第26話 天まで届け

「さて――今夜が、異ノ国での最後の夜じゃ」


 それは、あまりにも唐突だった。


 神楽の湯宿の大広間に集い、いつものように、夕食という宴が始まろうとしていた、その時だった。



「……は?」と口にしながらも、俺は瞬時にすべてを理解していた。


「はぐれておった神々も、これで全員揃ったことじゃし。

 異ノ国での目的も果たせたのじゃ。

 明日、高天原たかまがはらへ戻るとする」


「へぇー、もう終わりかー」

「やっと帰れるな!」

「久々に高天原たかまがはらの飯も食いてぇなぁ!」


 須佐之男命すさのおのみことも、

 稲荷神いなりのかみも、

 風神かぜのかみも。


 意外なほど、あっさりしていた。


 でも、俺は……身体を大砲で撃ち抜かれたような、

 心臓ごとゴッソリ持って行かれたような、そんな感覚で……


「……俺は?」などという言葉を捻り出すのが精いっぱいだった。


 自分でも情けないくらい、

 かすれた声だった。


「もちろん、おぬしは葦原中つ国あしはらのなかつくにへ帰す。

 、苦労をかけたの」


 やっぱり、そうか。


 いつか終わると、

 わかっていたはずなのに。


 こんなにも唐突に、

 こんなにも普通に、

 あっけなく言われるとは思っていなかった。





 久しぶりの神楽の湯宿での夕食。


 神が増えた分だけ、今までで一番賑やかで、華やかだ。


 酒も、笑いも、料理も。


 天宇受賣命あまのうずめのみことが踊り、


 須佐之男命すさのおのみことは、かぶりつくように声援を送り、


 爺さん婆さんたちは調子の外れた手拍子を打つ。


 稲荷神いなりのかみ風神かぜのかみは相変わらず、次々と料理を運んでは平らげていく。


 天照大御神あまてらすおおみかみは、いつも通りの笑みを浮かべて、上品な仕草で箸を口に運ぶ。


 いつも通り。


 それが、余計に胸を締め付けた。


 何か言うべきだ。


 何か残すべきだ。


 でも、言葉はうまく形にならない。


 ありがとう?


 楽しかった?


 寂しい?


 違う。


 全部違う。


 杯の音や笑い声だけが遠くに響き、

 気持ちを整理できないまま、時間だけが過ぎていった。





 結局、何も言えないまま、部屋に戻った。


 布団に横になる。


 相部屋の須佐之男命すさのおのみことはすぐにイビキをかきはじめた。


 天井を見つめる。


 今からでも、何か――


 部屋を飛び出して、天照大御神あまてらすおおみかみのところへ行って、


 ちゃんと、ちゃんと――


 しかし、身体が重い。


 まぶたが落ちる。


 意識が沈む。


 温泉の湯気みたいに、

 ゆらゆらと。


 そのまま――


 ――――――

 ――――

 ――





 ……カーテンの隙間から差し込む日の光が眩しくて、目を覚ました。


 カビっぽい空気。


 天井のシミと、見覚えのある蛍光灯。


 オンボロアパートの、自室だ。




 夢、だったのか?




 ゆっくりと身体を起こす。


 布団は重く、湿り気を帯びている。

 懐かしい匂いがする。



 起き上がり、視線を落とす。



 着ていたのは、神楽の湯宿の浴衣だ。


 浴衣の袖口から、

 ほんのりと、温泉の匂いがした。


 あの露天風呂の、

 あの世界の、残り香。



 夢じゃない。



 確かに、あった。


 拳を握る。


 胸の奥で、何かがまだ熱を持っている。


 終わったのか?


 本当に、あれで終わりなのか?


 窓の外の空を見上げる。


 雲ひとつない青空。



 高天原たかまがはらは、雲の上にあったはずだ――


 どこに向ければいい?


 どこでもいい。

 どうせ、届かないのだから。


 肺いっぱいに空気を吸い込んだ。



「お別れの言葉くらい、言わせろっつーの!!!」



 行き交う車のエンジン音、

 錆びた自転車のブレーキ音、

 近所の家から漏れ出るテレビの音。


 俺の叫びは、そんな喧騒の中に溶け込んで、消えていった。





異ノ国編 ~完~

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