根ノ国・黄泉の国編

第45話 天照大御神

某所、根ノ国へと続く大トンネル――



「なあ、姉者……天照の姉者よっ。本当に良かったのか?」


「……何がじゃ?」


「何がって……ユウキを連れてこなかったことだよ」


 その言葉に、足を止めた。


 喉の奥がきゅっと狭まった。


 ユウキには――今のユウキには、人の子としての人生がある……。





――数ヵ月前。



 高天原たかまがはらに激震が走った。

 黄泉の国の封印が破られ、大量の穢れが根ノ国へと溢れ出したのだ。


 神々は集い、どう対処したものかと議論を重ねた。

 しかし最後は「黄泉の国で何が起こっているのかが分からぬ限り、手の打ちようがない」という結論に至っていた。


 そうしている間にも、穢れは根ノ国を蝕んでいるというのに――。



 そんな折、わらわの部屋に月読命つくよみのみことが駆け込んできた。


「姉様! ついに! ようやく! やっと見つけました!」


 あんなにも嬉しそうに笑う月読命つくよみのみことは、何千年もの間、見ておらんかった。


天手力男命あめのたぢからおのみこと殿の魂! 葦原中つ国あしはらのなかつくににあります!」

「誠か!!」


 その瞬間、あんなにも心が晴れわたったのは、何千年ぶりじゃったろうか。


 かつて、わらわを謀り、黄泉の国に独り残った天手力男命あめのたぢからおのみこと

 その身を楔として、道を塞いだ神。


「タヂカラが……タヂカラが転生しよったか……ようやく……また会える……」


「しかし、いささか問題もあります――」


 天手力男命あめのたぢからおのみことの魂を宿しているのは、ごく普通の人の子だという。


 人の身に宿る魂は脆い。

 いきなりすべてを思い出させれば、心も身体も耐えきれぬやもしれん。

 下手をすれば、そのまま消えてしまうかもしれぬ。


 だからこそ、考えたのじゃ。


 ゆっくりと。

 段階を踏んで。

 魂を、記憶を、呼び起こす。


 そのための――異ノ国観光。




 最初は御手洗ユウキを、ただの器としてしか見ておらんかった。


 冴えぬ顔をした、ただの人の子。

 頼りなく、運も悪く、戦う力も持たぬ。


 それが――


 いつからであろうか。


 共に笑うようになり、

 時に怒るようになり、

 守りたいと思うようになり――

 逆に守られもした。


 気が付けば、わらわの中で天手力男命あめのたぢからおのみこととユウキは、すっかり同化しておった。


 うっかり「タヂカラ」と口にしたときなどは、ユウキを傷つけてしまったのではないかと気が気ではなかった……。


 天手力男命あめのたぢからおのみことという神は、もういない。

 目の前にいたのは、御手洗ユウキという人の子じゃ。


 天手力男命あめのたぢからおのみことの魂を宿していても、ユウキはユウキなのじゃ。


 じゃが、ユウキの中には確かに、天手力男命あめのたぢからおのみことの魂を感じた。


 ユウキであり、タヂカラでもある。


 胸の奥で、何かが軋んだ。

 あのまま旅を続けていては、自分が壊れてしまいそうな気がして――


 だから、終わらせた。


 異ノ国の旅を。


 ・

 ・

 ・


 高天原たかまがはらに戻ったあとも、心は落ち着かなかった。


 やもすれば、黄泉の国の問題よりも、ユウキに会うために葦原中つ国あしはらのなかつくにに行く算段を練ろうとする始末じゃ。


 じゃが、その間にも穢れは広がり続け、やがてそれは葦原中つ国あしはらのなかつくにへと及びはじめた――。


 そうなってしまっては、座して見ているわけにはいかぬ。


 この事態はすべての神々に伝えられた。


 当然、その報せは、弟者……須佐之男命すさのおのみことも知ることとなった。

 すると、やはり懸念していたように、須佐之男命すさのおのみことは単身でも根ノ国へ乗り込もうとした。


 しかしわらわにとっては好機でもあった。

 

 葦原中つ国あしはらのなかつくにに拠点を構える必要がある。


 場所は神楽丘。


 根ノ国へ攻め入るまで、まだ多少の猶予はあった。


 ほんの少しの悪戯心と下心、

 拭いきれぬ想いを抱え、

 人の姿を借り、学び舎へと足を踏み入れた。


 ・

 ・

 ・


 再会したあやつは、やはり、ユウキであった。


 笑い、戸惑い、怒り、そして――。

 そのすべてが、眩しかった。


 だが同時に、思い知らされる。


 あやつには、あやつの、人の子としての生がある。


 友がいて、日常があり、守るべきものがある。


 それを――奪ってしまって良いものか?


 根ノ国へ、黄泉の国へと連れて行けば、また三千年前と同じようなことにもなりかねん。

 今度こそ、本当に失ってしまうやもしれぬ。



 気持ちが揺れ動く中、思いがけず出会った国之常立神くにのとこたちのかみに、悩みを打ち明けたこともあった。


『知らねぇよ。それを決めるのはお前さんじゃねぇ。人の子自身が決めるこったろ』


 と、一蹴されてしもうたが……。

 確かにそうかもしれぬな。


『そんなもん悩んでたって、どうにもならねぇ。なるようにしかならねぇよ』


 あとは、真実を伝えるかどうか、じゃ。




 思い悩んだ末、口から出た言葉は――


「おぬしは、大切な友人たちの近くにおれ。そして、おぬしが護ってやるのじゃ」


 きっと、真実を知れば、あやつは共に行くと言ったに違いない。

 だから言えなかった。

 また、再び失うかもしれない。それが怖かったのじゃ。


 いや、それ以上に、

 真実を知った上で、拒まれるかもしれない――とも思ってしもうた。


 それが一番、怖かったのじゃ……。





『本当に良かったのか?』という須佐之男命すさのおのみことの問い――


 その答えは、変わらぬ。


 だが――


 胸の奥が疼く。


 須佐之男命すさのおのみことに背を向けたまま、


「これで良いのじゃ」


 自分に言い聞かせるように、そう答えた。

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