緋宮硝子①

​***


​ その日、転校生が私の隣に座った。

 蜜柑川悠里。その男は、私の知る「人間」という範疇から、決定的に逸脱していた。


​ 特筆すべきは、その圧倒的なまでの「余裕」だ。


 何が起きても、世界が明日終わるとしても、彼は欠伸一つで対処してしまえるだろう。その底知れぬ静寂は、私にとって羨望の対象であり、同時に耐え難い忌避感の源でもあった。

 興味という名の毒に誘われ、一度だけ言葉を交わしてみた。


 そこで私は、さらなる確信を得る。

​ 彼の挙動は、すべてにおいて「模範的」すぎた。


 正しいが、無機質。平穏を装うための精巧な擬態。その不自然なまでの「普通」の演じ方は、私の記憶の奥底に眠る男に酷似していた。


 幼い頃に私を捨て、霧の中に消えた父。

 彼と父の影が重なった瞬間、私の中にあったのは、焦熱のような激しい殺意だった。

 確信が、実感を伴ったのは三時間目のこと。

 私が落とした筆箱を、彼は拾い上げた。

​ ――本来、この世界の物理法則下では、決して拾い上げられるはずのない速度で。

 見間違いかと思った。思いたかった。が、私は、彼が「転校生」としてこの街に現れた時点で、既に、選択していた。

 それでも、信じたくなかった。ブレーキが、かかった。でも、捨てることにした。


 認識のずれは、時として致命的な不利益を私にもたらす。

​ だから、私は検証を始めた。

 半ば強引に自分を納得させ、彼の喉元に刃を突き立てるための調査を。

 彼を屋上に呼び出したのも、すべては計画の一部。

 

 死の淵に自分を追い込むことで、彼の隠し持った真の能力を引きずり出す。


 確実な勝利には、確実な積み重ねが必要だ。

 そして積み重ねとは、執拗なまでの「観察」に他ならない。

 あらゆる想定外を想定内へと塗り替え、彼という怪物を解析していく。

 だから、ヘルヴィールドを現世に召喚し、彼を急襲させた。

 だから、何度も執拗に、彼の能力を浪費させた。

 だから、彼に「告白」という名の虚偽を提示し、その鉄壁の警戒心を解こうと画策した。


だから。


​「――殺せる」

​ そう、唇を、小さく動かす。

 そこに乗ったのは、恋の囁きでも、感謝の言葉でもない

 すべては、この瞬間のために。


 氷のように冷たい確信と共に、私はその一歩を踏み出した。

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