第52話 厄災の神

 宴の余韻は、朝も夜も来ない空の下で、ゆっくりと消えていった。


 第二拠点の周囲では、国津神くにつかみたちが引き続き動いている。

 瘴気のコブを一つずつ潰し、禍蛇の再発を抑え、周囲の警戒を固める。


 そのお陰もあってなのか、あの黒い波は、もうどこにも見えない。


 代わりに広がっているのは――


 ひび割れ、荒れ果てた大地。

 削り取られたような岩肌。

 命の気配を一切感じさせない、剥き出しの荒野だった。


「……静かすぎるなぁ」


 ぽつりと呟いたのは、須佐之男命すさのおのみことだ。

 敵がいないことへの不満も感じられる。


「嵐の前の……かのぉ」


 天照大御神あまてらすおおみかみが、遠くを見据えながら応じる。


 その視線の先。

 地平の向こうに、ぽっかりと口を開けた暗闇が見える。

 あれが――黄泉の国へと続く道。


「今までにないくらい、大きな力を感じます。大きすぎる……。

 黄泉の国から溢れ出しているのか、それとも……」


 月読命つくよみのみことの声が、わずかに震えている。


「根ノ国のラスボスが待ち構えている、のかな?」


 ドクンと脈を打ったのは、俺か、イザナギの勾玉か……。

 緊張感を昂らせる。


 俺は余裕ぶって鼻で笑ってみせた。


「このまま進むぞ!」


 天照大御神あまてらすおおみかみの一声で、隊が動き出す。


 天照大御神あまてらすおおみかみを先頭に、その左右を須佐之男命すさのおのみこと月読命つくよみのみことが並ぶ。

 その後ろに、俺と風神かぜのかみ雷神かみなりのかみが続く。


 さらに俺たちの後方には――


 建御雷之男神たけみかづちのおのかみ経津主神ふつぬしのかみが率いる天津神あまつかみの精鋭神たちが展開している。


「周囲への警戒を怠るなよー」


 建御雷之男神たけみかづちのおのかみが、低い声を響かせる。


「先行部隊の護衛は、抜かりなく務めさせてもらうよ」


 経津主神ふつぬしのかみは軽快なステップで踊るように進む。





 どれくらい歩いただろうか。

 振り返ると、はるか遠くに第二拠点の灯りが見える。


 周辺の景色に変化はないが、

 確実に、黄泉の国へと続く道に近づいている。


 近付くにつれて、空気が重くなっていく。

 肺の奥に、何かが沈殿していくような感覚。


 風神かぜのかみ雷神かみなりのかみが、無言で距離を詰めてきた。

 不安なのだろう。


 そのとき――


 目の前の空間が揺らいだ。


 次の瞬間、人の形をしたナニカが姿を現した。

 黒より暗い闇の身体。

 輪郭は歪み、実体があるような、ないような、おぼろげなナニカだ。


 一拍遅れて、禍々しい空気が、ブワッ広がってきた。

 そして瞬時に理解した。


 『アレはヤバい』


 すぐにでも逃げ出したくなった。

 しかし、須佐之男命すさのおのみこと建御雷之男神たけみかづちのおのかみ経津主神ふつぬしのかみも、

 天照大御神あまてらすおおみかみも、月読命つくよみのみことさえも、

 前に出る。


 どうして、アレに立ち向かえるんだ?


禍津日神まがつひのかみ、じゃな」


 天照大御神あまてらすおおみかみが一言だけ呟いた。


「これで禍蛇が姿を消した理由がわかりましたね」


 月読命つくよみのみことは静かに納得している。


 …………。


「……え、どういうこと?」


 禍蛇が姿を消した理由が語られない間に耐えかねて、思わず声が出た。

 『わからないの?』とでも言いたげな、冷めた表情の月読命つくよみのみこと


「根ノ国に溢れていた全ての禍蛇は今、あれに凝縮しています」


 そう言って、禍津日神まがつひのかみを指差す。


 禍蛇をがぶがぶと喰らっていた八岐大蛇の尻尾がフラッシュバックする。


「全ての禍蛇を……喰らったっていうのか?」


「どうりで、姿が見えねぇと思ったら、一点に集まって待ち構えていたってわけか」


 須佐之男命すさのおのみことが大剣を一振りして、首をコキコキと鳴らした。


「黄泉の国は目前だってのに。やっぱ、素直に通しちゃくれねぇか」


 建御雷之男神たけみかづちのおのかみ経津主神ふつぬしのかみはニヤリと笑っている。


 笑っている!?


「アマテラスよ。ここは俺とフッシーに任せてくれ。あいつを足止めすっから、その間にあんたらは黄泉の国へ向かいな」


 建御雷之男神たけみかづちのおのかみが、ずんずんと前へ進んでいく。

 その肩には、ピシッピシリッと雷がほとばしっている。


 経津主神ふつぬしのかみは、後ろに控えている天津神あまつかみの精鋭神たちに何やら指示を出したあと、俺たちに手を振りながら、建御雷之男神たけみかづちのおのかみの後を追いかけていった。


「ふむ……。まずは、あやつらのお手並みを、拝見させてもらおうかのぉ」





 建御雷之男神たけみかづちのおのかみ経津主神ふつぬしのかみ

 天津神あまつかみを代表する二柱の武神が肩を並べて、禍津日神まがつひのかみと対峙する。


 ゆらゆらと揺らぐ禍津日神まがつひのかみは、首を傾けた。

 首……と呼んでいいのかも分からないが……。

 人の形をした輪郭がぐずぐずと滲み、そこから黒い煙とも泥ともつかないものが垂れ落ちては、地面に触れる前に消えていく。


 不意に、禍津日神まがつひのかみの腕らしきものが持ち上がった。


 次の瞬間、とても耳障りな……黒板を爪で引っ掻くような音が鳴り響いた。


 ギキィキギィッ――!!


「っ……ぐ……!」


 随分と迷惑な挨拶だ。

 後ろの天津神あまつかみたちも顔を歪め、耳を塞いでもがいている。



 建御雷之男神たけみかづちのおのかみは剣を構え、

 経津主神ふつぬしのかみは二刀を構える。

 そして左右に展開した。


 すると、禍津日神まがつひのかみの背から、無数の黒い腕が噴き出した。

 槍のように鋭く、鞭のようにしなりながら、それらが一斉に二柱へ襲いかかる。


 建御雷之男神たけみかづちのおのかみが地を蹴った。

 轟音とともに、雷を纏った太刀筋が黒い腕の束を薙ぎ払う。


 ズシャ――ッ!!


 十数本まとめて弾け飛ぶ。

 だが、散った黒い腕が空中で蠢き、すぐさま別の腕へと形を変える。


 反対側に展開した経津主神ふつぬしのかみは、高速で移動しながら二刀を繰り出している。

 完全には視認できないが、空中で黒い腕が弾けるように消し飛んでいる。

 しかし、ほとばしった黒いしぶきは新たな腕となってどこまでも経津主神ふつぬしのかみを追いかけていく。


 二柱とも、防戦一方だ。


「フッシー! タイミング合わせろ!」

「りょ!」


 そう叫んだ建御雷之男神たけみかづちのおのかみは、後ろに飛んで距離をとると、剣に雷を集中する。

 大技を繰り出そうとしているんだ。


「うぉおおおりゃぁああああー!!!」


 空が裂けたような閃光が走り、巨大な雷が禍津日神まがつひのかみの本体を捉えた。


「おりゃぁぁああああ!!」


 経津主神ふつぬしのかみは全身を高速回転させて、まるで巨大なドリルのように突進する。無数の黒い腕は、それに触れることもできずに四散してく。


 そして――


 雷に拘束された禍津日神まがつひのかみの本体を、経津主神ふつぬしのかみが貫いた。


 ドッパァ――ンッ!!


「どうだ!」


 腹のど真ん中を射抜かれた禍津日神まがつひのかみは、

 一瞬硬直したあと――


 完全復活した。


 ギキィキギィッ――ギィッギィッ!!


 そして耳障りな声を上げる。



「効いてない……のか?」


 俺の喉から、乾いた声が漏れた。



 しかし、経津主神ふつぬしのかみは怯むことなく、禍津日神まがつひのかみの懐へと潜り込んでいた。


 二刀による高速斬撃が、禍津日神まがつひのかみの胴を深々と斬り裂いていく。


 ぱっくりと開いた胴体から、触手が飛び出してくる。


「うっわ」


 経津主神ふつぬしのかみが咄嗟に飛び退く。

 さっきまで彼がいた場所に、何本もの触手が突き刺さる。


 ドドドドドッ!!


 その間も、建御雷之男神たけみかづちのおのかみは、何本もの黒い腕の相手を強いられている。


「こ、こいつはぁ、ちとキツイな……」


 歯が立っていない。

 誰の目にも明らかだった。


「タケ、フッシー、無理するでない! 一旦引くのじゃ!」


 天照大御神あまてらすおおみかみが叫ぶが、引くのも難しい状況のようだ。


「くっ! こ、ここは俺らで何とかするから、おぬしらは先へ行け!!」


 そうは言われても、これ以上進めば、あの黒い腕はこちらにも伸びてきそうだ。

 ここは協力して戦うしか――


 その時、後ろの方から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 かしましい声が――。

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