第6話
***
さて。事態が風雲急を告げる中ではございますが。ここで一度、状況を整理させていただきたい。
俺が異世界に召喚されたのは三年前。
理由は極めて理不尽。魔王の軍勢に侵略され、滅亡の淵に立たされた異世界の人々が「自力で戦うのは怖いし面倒だから、よその世界から鉄砲玉を連れてこよう」と閣議決定したからだ。
いい迷惑だった。三年間、ブラック企業の社畜も裸足で逃げ出すほどの過重労働を強いられ、魔王の喉元まで肉薄した。
……が、結局は力及ばず敗北。俺は魔王に土下座に近い勢いで降参し、「有給も退職金もいらないから実家に帰して」と泣きついて、ようやく現世に戻ってきたのだ。
ちなみに失踪期間の辻褄合わせは、女神様が「なんか凄い権能」でいい感じに処理してくれたらしい。
それから一週間!
……ん? 一週間? たった七日でこの修羅場か?
……気を取り直して、一週間。
俺の前にヘルヴィールドを名乗る悪魔が現れた。あろうことか、奴は魔王の刺客だという。
Why? なぜだ。
俺はきっちり白旗を振って円満退職したはずだろう。なぜ今更、追い込み漁のような真似をされなければならないのか。
その真相も分からぬまま、俺の前には今、人生最大級に厄介な敵が立ちはだかっていた。
「……動けないでしょう? 無理よ。聖剣は使い手の魔力がなければただの鉄屑。あなたは聖剣がなければ時を止めることしかできない。フフ、これ以上ないほどお似合いの、無力なコンビね」
緋宮の冷徹な皮肉を無視して、俺は隣のサップちゃんに問いかける。
「サップちゃん。【変質】っていうのは、見かけだけをコピーするものなのかい?」
「心外な質問ですね。私の【変質】は外見のみならず、内部構造、質感、成分のすべてを忠実に再現します。たとえば、私が巨乳の美女に変質すれば、その感触も重さも完全に本物。……今すぐ実演しましょうか、マスター?」
「よし、十分だよ、サップちゃん」
「はい?」
「解毒剤に化けてほしい」
「……ご命令とあらば。ロマンのない主様ですね」
これは実質、賭けだった。
サップちゃんの権能が「薬学的な成分」まで再現できるほど精緻ではなかったら。
あるいは緋宮が、無駄話をやめて即座に心臓を貫きに来ていたら。
俺はここで、平穏な日常ごと幕を閉じていただろう。
だが。
「……何とかなるもんだね、本当に」
サップちゃんは己の銀髪を一本引き抜くと、それを瞬時に真っ白な錠剤へと変質させた。
「マスター、あーん、です」
「はい、あーん」
喉を滑り落ちる、わずかな苦味。
刹那。鉛のように重かった四肢に、熱い血の巡りが戻る。痺れが引き、感覚が研ぎ澄まされていく。
「――効き目、抜群だ。ありがとう、サップちゃん」
「……物理法則を、真正面から叩き潰す気? これだから……これだから【神なる剣】は、理解の範疇を超えているのよ……っ!」
初めて、緋宮が動揺を見せ、一歩後退した。
だが。もう、遅い。
「逃がさないですよ」
俺は、強く瞬きをした。
「――【静寂】」
カチリ、と世界の歯車が噛み合う音がした。
時計の針が止まり、色彩が反転する。
全生命が静止したモノクロームの世界で、俺だけが深く、長い息を吐いた。
危ない相手だった。
彼女は確かに、不確定要素を排除することに心血を注いできたのだろう。
だが、彼女はあまりにも「常識」という枠組みを信じすぎていた。
常識。
理不尽が歩いてくるような異世界で生き抜くには、まずその言葉を捨てなければならない。
常識に縛られているうちは、「殺し」なんて、できやしないんだ。
そう、できないんだ。
「サップちゃん」
「はい、マスター」
「軽傷程度にしてやってくれ」
「……個人的には、ここで息の根を止めておくべきだと思いますが」
「いいよ。こいつなら、いつでも殺せる」
「……マスターがそう仰るのなら」
止まった時間の中。俺たちはゆっくりと、戦慄の表情で固まったままの緋宮硝子へと歩み寄った。
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