第29話 遠い記憶

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 ――



 ここは……雲の上か?


 高天原たかまがはらだ。


 なぜだか、そう確信できる。


 俺は……岩の壁を押しているのか?


 ちがう。


 壁じゃない。巨大な岩だ。


 首を振らなければ全体が見渡せないほどの巨大な岩だ。


 これを、押して動かそうとしているのか?


 こんなもの、動くわけがない――



 ズ……ズズズ……



 少しずつ、少しずつ動いている。




「よくも飽きずに続けるなぁ」


 突然、聞き覚えのある声がして振り向いた。


 そこにいたのは、須佐之男命すさのおのみことだ。


『スーさん!』……あれ、声が出ない?


 は、

「す、須佐之男命すさのおのみこと様……!?」と、言っていた。


「そんなに畏まんなよ。堅ぇなぁ。

 俺ぁただ、お前の腕っぷしが気になっただけだ」


 須佐之男命すさのおのみことはニヤリと笑い、足元にある岩を片手で払いのけながら続けた。


「なぁ、俺と力比べでもしてみねぇか?

 鍛錬するなら、相手がいた方が面白ぇだろ」


 がドクンと跳ねた。


「是非にっ!!」


「よぉし、いい返事だ」


 ・

 ・

 ・


 そうか、これはまた、夢を見ているんだ。


 高天原たかまがはらで、須佐之男命すさのおのみことと修行をしている夢。

 もしくは、俺じゃない誰かの遠い記憶――。


 ・

 ・

 ・


「スー殿! 今日こそは負けませんぞ!」

「タヂーよぉ、毎日同じこと言ってよく飽きねぇな!」


 ガッチリ組み合って、相撲のようなレスリングのような真剣勝負。


 組み合った腕に、踏ん張る足腰に、全身に力がみなぎる。

 負ける気がしない。

 須佐之男命すさのおのみことに、勝てる!


 そう思った瞬間、視線の端に光が差した。


 天照大御神あまてらすおおみかみだ。

 木の影から、こちらを伺っている。


『アマテラ!』……やはり声は出ない。


「アマテラ様~あぁ~!!」


 名を呼んだ瞬間、天と地がぐるりと回った。


 ずっずーん……。


「タヂー、姉者に気をとられるとは、まだまだ初心だな~」


 駆け寄ってくる天照大御神あまてらすおおみかみの表情は、異ノ国で見せたどの表情とも違う。

 とても柔らかい微笑み――。


 天照大御神あまてらすおおみかみ須佐之男命すさのおのみことと共に笑い合う、満たされた刻――。





 ……場面が変わった。


 場所は、高天原たかまがはらのはずだが、日は陰り、古戦場のように静まり返っている。


「誰かー! 誰かおらぬのかー!」


 神の姿を探して彷徨っていると、岩陰に崩れ落ちたように座りこむ須佐之男命すさのおのみことの姿があった。


 いつもなら天地に響く笑い声を上げる男が、

 まるで魂が抜けたように、息を潜めて座り込んでいた。


「そこに居るのは……スー殿、なのか?」


 は震えていた。


 須佐之男命すさのおのみことは、ゆっくりと顔を上げた。

 まるで、世界の終わりのような表情で。

 その目は赤く腫れ、泣いたのか怒ったのか判別できぬほど陰っていた。


「タヂー……戻ったのか」


 声は掠れ、力がない。


「何が……あったのですか」


「全部……俺のせいだ」


 俺は息を呑んだ。


「天照の姉者は……

 天岩戸あまのいわとに閉じ込められた」


 胸の奥でピシッと凍りつく音がした。


「俺が……悪鬼どもを……呼び込んじまったんだ……

 妹者を……稚日女尊わかひるめのみことを守ってやれなかった……

 天照の姉者までも……」


 須佐之男命すさのおのみことは弱々しく笑った。


「俺は……ただの大馬鹿者だ。自分が一番強ぇと自惚れていた……」


 俺は静かに膝を折り、須佐之男命すさのおのみことの隣に座った。


「スー殿、俺は、もっと早く帰るべきだった……」


「違ぇよ……タヂー。お前のせいじゃねぇ。

 俺の……傲慢だ。

 全部……俺がやらかしちまったんだ」


 俺は首を振りながら立ち上がる。


「今は……今だけは少し休んでいてください。

 アマテラ様は俺が救い出します。

 俺が、この腕で、天岩戸あまのいわとを開けてみせます」


 須佐之男命すさのおのみことの瞳が、かすかに揺れた。


「俺が光を取り戻すことができたなら、きっと師匠も立ち上がる。

 俺が最も敬愛する師匠は、このまま腐れ落ちたりはしない。

 そうでしょう?」


 そう言って俺は、須佐之男命すさのおのみことに手を差し伸べた。


「スー殿が追うべきは、罪ではない。――悪鬼だ」


「タヂー……」


「スー殿は戦う神でしょう? 似合いませんよ、そんな顔は」


 須佐之男命すさのおのみことは少しだけ笑った。

 苦い、けれどどこか救われたような笑顔。


 そして俺の手を、力強く握り返した。


「タヂー、天照の姉者を、頼む」


 そして俺は走り出した。


 向かう先は、神々が集い、歌い踊るあの場所。

 この手で、天岩戸あまのいわとを押し開くために。



 ――

 ――――――

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 ……夢、か。


 カーテンの隙間から日の光が差し込んでいる。


 カビっぽい空気。


 天井のシミと、見覚えのある蛍光灯。


 そして、枕元に座る老人――。



 老人!?



「だ、誰!?」


「ほーっほっほっ」


 見覚えがある。


 この老人、異ノ国の艶月亭えんげつていで、天岩戸神話の真相を語ってくれた……。


「じいさん、あの時の……。あんたも神様、なんだろ?」


「うむ。いかにも。古~い神じゃて。じゃが、そんなことはどーでもよいことじゃ」


 老人は音もなく立ち上がり、窓に向かって滑るように移動する。


ときが近づいておる。避け得ぬときが、すぐそこまで」


とき? なんの?」


「そのときには、また、お主の手が必要となるじゃろう」


「俺の、手?」


 自分の手に視線を落としている間に、老人は姿を消していた。


『備えるのじゃ――』



 何が始まろうとしているんだ?


 また、天照大御神あまてらすおおみかみたちと会えるのか?

 また一緒に――



 ピピピピッ☆ ピピピピッ☆ ピピピピッ☆



 目覚ましのアラームが、俺の意識を現実へと引き戻した。


「……学校、行かなきゃ」

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