第19話 踊る神、揺れる心

 艶月亭えんげつていで振る舞われた夕食は、高級食材をふんだんに使った豪華なものだった。


 天宇受賣命あまのうずめのみことは、「このあと仕事があるから」と言いつつ、大盛りのサラダとパンを平らげていた。


 そして、艶月亭えんげつていの夜の営業がスタートする――。



 灯りが落とされ、天井から吊るされた硝子灯が淡い琥珀色の光を落とす。

 客席はすでに満席。

 男たちのざわめきが、低く波のように広がっていた。


「さあ皆さま、お待たせしました。

 今宵もこのステージに降り立つのは、妖麗の舞姫――

 天宇受賣命あまのうずめのみことでございます!」


 うぉぉおおおお! と拍手が沸き起こる。


 そして登場したのは、さっきまでと同じく露出度の高い衣装。

 だが、舞台用にキラキラした装飾が施されており、表情も違っていた。


 妖しく大人びた微笑み。

 まだ、ステージに立っているだけなのに、

 真っ直ぐに伸びた背筋でキレのある立ち姿から目が離せない。


 高鳴る鼓動。


 これからだ。


 これから始まるのだ。


 踊りの女神の舞が。


 ドン★


 太鼓が、ひとつ。


 その一音で、場内が静まり返った。


 天宇受賣命あまのうずめのみことが、すっと目を閉じる。


 次の瞬間――


 空気が、揺れた。


 足が床を打ち、腕が弧を描き、光が残像を残す。

 腰がしなやかに浮き沈みするたび揺れる胸。

 しかし、そこにエロは感じない。


 生命の鼓動だった。


 ドクン。


 ドクン。


 俺の中の何かが、呼応する。


 戦いを見たときの昂りとは違う。


 もっと根源的な――。



 息をするのも忘れて見入ってしまう。


 視線が外せない。


 外れない。


 ただただ、目の前の舞に飲み込まれていく。


 天宇受賣命あまのうずめのみことがくるりと回転する。


 月光のような照明が、汗に濡れた肌を照らす。


 その瞬間、彼女の視線が――


 俺に留まった。


 ほんの一瞬。


 口元が、わずかに笑う。


 挑発ではない。誘惑でもない。


 『届いているよね?』という笑み。


 心臓が跳ねた。



 俺の中に、熱い何かが注ぎ込まれてくる感覚。


 力がみなぎる。


 叫ばなければ、破裂してしまいそうな感覚。



 わぁぁぁああああああ! うぉぉおおおお!!


 気付けば、他の男たちや須佐之男命すさのおのみことと一緒に叫んでいた。


 その自分の叫び声で我に返る。


 ……完全に呑まれていた。



 また、天宇受賣命あまのうずめのみことの視線。


 くすりと微笑む口元。



 ヤバい。このままでは、また呑まれる。


 周りを見ると、さっきまで隣に座っていたはずの天照大御神あまてらすおおみかみの姿が見えない。


「あれ……アマテラは?」


 須佐之男命すさのおのみことに声をかけてみたが、目がハート状態で完全に逝ってしまっている。


 食事に夢中の稲荷神いなりのかみに尋ねると、部屋に戻ると言っていたらしい。


 今回は最初から様子がおかしかったし、神様でも旅の疲れとかあるのかもしれない。


 昂る鼓動に押されるように、俺は席を外して天照大御神あまてらすおおみかみを探しに出た。





 廊下はひんやりと静かだった。


 さっきまでの熱狂が嘘のように、音が遠い。


 奥の客室の前で、足を止めて、コン☆と軽く叩く。


「アマテラ?」


 返事はなかったが、そっと扉を開けた。


 すると、月明かりが差し込む窓辺に、天照大御神あまてらすおおみかみが立っていた。


「どうしたんだよ、先に戻るなら言ってくれれば……」


「……わらわの声が、届いておらぬようじゃったが?」


 う……完全に呑まれていたからな……。


 気まずい沈黙。


 舞台の歓声が、遠くでくぐもって響く。


 天宇受賣命あまのうずめのみことの視線、微笑み、胸の奥に、まだ熱が残っている。

 そのせいで、今は少し気まずい。


「い、いやー、すごかったな。ウズメの舞。さすがは踊りの女神」


「そうか。そうじゃな」


 なんだか不機嫌そうな天照大御神あまてらすおおみかみ


 まさかと思うが、とか……?


 俺は天照大御神あまてらすおおみかみの隣に並んで、月を見上げた。

 並んで立つと、俺の方が若干背が高い。

 普通の女の子と並んで月を見上げているような感覚。


 ここが、こここそが、ずっと前から俺の場所だったような、心地よい安心感。

 

「綺麗な月だなー」


 何の気なしに、ただ見ただけの感想が口をついて出た。


 その瞬間、天照大御神あまてらすおおみかみが勢いよく俺に顔を向けたのがわかった。


 あ……『月が綺麗ですね』って愛の告白なんだっけ?


 しばし見つめ合う。


「や、今のは、そういうのじゃなくて」


 神様も夏目漱石を知ってるのか?


「ふふっ。わかっておる。おぬしはで、わらわじゃ」


 天照大御神あまてらすおおみかみは、少しだけ寂しそうな表情で月を見上げた。


「……人とか神とか、俺には関係ないよ」


 そう呟いて、俺も月を見上げた。


 いや、正直、葛藤はある。でも、今は。今この瞬間は、天照大御神あまてらすおおみかみをただ一人の女性として見ているんだ。俺は。


「関係ない、と申すか」


「ああ。さっきは、ウズメの舞に呑まれていたけど……あれは」


 正直に言う。


 逃げない。


「あれは、あの舞を見ていると何かこう俺の中に流れ込んでくる力みたいなのを感じて……目が離せなくなってた。あの昂りは……よく、わからないけど……」


 天照大御神あまてらすおおみかみの横顔を見て、改めて思う。


「俺は、安心できるこの場所の方がいい。アマテラの隣が、いい」


 普段なら絶対に口にしないようなことも言えてしまうのは、天宇受賣命あまのうずめのみことの舞を見た昂りが、俺の中にまだ残っていたせいかもしれない。


 自分でも少し気恥ずかしい言葉だったが、素直に本心を打ち明けた。


 天照大御神あまてらすおおみかみの瞳が揺れて、わずかに潤んだように見えた。


わらわは……おぬしがウズメの舞に魅入っている顔を見たとき……」


 拳をぎゅっと握る天照大御神あまてらすおおみかみ


「胸の奥が、ひりついたのじゃ。

 あの場所に、わらわの居場所はない、と感じて……」


 そっと天照大御神あまてらすおおみかみの肩を抱き寄せた。


 そして、俺たちは互いに向き合い、見つめ合う。

 もう言葉はいらない。


 いける。


 俺の初めての――くちびる――


「アマテラ」


 そっと目をつむる天照大御神あまてらすおおみかみ


「……タヂカラ」


「ん?」

「え? ぁ……」


 天照大御神あまてらすおおみかみがさりげなく漏らした言葉で、我に返る。


 『タヂカラ』? なんだ? 名前? 誰? 何?


 その時、



 バァーン!☆



 勢いよく扉が開け放たれ、興奮冷めやらぬ須佐之男命すさのおのみことが現れた。


「いやぁ~、やっぱウズメの舞は効くなぁ~たぎった、ぜ……あ」


 慌てて離れる俺と天照大御神あまてらすおおみかみ


「こいつぁ~、お邪魔、しちまったか?」


「な、なんのことじゃ? わらわらわたちはべべべ別に、の~ユウキよ」

「そそそうだな。つつ、月を眺めていただけだよ。綺麗な月だな~、アマテラ」


 ニヤニヤと笑う須佐之男命すさのおのみこと


「へ~ぇ。月、ねぇ」


 そのまま背を向けて「ユウキ~、俺たちの部屋は隣だぜ」と言い残して部屋を出ていった。


 入れ替わるように稲荷神いなりのかみが、眠そうな目をこすりながら部屋に入ってきて、パタリとベッドに倒れ込む。


 そして訪れる静寂――。



「あ、じゃ、じゃあ、また明日ってことで……」

「そ、そうじゃな。また明日、じゃ」


「おやすみ」「おやすみなのじゃ」



 まさか、この奇妙な旅が、こんな展開になるとは思いもしなかった。

 胸の鼓動が、まだ鳴りやまない。




 で、『タヂカラ』って何なのー!?

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