第58話 永遠の黄昏

――根ノ国――



 あれほどまでに禍々しく黒く濁っていた世界は、


 まるで何事もなかったかのように――


 穏やかな黄昏に包まれていた。



 空は柔らかな橙色に染まり、


 どこまでも続く草原が、金色に揺れている。



 暖かい風が吹くたび、


 さらさらと草が波打ち、


 優しい光がきらきらと反射する。



 乾いた土と、草の香りが心地よい。



「……これが、本来の根ノ国……」


 思わず、息を呑む。


 天照大御神あまてらすおおみかみが両手を広げて、天を仰いだ。


「これが――これこそが、遠い記憶にある、根ノ国の景色じゃ!」



 金色に揺れる草原の向こうから、大勢の神たちが駆けてくる。



 先陣をきるのは、

 建御雷之男神たけみかづちのおのかみ経津主神ふつぬしのかみ


 稲荷神いなりのかみの姿も見える。


 天宇受賣命あまのうずめのみこと猿田彦命さるたひこのみこと


 かしまし女神たちと気吹戸主いぶきどぬし


 国之常立神くにのとこたちのかみも。


 みんな、無事で――――



 ググゥゥ――――――……



「ユウキ――、腹減って死にそうだぞ――」

「オラも……もうダメだべ……」


 風神かぜのかみ雷神かみなりのかみは完全にへたり込んでいる。


「……俺もだ」


 一緒になって草の上に寝転がった。



 橙色の空が、どこまでも広がっていた。



 身体の感覚が、すうっと遠のいていく。



 風の音も、草のざわめきも、

 誰かの声も――


 すべてが、やわらかく溶けていく。


 ――――――

 ――――

 ――

 ・

 ・

 ・





♪ドンドコドンドコ ドッドォ~ン

 ドンドコドンドコ ドッドォ~ン


 ピィ~ ヒャラリロォ~♪



 祭囃子まつりばやしが聞こえる――


 俺は……眠っていたのか。


 少しずつ、意識が明瞭になっていく。


 やわらかい。


 あたたかい。


 そして、おでこには『もにゅん』と柔らかい感触が乗っている。


「目が覚めたかえ?」


「ん――……!?」


 天照大御神あまてらすおおみかみが、

 穏やかな笑みを浮かべて、こちらを覗き込んでいた。


「……あれ……俺……」


 状況を理解するには、数秒かかった。


 膝枕――と、豊満な――


「おわっ! と……」


 慌てて起き上がろうとすると、

 天照大御神あまてらすおおみかみは、くすりと笑った。


「あれほど長い間、神威神装のまま戦ったのじゃ。無理するでない」


 優しい声で、そう言いながら、強引に俺を引き戻す。

 太ももに引き寄せられ、そのまま柔らかく抱き留められる。


 これは――ご褒美タイムってやつか!?


 困惑しながらも、首を動かし周囲を見渡した。




♪ドドォ~ン カッドォ~ン


『わははははー!!!』

『いいぞー! ウズメ―!』

『もっと酒もってこーい!!』

『肉もまだまだあるよー!』


 そこには――


 盛大な宴の風景が広がっていた。


 金色の草原に、大勢の神々が集まり、

 呑んで、食って、笑って、騒いでいる。


 前の宴とは違い、陽気な雰囲気に満ちていた。


「ユウキー!! 起きたかー!!」


 遠くから、風神かぜのかみが手を振っている。


「おせぇぞー! 肉なくなっちまうべー!」


 雷神かみなりのかみも叫んでいる。


「おいおい、主役がいつまでも寝てんじゃねぇよ!」


 須佐之男命すさのおのみことは、酒瓶を掲げて笑っていた。


「ユウキー!!」


 稲荷神いなりのかみが、九尾をなびかせて楽し気に舞っている。


 天宇受賣命あまのうずめのみことは、相変わらずの露出で激しい踊りを披露している。


 建御雷之男神たけみかづちのおのかみ経津主神ふつぬしのかみは、国津神くにつかみたちと肩を組み、揺れて、歌って、叫んで、笑っている。


「姉様、建御名方神たけみなかたのかみたちがお待ちですよ? そろそろ――」


「おお、そうじゃった……しかし――」


「ユウキ殿のことは、わたくしに任せて、ささ」


 月読命つくよみのみことはすとんと腰を下ろすと、天照大御神あまてらすおおみかみから俺を奪い取るようにして、そのまま自らの膝の上へと引き寄せた。


 天照大御神あまてらすおおみかみは不服そうに頬を膨らませながら、「すぐ戻る」と言い残して、神々の中へと消えていく。


「えーっと……」


 なんなんだ、この状況は?


 天照大御神あまてらすおおみかみとは対照的に、ちょっとひんやりとした膝枕。

 しかし、双子の神だけあって、たゆんとのしかかるのは豊満な胸。


 圧倒的な背徳感を覚えつつ、

 合神していた時の、月読命つくよみのみことの声を思い出す。


 いつもは、スンとしているのに、心の中では「はわわわ~」と可愛らしく慌てふためいていた月読命つくよみのみこと

 これが、いわゆるギャップ萌えというやつだろうか。


 見上げると、月読命つくよみのみことはとろんとした満足げな笑みを浮かべ、こちらを覗き込んでいた。


「ユウキ殿……」


 それ以上は何も言わず、ただ黙って俺の頭を撫で続ける月読命つくよみのみこと


 言葉では言い表せないほどの感謝――


 そんな感情だけが、静かに伝わってきた。



 ググゥゥ――――――……



「あ……あははは、そうだ。めっちゃ腹減ってんだ、俺」


「お料理を、お持ちいたします」


 言い終わるや否や、黒子たちが特製の料理皿を次々と運んでくる。

 まるで懐石料理だ。


 ずいっと引き起こされたかと思うと、

 白くなめらかな胡麻豆腐を、銀の匙ですくい――それが口元に運ばれてくる。


「さ、召し上がれ。あーん♡」


「え? や……」


 言いたいことは、あった。

 気にすることも、いくらでもあった。


 しかし、奈落のような空腹感と、口元へ運ばれた上品な料理の匂い――


 抗えるはずがない。


 観念して口を開けた瞬間、

 白くなめらかな胡麻豆腐が、するりと舌の上に滑り込んできた。


 やさしくほどけるような口当たりと、ほのかな甘み。

 空っぽの胃袋にじんわりと染み渡る上品かつ懐かしい味。


「……っ」


 気づけば、次の一口を求めていた。


 差し出される匙に、抗うこともなく口を開ける。

 運ばれてくる料理を、全て余すことなく受け入れる。


 一口、また一口と――





 まだまだ盛り上がりを見せる宴の輪から少し離れ、

 俺は一人、黄泉の国がある方角を見つめていた。


「ここにおったのか、ユウキよ」


 振り向くと、少し疲れた顔をした天照大御神あまてらすおおみかみが、こちらへ歩み寄ってくるところだった。

やがて、そのまま俺の隣に並び、同じように遠くを見つめる。


「みな、おぬしに感謝しておるぞ」


「ん?」


「おぬしは今や、英雄じゃ」


「……俺だけの力じゃないよ。みんなで協力しあった結果だ」


「そう、じゃな」


 小さく頷き、天照大御神あまてらすおおみかみは続ける。


「それでも、わらわは感謝しておる。――感謝などという言葉が、小さく思えるほどに、な」


「俺も、みんなに助けられた。感謝なんてひと言じゃ足りないくらいに――」


 言いかけて、言葉が詰まる。


「もう、この気持ち、何て言えば良いのか……わかんないや」


 背後からは相変わらず、神々が酒を酌み交わし、歌い、賑やかに盛り上がる喧騒が聞こえてくる。


「なあ、アマテラ。浄化の道へ進んだ、イザナギたちは……どうなったんだろう」


「――善き想いも、悪しき行いも、すべてが浄化され、永い年月を経て転生する……とだけ伝えられておる。だが、実のところは、誰にもわからぬ」


 天照大御神あまてらすおおみかみは、そっと俺の背に手を這わせながら続けた。


「おぬしの中にタヂカラの魂があるように、遠い未来で、きっと――」


「それにしても、壮大な――それこそ神話級の親子喧嘩だったんだなぁ。

 でも、まあ、浄化されるまでの間、すこしでも永く、三人で幸せに過ごせていたら、いいな……」


 伊邪那岐命いざなぎのみことと、伊邪那美命いざなみのみことに抱きかかえられた火の神カグツチ――


 その光景が、ふと脳裏に浮かんだ。


「そう、じゃな」


 小さく頷きながら、天照大御神あまてらすおおみかみは俺の腰へと手を回し、そっと身を寄せてくる。

 そして、そのまま、ぎゅっと抱きついてきた。


 俺は何も言わず、そのぬくもりを受け止めるように、静かに肩を抱き寄せた。


 しばしの沈黙――


 先に口を開いたのは天照大御神あまてらすおおみかみだった。


「ところで――」


 ふいに、視線が持ち上がる。


 ギロリと睨みつけるように俺を見上げて続ける。


「月読の料理を……ずいぶん美味しそうに頬張っておったのぉ~」


 ギリ、と腕に力がこもる。

 逃がすまいとするように、身体を締め付けられる。


 むぎゅう、と押し付けられる柔らかな感触。

 嬉しさと苦しさが、同時に押し寄せてくる。


「や、あれはっ……空腹には勝てずに……アマテラ?」


 嫉妬、だろうか。


 なんて――


 なんて愛らしいことか。


 嬉しい、けど、

「く、苦しい……」


 俺の胸に顔を埋めたまま、ひとしきり締め付けて気が済んだのか、

 やがて、すっと力が抜けた。


 天照大御神あまてらすおおみかみは顔を伏せたまま、小さな声で言った。


「ユウキよ――共に、高天原たかまがはらへ来ぬか?」


「!?」


 俺の中には、天手力男命あめのたぢからおのみことの魂があり、人の子でありながら神々と共に戦い抜いた功績――


 それらを鑑みて、その資格がある……ということか。


 いや、違う。


 そんなんじゃないな。


 これは、天照大御神あまてらすおおみかみの気持ちだ。

 本心からの――お誘いだと、そう受け止めた。



 ふたつの光景が浮かんだ――



 ひとつは、葦原中つ国あしはらのなかつくに


 カビっぽい空気。

 天井のシミと、古臭い蛍光灯。

 オンボロアパートの自室で目覚めた、あの瞬間。

 異ノ国から帰された時の、あの――


 そして、鈴木や太田、学ランたち、神楽丘学園の友人たち。

 心配そうに俺を見つめる西園寺の瞳。




 もうひとつは、高天原たかまがはら


 神々に囲まれ、悠々とした時の流れの中で過ごす日々。

 英雄だ何だと囃し立てられながら、須佐之男命すさのおのみことらと力比べしたり、稲荷神いなりのかみ風神かぜのかみ雷神かみなりのかみたちと駆け回ったり――

 ちぃパイの天宇受賣命あまのうずめのみことに振り回されたり――

 月読命つくよみのみことには豪華な料理を振る舞われ――


 そして何より――そこには、天照大御神あまてらすおおみかみがいる。



 俺は、天照大御神あまてらすおおみかみのことが――



 強く、抱きしめた。

 そのぬくもりを、腕の中に閉じ込めるように。


 そして、俺の答えを、


 この気持ちを、言葉にする。


「アマテラ、俺は――」




根ノ国・黄泉の国編 ~完~

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