って、は!?」
叩いた場所がジンジンと痛む。その異常さに、血の気が一気に引いた。
夢の中では痛みを感じない、というのが通説であり、実際、俺は今まで夢の中で痛いと感じたことはなかった。しかし、今なお残る淡い痛みが、明らかな異常事態を告げている。
「そんな、そんなはず――」
そのとき、軽快なチャイムの音が車内に鳴り響いた。
「次はー、拳銃ー、拳銃です」
「ひっ……!?」
声にならない悲鳴が、喉の奥から漏れた。『けんじゅう』という言葉が、俺の想像どおりだとしたら……。
「やばい……やばいやばい……!! 早く起き――」
その瞬間、視界の端でうなだれていた男の体は、耳をつんざくような爆発音とともに前方へと崩れ落ちた。
「うわあああ!?」
驚きに叫びながら反射的に飛び上がり、男とは逆方向に倒れ込んだ。打ちつけた腕の痛みに耐えながら、恐る恐る男のほうを覗き込む。
「あ、あぁ……!! うあぁ……!!」
床に広がる赤の上で、男がうずくまるように倒れていた。こめかみには黒い空洞のようなものが開き、そこから赤黒い液体が流れ落ちている。飛び散った痕跡は車両の中央にまで及び、周囲には得体の知れぬ小さな欠片が散らばっていた。
フィクションでしか見たことのない、恐ろしく凄惨な光景に、俺の体はガタガタと音を立てて震えはじめた。
そして一番の問題は、残る乗客が俺ひとりだということだ。つまり、次にアナウンスが流れたとき、その標的となるのは……。
「い、いやだ……! だ、だれか……!! だれか、たすけ――」
そのとき、軽快なチャイムの音が、車内に鳴り響いた。
「次は――」
「――はぁっ!?」
「おわっ!? び、びびった〜……」
慌てて飛び起きた俺に驚いたのか、ベッド脇で逢恋が声を上げた。
「だ、大丈夫……? また、うなされてたみたいだけど……」
その隣ではノエルが、しゃがんだまま心配そうな表情で俺を見つめている。
「あ、あぁ……そうか……」
額の汗を拭い、ベッドの上に座り込んだ。いまだ激しく脈打つ鼓動を抑えようと、軽く深呼吸を繰り返す。
「どんな夢だったん?」
その場に腰を下ろした彼女は、横から俺の顔を覗き込んだ。
「……やたらと気味が悪かったのは覚えてるが……」
胸に残る不快感、残っているのはそれだけだった。昨日と同じく、内容については記憶からすっぽりと抜け落ちてしまっている。
「あー、あるある〜。夢ってすぐ中身忘れるよね〜」
ベッドに頬杖をつきながら、彼女は言った。
「昨日もそうだったよねぇ」
その隣でノエルはベッドにもたれかかり、組んだ腕に顎を乗せている。
「ふ〜ん。ってか、二日連続でうなされるとか、なんかに取り憑かれてんじゃね〜?」
俺を指差しながら、彼女はイタズラっぽく微笑んだ。
「……だとしたらお前にだろ」
「んー? ……あそっか、アタシ幽霊じゃん」
今さら思い出したのか、彼女は僅かに目を見開き呟いた。
「はぁ……。悪い、邪魔したな。俺に構わず続き観てくれ」
机の上のモニターが煌々と部屋を照らしている。画面が緑がかっているところを見るに、二作目の途中なんだろう。
「かおるん観なくていいん? でっかい緑のおっさん、めっちゃすごいよ?」
「その辺は大体観てるからいい」
話しながらスマホを手に取り、時間を確認する。
「二時半か、まだ全然寝れるな。……っと」
ふとノエルのほうへ目をやると、彼の瞼は重そうに垂れ下がっていた。
「なんだ、寝ないんじゃなかったのか」
「え〜? ちょっとのえるん、もう限界〜?」
「……んぇ? あぁ、だいじょうぶだよぉ……」
語尾に眠気を滲ませ、彼はふらふらと立ち上がる。
「しょうがないな〜。アタシも大丈夫だからさ、のえるんもそろそろ寝な?」
「んぅ、でもぉ……」
「でもじゃないでしょ? ほら、ここ寝て」
床に敷いた布団の上、逢恋は枕をポンポンと叩き、ノエルを招く。彼は不満そうに唇を尖らせながらも、やがて誘われるがまま布団に寝転がった。
「んじゃ、二人ともおやすー」
「おやすみぃ……」
ひらひらと手を振り、彼女はモニターの前へと戻った。俺ももう一眠りするとしよう。そう思い、掛けっぱなしだった眼鏡を……。
「……あー、ごめん。再生ボタンだけ押してくんない……?」
申し訳なさそうに、彼女は囁いた。
「再生……? ……あぁ、マウスも触れないのか」
呟きながら立ち上がり、足元のノエルを踏まないよう机に向かう。
何もかもすり抜けてしまうというのは、やはり不便そうだ。幽霊ってのも楽な仕事じゃないな。
「ありがと〜!」
小声でそう囁き、彼女は俺に向け笑いかける。その笑顔は、モニターからの明かりに照らされたせいか、ひどく眩しく見えた。
また、つい目を逸らしてしまった。
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