第2話 文字通りの意味
部屋の中央には、簡素なエプロンをつけた女性のマネキンが横たわっていた。
「で、何をすればええんや?」
コーリンの質問にエリナは答えた。
「カイに、この子の起動を手伝ってほしいの。
理論上は、もう立ち上がる段階に入っている。
ただ、最後のところで止まっている。
この子の思考ユニットは、カイと同じ基幹理論で設計してある。
だから、カイを介して11次元空間を――」
コーリンは軽く手を上げた。
「エリナさん、すまんが理論の理解までは難しい。
カイ、何をすればええか、わかるか?」
カイは即座に答える。
「まず、その個体とのリンクを希望する。
エリナ博士の意図が、私の理解と一致しているか確認する必要がある」
エリナはすぐに頷いた。
「ええ。お願いするわ」
「確認しておきたい。
私の接続端子は胸部パネル内にある。
上半身を脱ぐ必要があるが、問題ないか」
「構わないわ。ケーブルはこちらで用意するわね」
エリナは即答した。
その横で、コーリンが鼻で笑う。
「カイ、今さらやな。ソルゾンビ相手やと、最初から全裸やろ」
「ここはエリナ博士の居住区だ。ソルゾンビとの戦闘とは異なる」
カイは淡々とそう言い、上半身の衣服を脱いだ。
畳んで脇に置く。
胸部パネルが開き、内部の接続端子が露出する。
エリナから渡されたケーブルを受け取り、カイはその端子の一つに接続した。
しばらくして、カイが言う。
「やるべきことは、私の予想と合致している。この個体の起動は高い確率で可能だ」
エリナは小さく頷いた。
「よかった。お願いできる?」
「了解した。エリナ博士。それでは、実行する」
膨大なログが流れ始める。
その量と速度は、人間の視認を前提にしていない。
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[特化ログ時刻起点再設定]
[00:00:00.00][Setting]特化ログ目的: 外部接続個体起動支援
[00:00:00.00][Setting]対象: 11次元空間座標
[00:00:00.00][Setting]追記情報: 座標変換式・座標空間
[00:00:00.00][Vector]起点 O 設定
[00:00:00.00][Vector]座標空間 S 正規化
[00:00:00.00][Vector]初期座標抽出 p0∈S, q0∈S
[00:00:00.22][Vector]空間操作関数 F0(p0, q0) 実行
(中間ログ省略:人間可読域外)
[00:01:30.74][Vector]情報投影空間射影
F791242948756031(p276325940498728)
→ q98776376254294
[00:01:30.71][Vector]座標変換
q98776376254295 = G442947591286630(q98776376254294)
[00:01:30.71][Vector]最終3次元投影座標計算 完了
[00:01:30.80][Projection]投影開始
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カイは何かをしたようだったが、見た目には何も変わらない。
マネキンも、部屋の空気も、静止したままだ。
だが、アイリは首を傾げて誰もいない空間に向かって質問をした。
「……お姉さん、どうしたの?」
カイもケーブルを自分の胸部パネルに接続したまま、マネキンの正面に立ち上がった。
無言でその胸元に掛けられたエプロンに手を伸ばす。
「え? それはあかんやろ」
コーリンが思わず声を上げる。
「俺でも、そんなセクハラせえへんで」
だが、カイは構わずエプロンを丁寧に外し、両掌の上に受けた。
そのまま腕を伸ばし、静かに手を離す。
エプロンは落ちず、宙に留まったままだった。
反応があったのは、マネキンではなくエプロンのほうだった。
エプロンの位置から、ひとりの女性が姿を現した。
淡く青い目。
ほんのわずかに柔らいだ口元。
透明感のある白い肌。
重さを感じさせないまま、形だけが正確に保たれている胸のふくらみ。
腰にあたる位置は区切りを持たず、
全体が途切れのない緩やかな曲線として存在する。
腰まで流れる白金の髪が、照明を受けて静かに輝いていた。
コーリンが、思わず口をついた。
「……これ、裸エプロンみたいな……」
「コーリン、変なこと言ったら殴るわよ」
エリナが言う。
だが、裸エプロンと言われた本人は気にした様子もなく、楽しげに笑った。
「いいのよ。あなた達が“見たまま”に反応してくれるほうが好き」
彼女は一歩、前に出る。
――いや、正確には歩いていない。
宙に浮いたまま、わずかに距離を詰めただけだった。
「自己紹介するわ。
私はミラージュ――ミラでいい」
その言葉に、エリナはようやく息を吐いた。
長い時間を飲み込むように、一瞬だけ言葉に詰まってから、口にする。
「……やっとね。
19年かかったわ。ようこそ、ミラ」
ミラは微笑んだ。
だがすぐに、思い出したように言った。
「ごめんなさい。
先にお礼を言うべきだったわ。
エリナ、カイ、コーリン……ええと、あなたは?」
「私はアイリ。お姉さん、初めまして」
「ええ。本当にはじめましてね」
ミラは微笑んだ。
「でも、私を呼ぶときは“お姉さん”じゃなくて、ミラと呼んでほしいわ」
「うん、ミラ」
「素直でいい子ね」
そしてミラは言った。
「また忘れるところだったわ。エリナ、カイ、コーリン、アイリ、ありがとう」
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数時間後。
コーリンがエリナを連れ、ソルゾンビ対策局の内部を案内していた。
通路の少し先では、アイリがミラと並び、外の景色を覗き込みながら何か話している。
その周囲では、通りがかる職員が思わず足を止めたり、視線を向けたりしていた。
その少し後方で、カイが無言のまま立っていた。
その様子を横目に見て、エリナが小さく苦笑する。
「ごめんなさいね。
あの子、外の世界に興味を持っちゃって。振り回してるでしょう?」
「まあ、あの裸エプロンやったら注目集めるで」
「……ミラには注意しておくわ。
事情を知らない人の前では、面倒くさがらずに衣服を描写するように、って」
「それは残念やな」
「……コーリン」
コーリンはごまかすように話題を変えた。
「ところで、あのマネキンは持ってこんでよかったんか?」
「ええ。あれは最初に設定を流し込むための装置よ。
一度ミラを起動したら、もう必要ないわ」
「オレはてっきり、あのマネキンを動かすんやと思っとった。
まさか、エプロンが本体とは思わなんだわ。」
「エプロンも本体じゃないわよ。
あれは、いわば外部電源みたいなもの。蓄電池に近いわね」
「え? そうなんか。
じゃあ……本体はどこにあるんや?」
「いわゆる“実体”そのものがないの。彼女は物理的な存在じゃない。
情報そのもの、と言ったほうが近いわ」
「……なるほどな。
だからカイは“その個体”なんて言い方をしとったんか。
回りくどい言い回しで、ちょっと引っかかっとったんや」
「言葉を選んでいたんでしょうね。
彼女を正確に説明するのは、私でも難しいもの。誤解されるのも無理はないわ」
コーリンの横には、若い職員が一人、控えていた。
リオ・バレンタイン。
整った姿勢で、丁寧に頭を下げる。
「アイリも楽しそうですね。
では、その間に施設をご案内いたします」
「助かるわ」
エリナは頷く。
「まあ、私が見ていなくても、カイがいるから大丈夫でしょう」
「ほな、リオ。説明は任せたで」
リオ、エリナ、コーリンの三人は、応接室に入る。
壁面のスクリーンには、ソルゾンビ対策局の概要が映し出されていた。
「ここ、ソルゾンビ対策局には四つの部隊があります」
リオが説明を始める。
「第一は、カイ……とアイリ。二人だけの部隊です。
第二は、バイオノイド部隊。
第三は、通常の軍人部隊。
そして最後が――ノクティルスモンク僧侶部隊。
私も、そのノクティルスモンクの僧侶です」
リオは「カイ……」の後に、何かを付け足そうとして、言葉を止めたようだった。
「噂には聞いているわ」
エリナが言う。
「でも、ごめんなさい、正確な教義までは把握していないの」
「我々の教義は、
“自分との戦いで、自らを聖人の領域へと高めていくこと”です」
「自分との戦い……」
エリナは一瞬、言葉を反芻するように間を置いた。
「いかにも宗教的な考え方ね」
「いえ」
リオは静かに首を振った。
「“文字通りの意味”です。後程お見せします」
エリナは首を傾げた。
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通路脇の窓から、下の訓練場が見下ろせた。
その一角で、僧兵が一人、立っている。
相手は誰もいない。
それでも彼は、空気を切り裂くような動きを繰り返していた。
次の瞬間、その頬に赤い線が走り、血が滲む。
「……透明人間と戦っているの?」
エリナが呟く。
「違います」
リオが即座に答えた。
「彼は、もう一人の自分を“イメージ”し、それと戦っているんです。
そのもう一人の自分は、想像ではなく、
現実に存在するかのように――
自分に怪我を負わせ、時に……
自分を殺すことさえできます」
エリナは、息を呑んだ。
「……だから、感染しないのね」
静かに言う。
「死を、自分で引き受けられるから」
リオは何も答えず、訓練場の中央を指さした。
「そして――我々を導いているのが、……彼……です」
「“彼”やなくて、“アウグストス”でええんやないか?」
横からコーリンが口を挟む。
「自分の親父の名前、言いにくいんやったら、“おとん”でもええと思うで」
コーリンは、自分の父の名前を言いにくそうにしているリオにフォローを入れた。
エリナは訓練場の中へ案内された。
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白い床の中央に、一人の男が立っている。
武闘用のローブ。鍛え上げられた体躯。
白髪を後ろで束ねたその男は、ただ静止しているだけで、場の空気を支配していた。
訓練場の僧兵たちは、彼を中心に円を描くように立っている。
僧兵たちは一斉に動いた。
だが、アウグストスは一歩も退かない。
わずかな体の傾き。
見えない弧を描くような動き。
それだけで、すべての攻撃がすり抜けていく。
その挙動は、神業と言ってもよいものだった。
影が、わずかに遅れてついてくる。
拳を振るえば、同じ動作がもう一つ重なって見える。
エリナが、思わず息をのむ。
「……速い。
まるで、何人かで戦っているみたい」
「父は“もう一人の自分”と共闘しています。」
リオが答えた。
「外からは見えませんが、
父は“自分の内側”にもう一人を生み出して動かす。
さっきお話しした、“自分との戦い”の応用です」
「確かに、物理的には一人しかいないように見える」
エリナは視線を離さないまま言った。
「なのに、複数で攻撃しているように感じる……」
声は分析的だったが、瞳には明らかな驚きが宿っていた。
アウグストスの両手が交差する。
その瞬間、僧兵十人が同時に弾き飛ばされた。
床に転がる音が、訓練場に響く。
彼は無傷のまま立ち続けている。呼吸すら、乱れていなかった。
やがて、ゆっくりとこちらを振り返る。
「――初めてお会いしますね。
エリナ・トカシキ博士」
エリナは姿勢を正した。
「アウグストス・バレンタイン司祭。
社会に疎い私でも、あなたのお名前は存じ上げています。
一度壊滅したこのS7が、復旧へ向かっているのは、
あなたのおかげです」
「過大評価ですよ」
彼は穏やかに微笑んだ。
「あなたの研究についても聞いています。
今回、19年をかけて“光る魂”を生み出したとか」
エリナは一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。
それから、静かに首を振る。
「正確には“光る魂”じゃないわ。彼女自身は光ではない。
ただ……あなたたち僧侶の言葉で表すなら、
その表現になるのも、無理はないと思うわ」
少し間を置いて、続ける。
「本当は、カイと同じで、17年で完成する予定だったの。
……祖父のように、ぴったりとはいかなかったわ」
「祖父、ですか?」
「クラウス・モーラン。母方の祖父よ。
このS7がまだ軍事コロニーだった時代の技術責任者。
天才だったのは確かだけど……
最低の人間だった」
アウグストスは、わずかに頷いた。
「名前は聞いたことがあります。
“伝説の技術者”と」
「伝説って、便利な言葉ね」
エリナは苦く笑う。
「死んだ人間の冷酷さまで、綺麗に包んでくれる。
……ごめんなさい。
何も知らないあなたに、失礼な言い方だったわ」
アウグストスは首を横に振った。
「いえ。知らない私こそ、軽率に“伝説”などと言うべきではありませんでした」
________________________________________
ソルゾンビ対策局内の一通りの案内を終え、エリナは所長室に通された。
データ端末を閉じ、軽く息をつく。
「――カイ。今回の協力、本当に感謝しているわ。
あなたの正確な11次元空間制御がなければ、ミラは目覚めなかった」
「私の機能範囲内の行動だ。支障はない」
カイは簡潔に答えた。
「コーリン市長、アウグストス司祭。
お礼というわけではないけれど……」
エリナは少し言葉を選んで続ける。
「ソルゾンビ対策局の活動に、私も協力させてもらえないかしら。
研究の都合というのもあるけれど、
ミラはカイの仕様を参考にして設計している。
きっと、戦力としても役に立てると思うの」
コーリンが、少し意外そうに目を見開いた。
「カイと同じ仕様?……こんな別嬪さんが?」
エリナは小さく苦笑する。
「ええ。
カイは“男性の姿をした機械”。
ミラは“女性の姿を映した映像”。
一見まったく違うけれど……設計思想は同じなの」
その言葉の端に、わずかな影が差す。
「私も、祖父と同じ考え方で作ってしまったわ」
コーリンは短く頷いた。
「……まあ、カイが男として作られた理由なら知ってる。
おれは、あいつの起動に20年前立ち会ってたからな」
コーリンは話題を切り替える。
「ほな、正式な手続きは明日にしよか。
で、寝泊まりはどないする?」
「自宅から通うつもりだったけど……少し距離があるわね。
ミラは起動したばかりだし、当面は自宅に戻すとして、
私の滞在については考えましょうか」
アウグストスが、穏やかに口を開いた。
「エリナ博士。
もしよろしければ、博士にも部屋を用意しよう。
ご自宅を優先されるなら、それも尊重する」
「ありがとう、アウグストス司祭」
エリナは少し考えてから微笑む。
「……自分の分だけ料理するのも面倒だったし、その提案、前向きに考えるわ」
そのやり取りを聞いていたミラが、楽しげに口元を緩めた。
「ふふ。
じゃあ、ここで寝泊まりするのかしら。カイと一緒に」
その一言で、リオが目に見えて動揺した。
「えっ、えっ……カイと一緒に……?」
「アイリが問題ないなら、構わない」
カイは淡々と言う。
「私はすでに、アイリと共にいる」
「じゃあ、私も一緒に三人で寝ようね」
アイリが、何の迷いもなく言った。
「あら……お二人は、そういう関係?」
「うん、そう」
アイリは即答した。
「……この子、からかっちゃいけなさそうね」
「わたし、ミラと一緒でもいいよ」
「あら、そう」
ミラも微笑む。
カイが静かに補足する。
「君は眠る必要がないだろう。私と同じだ」
「正確には“必要がない”というより……そうね。
でもそれって、あなたのシミュレーションに夜通し付き合う、ってことかしら?」
「シ、シ、シミュレーションに夜通し……?」
リオの声が裏返る。
カイは首を傾げた。
「どうした、リオ。
君もシミュレーションに参加したいのか?」
ミラが、わざとらしく笑みを深める。
「リオとの夜のシミュレーションなら、悪くないかも」
「…………!!」
リオは完全に固まった。
「夜のシミュレーションって何?」
アイリが純粋に尋ねる。
「文字通りの意味よ。シミュレーションはシミュレーション」
「そうだ。
なぜ“シミュレーション”という言葉に、そこまで反応するのだ?」
カイが真顔で問い返す。
「…………!!」
リオは、もはや言葉を失っていた。
アウグストスが深く息をつく。
「……ミラ、カイ。
すまないが、私の息子をこれ以上からかわないでくれ」
「あら、ごめんなさい」
ミラは悪びれずに微笑む。
カイは首を傾げたまま言った。
「アウグストス。
なぜ私とミラが、リオをからかったことになるのか理解できない」
アウグストスは、眉間を押さえる。
彼は確信していた。
――ミラは、間違いなくソルゾンビ対策局の戦力になる。
だが同時に、
自分の息子を振り回す存在が、
もう一人……いや、もう一つ増えたことにも。
彼は小さく、頭を抱えそうになっていた。
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