第五章
「俺がいいって言うまで入ってくるなよ?」
なぜかニヤケ面で見つめてくる彼女を睨みつけながら、俺はドアを閉めた。そしてひとつ大きくため息をついたあと、まずカーテンを引き窓を開けた。またパラつきはじめた雨の音を聞きながら、乱れたままだったベッドを軽く整える。
「終わった~?」
特段何かを隠しているわけではないのだが、いちおうベッドの下も覗き込んでおく。そのまま、床や机の上に置きっぱなしだった漫画を集め、押入れの棚に並べて扉を閉めた。
「まだ~?」
最後にスナック菓子の袋をゴミ箱に押し込み、ゴミ箱に被せておいたビニール袋ごと引っ張り出して口を結んだ。そうしてまとめたゴミ袋を、とりあえずベランダの隅に放り投げておいた。
「もういい~?」
「ちょっと待ってろって……!」
窓を背に、部屋の中をぐるりと見回してみる。ぱっと見は片付いて見えるし、まあいいだろう。
「はぁ……もういいぞ」
「はーい! おっじゃましま~」
軽快な返答がドアの向こうから聞こえた。そしてドアが開――。
「おわぁ!?」
と思いきや、彼女はドアをすり抜けて部屋に侵入してきた。
「あははっ! ごめんごめん、ドア開けらんないからさ~」
「あ、あぁ、そうか……」
笑顔のまま眉根を寄せ、申し訳なさそうにしながらも、彼女は俺のベッドに腰かけた。額に浮かんだ冷や汗を拭いながら、俺はテーブルの上に手を伸ばし……。
「……あぁ?」
「ん、どしたん?」
「いや、リモコンが……」
きょろきょろと見回してみるが、近くには落ちていないようだ。
「リモコン? テレビの?」
「いや、テレビはない」
「あんじゃんテレビ。あそこに」
「……あれはモニターだ、パソコンの。エアコンのリモコン探してんだよ」
「あー」
確か昨日、シャワー浴びてすぐ涼めるように手に取ったはず。
「使ったらちゃんと元んとこ戻さないからこうなるんだよ〜?」
母親みたいなこと言いやがって。というか……。
「お前が昨日いきなり出てくるからこうなったんだが?」
こいつがいきなり脅かしてきたせいで、俺はうっかりリモコンを落としてしまったんだ。
「……あ〜ね。んー、ごめ〜ん」
ヘラヘラしながら謝る彼女を尻目に、勉強机の下に落ちていたリモコンを拾い上げた。……そういえばこいつ、俺の部屋に入るの二回目じゃないか。「両親ですら数えるほどしか足を踏み入れたことのない聖域」だったはずなんだが。
「のえるん家はこっから近いの?」
「だいたい十分くらいの距離だな」
「じゃもうすぐ着くかな〜」
他人のベッドの上に深く腰掛け、ぷらぷらと足を揺らしながらくつろいでいる。その厚かましさには目をつぶり、窓を閉めエアコンをつけた。
「ん、どこ行くん?」
ドアノブに手をかけた俺に、彼女は問いかける。
「ノエルの分の布団取ってくる」
「アタシのはー?」
「寝れないんならいらないだろ」
「えーひど〜」
背中に投げられる苦情には耳を貸さず、後ろ手にドアを閉め階段を降りた。
「おう、ただいま」
「と、父さん……!? 帰ってたのか……」
いつのまにか帰ってきていた父さんが、リビングで缶ビール片手にくつろいでいた。テレビの前のソファにどっかりと座り込み、こちらに向かって微笑んでいる。
「友達でも来てるのか?」
「あっ、いや……」
思わず、口ごもってしまった。
さっきノエルが試しにスマホで動画を撮っていたが、案の定彼女の姿は写っていなかった。声に関しても、見返した動画には俺とノエルの声以外入っていなかった。それを観た彼女は、「配信できないじゃん!」とご立腹だった。
つまり、俺やノエルのような『見える』人間以外に、彼女の存在を知覚させる方法がない、ということだ。
ということは、もし素直に『幽霊と知り合ったんだ』と打ち明けたとして、それが『見えない』人間だった場合、なんの証拠も示せぬためそのまま虚言として片付けられ、病院を勧められることとなるだろう。
「で、電話だよ……友達と電話で話してたんだ」
ということで、ここは嘘で誤魔化すこととする。
「それより父さん、布団どこにしまってあるか知らないか?」
「布団? 母さんのなら二階に片付けてあるが……どうするんだ?」
「友達が泊まりにくるんだ」
一瞬、缶に口を付けたまま、父さんの動きが止まった。そしてチラリと俺のほうを見たかと思うと、満足そうに鼻を鳴らした。
「そりゃいいな、晩飯はどうするんだ? 父さんが作ってやろうか?」
「いや、いいよ。適当にどっか食べに行くから」
「遠慮すんなよ〜」
俺たちは親子揃って料理下手だ。少なくとも、客人に出せるようなクオリティにはまだ達していない。
「来るのは一人か?」
「あー、まあ……」
すでに一人来てはいるが、あいつはノーカンだな。
「まさか、女子か?」
ニヤつきながら、父さんは俺をからかう。
「普通に男友達だよ……」
まあ、ノエルの見た目はほぼ女子だが。
「そうか。なんにせよ、楽しそうでなによりだな〜」
そう言ってまた、父さんは缶を傾ける。
「……ん、すまん薫、冷蔵庫からビール取ってくれないか?」
「はぁ……あんま飲み過ぎんなよ?」
「まだ二本目だよ〜」
上機嫌な父さんを尻目にキッチンのほうへ向かい、ほとんど何も入っていない冷蔵庫からビールを取り出した。
「……なんか寒くなってきたな」
そんな父さんの呟きに、イマイチピンと来ないまま振り返――。
「んなっ!?」
ソファに腰掛ける父さんの目の前に、不機嫌そうな顔の彼女が立っていた。
「やっぱのまっちのパパも見えないよね〜」
身を屈め、確かめようと間近で手を振っている。その様子がまるで見えていないらしい父さんは、ぼーっとテレビを眺めている。
「どうした? ビール入ってたろ?」
「あ、あぁ……」
不思議そうに俺のほうを見る父さんの、頭に指でツノを生やしてみたり、指で作った眼鏡をかけさせてみたりと、彼女は父さんを使って明らかに俺をおちょくっている。
「サンキュー! しっかし、友達とお泊まり会とは、青春だな〜」
見えてない父さんの前で彼女に対して反応するわけにもいかず、ぎこちない動きで俺はビールを手渡した。その様子を見てケラケラと笑う彼女を、俺は精一杯の抗議の意を込めて睨みつけた。
「女の子の友達とかはいないのか~?」
何も知らぬまま、父さんは呑気に酔っぱらっている。俺をおちょくるのに満足したのか、彼女はキョロキョロとリビングを見回している。
「もし可愛い子と知り合ったら、ちゃんと父さんにも紹介しろよ〜?」
「はは……」
あんたの目の前にいるよ……。
「じゃあ、そういうことだから……」
「おーう! 楽しめ若人よ!」
酔うとめんどくさい父さんから逃げるように、リビングの扉を閉めた。
「のまっちとパパってあんま似てないんだね」
扉をぬるりとすり抜けながら、彼女は言った。その光景にほんの少しだけビビりながらも、なんとか平静を保つ。
「顔もそうだし、性格も反対っぽくない?」
「あのおっさんはネアカだからな」
小声でそう答えながら、階段を上っていく。
「ねあか……?」
「……陽キャってことだ」
「あ〜ね、把握〜」
二階の、両親の寝室に足を踏み入れ、押し入れの戸を開く。
「ママはどうなん? 明るい人?」
「……まあな、父さんほどじゃなかったが。……っと」
畳まれたままの布団一式を両手で担ぎ上げた。視界の大半が塞がれてしまったが、往復するのも面倒なのでこのまま強行する。
「……ふ~ん」
一度部屋の前に布団を降ろし、部屋の中央を陣取っているテーブルを隅に寄せ、改めて布団を運び込んだ。
「これでいいか。ノエルはベッドに寝てもらうとして……」
なぜか部屋の外で立ち尽くしていた彼女に、俺は声をかける。
「お前はどうすんだ?」
「……へっ?」
「布団、いるのか?」
キョトンとした顔で、彼女は俺を見つめていた。
「あ、あー! えと、だいじょぶ、かな。どうせ寝れないし」
目を泳がせながら彼女は部屋に入り、またベッドに腰掛けた。不審に思いながらも俺は、部屋のドアを閉め椅子に座った。
エアコンの音が微かに響く部屋の中、少しの気まずさを孕んだ沈黙に、俺たちは包まれていた。
「……ね、あの、リビングにあったのって――」
ピンポーン、チャイムが鳴った。
「……のえるん来たっぽいね、迎え行こ~」
そう言い残し、そそくさと彼女はドアの向こうに消えた。
「ノエルくんか、イマドキって感じの名前でいいね~」
「あ、ありがとうございます……」
リビングで父さんに捕まり、ノエルは苦笑いを浮かべている。
「大したおもてなしもできなくて申し訳ないな〜」
「いやいやそんな、お構いなく……」
グイグイ来る友達の親という存在がどれほど厄介なのか、ほろ酔いの父さんは気付いていない。
「ちょっと早いけど、荷物だけ置いて飯食いに行こうぜ」
「あ、うん!」
俺の出した助け舟に飛び乗るかのように、ノエルは笑顔で振り向いた。
「父さんもついてっちゃおうかな~」
頼むから黙っててくれないか。
「なんてな。どこまで行くんだ?」
「あー、駅前のモールかな。買い物もしたい、し……?」
俺と父さんが軽い会話を交わすその間を、彼女が横切った。
「そうか、変なのに絡まれないように気をつけろよ〜?」
そしてテレビの隣、部屋の隅に目を向けたまま立ち止まり、真剣な表情で何かをじっと見つめている。
「あぁ、うん、気をつけるよ……」
彼女に視線を向けながら、俺は生返事を返した。
「……あれ? すみません、えと……」
当然、その行動はノエルにも見えているわけで。
「あそこにある、お仏壇って……」
彼女の視線の先にあるものに、ノエルは気付いた。
「あぁ、妻のものだよ」
「……えっ」
想定外の返答に、ノエルは固まってしまった。そして彼女はただじっと、母さんの遺影を見つめ続けている。
「病気でね、もうすぐ一年になるか……。薫、言ってなかったんだな」
「……ノエル、その……悪い、隠してたわけじゃないんだ。ただ、タイミングがなくて……だから、その、気にしないでくれ」
言い訳がましく口ごもる俺を、彼はきょとんとした顔で眺めている。
「――ぁ、うん、えと、僕のほうこそ、ごめん、その、えと」
かける言葉を探してか、ノエルは言い淀む。
そんな、ひどく居心地の悪い空気の中で、俺はただ立ち尽くしていた。
「……さ、ご飯食べに行くんだろう? ちょうど雨も弱まってきたみたいだし、今のうちに行っておいで」
優しく、慰めるような口調で、父さんはそう言った。
その声遣いは、母さんが死んで塞ぎがちだった俺をなんとか元気付けようと、無理にでも優しさを滲ませていた、あの頃と同じものだった。
「……ん。ノエル、行こうぜ」
「あっ、うん」
また、父さんに気を遣わせてしまった。後ろめたさから顔を上げられず、少し俯いたままリビングをあとにした。
母さんが死んですぐあとに、窓の外で雨が降りはじめたのを覚えている。
俺の前で涙を見せたくなかったのか、父さんは少しの間必死でこらえていたが、やがて崩れ落ちるように母さんに縋りつき、そのまま声を殺して泣いていた。
その背後で俺は、涙も流さずただじっと、その光景を眺めていた。
バッグを置いたノエルは、どこか居心地悪そうに、俺のベッドに浅く腰掛けた。
「……あー、その……」
俺は椅子の上で俯きながら、なんとか言葉を絞り出そうとしていた。
「べつに、言いたくなかったとか、そういうんじゃないんだ。死んだのをまだ受け入れられてないだとか、そういうのでもない。ただ、その……」
実際のところ、なぜノエルに話せていなかったのか、自分でもよくわかっていなかった。母さんが死んでから、もうすぐ一年。精神的にも折り合いをつけ、自分なりに受け入れることができたと、そう思っていたのだが。
「……うん、大丈夫だよ。ちょっとびっくりしただけ。薫くんも、その……お母さんのことはもう、乗り越えたんだよね……?」
「まあな。そりゃあつらい時期もあったが、今は平気だ。その辺は気にしないでいい」
変に気を遣われるのが嫌で、そう言い張った。胸の奥に残る、ざらついた感覚には見て見ぬ振りをした。
「そっか、ならよかった」
そう言ってノエルは顔を綻ばせ、安心したように肩の力を抜いた。
「のまっちってさ〜」
ドアの前、毛先を指でくるくると弄りながら静かに話を聞いていた彼女が、不意に口を開いた。
「やっぱママ似っぽいよね〜」
「……そうか?」
「目とかさ〜? ママの写真そっくりじゃん? ちょっと笑ってみ〜?」
そんな期待するような目で見られたところで、すぐに笑顔になれるほど愛想の良い人間ではない。
「ふぅん、そうなんだ」
そしてノエルまでもが俺を見つめはじめた。妙な恥ずかしさを感じ、思わず目が泳ぐ。
「……そうだ、あとで改めてお参りさせてもらってもいい? さっきはそのまま上がってきちゃったし、きちんとご挨拶しとかないと」
「ん、あぁ。まあ、どっちでも」
友達の母親で、しかも面識すらない相手の仏壇なんて参る必要もないと思うが……なんとも律儀なやつだ。
「ついでに、どれだけ似てるのか確認させてもらおっと」
「……そんなに似てないと思うけどな」
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