第49話 真・八岐大蛇の神話

 丘の上の拠点は、活気に満ちていた。


 国津神くにつかみの軍が築いた結界の内側では、絶えず神々が行き交っている。槍を整える者、傷を手当てする者、祈りを捧げる者、笑い合う者――。


 その一角で、いくつもの巨大な鍋から食欲をそそる湯気が立ちのぼっていた。


「そぉら、いっぱいお食べな。熱いから気ぃつけるんだよぉ」


 木椀を差し出してきたのは、頑固そうな顔で優しい声の老婆だった。

 その炊き出しに並ぶ列は、途切れることなく続いている。


「あざーっす」


 受け取った椀からは、白い湯気がもくもくと立ち上っていた。

 中身は豚汁っぽい。具だくさんで、ごま油の香ばしい匂いがする。

 でっかい餅も添えられていた。


 正直、腹ペコで倒れそうだった。

 こんな場所で、まともな飯が食えるとは思っていなかったので、心底ありがたい。

 猿田彦命さるたひこのみことの隊が、後方支援として動いてくれているおかげだ。


 天照大御神あまてらすおおみかみ月読命つくよみのみことと共に、建御名方神たけみなかたのかみらと打ち合わせ中らしい。


 俺は椀を両手で持ちながら、そろりそろり――丘の端へと歩いていく。


 結界の外では、相変わらず禍蛇の群れが黒い波のようにうごめいていた。

 食事をしながら眺めるには、あまりにも禍々しい景色だ。

 腰を下ろし、湯気に顔を近づける。


「……あったけぇ」


 ふー、ふー、と息を吹きかけてから、一口すする。


 塩気と脂の旨味が、じんわりと広がった。


「……うんまっ」


 思わず声が漏れる。

 胃の奥が、じわっと温まっていく。

 戦って、走って、気を張り続けていた身体から力が抜けていく感覚。

 餅を箸で持ち上げると、絶妙な柔らかさだった。


「最前線で餅……」


 苦笑しながらかじる。

 もぐもぐと咀嚼しながら、ぼんやりと空を見上げた。


 赤黒い雲。沈みきらない夕陽。

 ここには夜が来ない。いつまでも夕陽のままだ。

 もう時間の感覚もない。

 ふと思い出して、ポケットからスマホを取り出した。

 電波はもちろん届かない。時間を確認するためだ。


 午前一時。

 いつもなら、もう寝てる時間だ。


 西園寺たちは、どうしてるだろうか。

 神楽の湯宿で、みんなと一緒にいるはずだ。

 無茶なことをしたり、してないだろうか。


 小さく息を吐く。


 帰らなきゃな、ちゃんと。

 みんなのところに。


 そのためにも――


 ずるり、と餅をもう一口。

 そのときだった。


「いよぉ~、ユウキ。こんなとこにいたのか!」


 聞き慣れた、豪快な声。

 振り向くと、そこには――


「スーさん」


 須佐之男命すさのおのみことが立っていた。

 しかも、酒瓶を二本も抱えて。


「そんなに飲んで大丈夫なのか?」


 呆れて言うと、須佐之男命すさのおのみことはガハハと笑った。


「こんな場所だ、飲めるときに飲んどかねぇとな」


 そう言って、俺の隣にどっかりと腰を下ろす。

 地面が、少しだけ沈んだ気がした。


 くっくっと笑いながら、須佐之男命すさのおのみことは瓶の栓を抜いた。

 コポ、と音がして、ふわりと酒の匂いが漂う。


「しかしまぁ……」


 須佐之男命すさのおのみことは、結界の外をちらりと見た。


「ずいぶんとまぁ、ひでぇ有様になっちまったもんだな、根ノ国も」


「三千年前、スーさんが独りで乗り込んできたときは、こんなじゃなかったのか?」


「ああ」


 短く答える。

 その声は、いつもより、ほんの少しだけ低かった。


「あんときは、まだ地面が見えてたからな。あんなコブも無かった」


 須佐之男命すさのおのみことは、酒を一口あおった。


「ここまで腐った場所じゃなかった」


 少しの沈黙。

 俺は椀の中の餅を、ぐにぐにと箸でいじる。


「……なぁ、スーさん」


「んぁ?」


八岐大蛇やまたのおろちの話ってさ」


 須佐之男命すさのおのみことの眉が、ぴくりと動いた。


「……あれも、『穢れ』だったんだろ?」


 風が、ひとつ、丘の上を抜けていった。


 須佐之男命すさのおのみことは、しばらく何も言わなかった。


 そして――


「……ああ」


 静かに、頷いた。


「ありゃあ、ただの化け物なんかじゃねぇ」


 もう一口、酒を飲む。


「根ノ国から溢れ出した禍蛇の、ひとつの到達点だ」


 瓶を膝に置き、ゆっくりと前を見据える。


「いいぜ、話してやるよ」


 その目は遥か遠く――遠い昔を見つめるように揺れた。


「八岐大蛇の、本当の話をな」



 ――――――――――

 ――――――

 ――


 天岩戸の件でやらかしちまった俺は、悪鬼を追って葦原中つあしはらのなかつくにを彷徨っていた。

 八岐大蛇とは、そん時に立ち寄った村で遭遇したんだ……。


 古戦場のような野原の先に、人間たちの村があった。

 村に入ると老夫婦が駆け寄ってきてな、娘を、村を救ってくれと泣きすがるんだ。


 とにかく落ち着かせて、話を聞いた。


 すると、村の近くに現れた化け物は最初、双頭の大蛇だったという。

 追い払おうとした村の若い者が、逆に喰われてしまった。

 すると大蛇は首の数を増やし、三つ首になったそうだ。


 焦った若い衆が討伐に向かったが、全員喰われてしまった。

 そして大蛇は、さらに首の数を増やし、五つ首にまでなった。


 戦える若者がいなくなった村には結界が張ってあったが、それもいつ破られるか……。


 そんなとき、頭に角を生やした旅人がふらりと立ち寄ったという。

 旅人は「生娘を生贄に捧げれば、あの化け物は大人しくなる」と言ったそうだ。


 その言葉に惑わされた村人は、娘を生贄に捧げた。

 大蛇は生贄を喰らうと、しばらくの間大人しくなったが、またすぐに暴れ出した。


 そうして、何人もの娘たちが生贄となり喰われていった。

 やがて大蛇の首は八本以上に増えていた。


 そして次の生贄になるのが、俺に声をかけてきた老夫婦の孫娘。

 櫛名田比売くしなだひめだった。


 この櫛名田比売くしなだひめがまた、えらく積極的でなぁ。

「生贄は生娘じゃなきゃダメらしいから……」と言って、俺に夜這いを仕掛けてきたりしてなぁ。

 えらく積極的で、い~ぃ女だったぜぇ。


 …………。


 でまぁ、責任を取らされる感じで、俺が八岐大蛇を討伐することになっちまった。


 一刻も早く悪鬼を追いたかったが、そうなっちまったら仕方がない。

 次に八岐大蛇が現れるまで村に滞在することにした。


 待ってる間は暇だからよぉ、村人たちを集めて言ってやったんだ。

 頭に角を生やした旅人が言った生贄の話なんざ嘘っぱちだってな。


 腹が満たされれば大人しくなるし、腹が減れば暴れ出す。

 当たり前のことだろって。


 わが身可愛さにまともな判断ができなくなってたとこに、悪鬼の囁き。

 惑わされちまったんだろうなぁ。


 正気に戻った村人たちは嘆き悲しみ、そりゃもう酷いもんだった。

 俺ぁ耐えかねて「泣いてるくらいなら酒を噛め」ってな、口噛み酒でも作ってろと言ってやったんだ。

 「お前らが生贄に捧げた娘たちを想いながら、命を込めて噛め!」ってな。


 噛んでる間は余計なことを考えずに、大人しくなるだろうと思ってよ。

 ま、結果的にそれが功を奏したんだ。


 その数日の後、八岐大蛇は現れやがった。


 俺は真っ向から勝負を挑む覚悟を決めて、気合十分だった。


 しかし、その時――


 村の外に並べてあった酒樽の匂いに誘われた八岐大蛇は、樽に頭を突っ込んでガブガブと口噛み酒を飲み始めた。


 そしてヤツの首は、一つ、また一つと、酔いが回って眠り出した。


 なんだか騙し討ちみたいで気持ち悪かったが、あんな場所にいつまでも留まるつもりもなかったんでな、眠ってる首を片っ端から刎ね飛ばしてやったのさ。


 ま、最後のトドメは、天照の姉者にもってかれたけどな。

 最後の首を刎ねようとしたとき、天空がキラリと光ったかと思ったら、雷よりも速く一振りの剣が飛んできてな。八岐大蛇の残った首と胴体を貫いた。


 その時の剣が、天叢雲剣あめのむらくものつるぎてわけだ。


 ――

 ――――――

 ――――――――――


「お前らんとこで伝えられてる神話も、似たようなもんだろ?」


「いや、突っ込みどころが……ちょいちょいあるよね。天叢雲剣あめのむらくものつるぎって、俺が持ってるレプリカの――本物?」


「ん? それは、あれだ。真の意味での“本物”は、未だかつて誕生してねぇんだ」


「どういうこと?」


「姉者が言うには、そいつぁ持ち主を選ぶんだとか……。俺が持っても真の力を発揮できなかったんだぜ。他の誰が成せるんだっつー話よ」


「ふーん……。後に草薙の剣くさなぎのつるぎと呼ばれるようになったよね。今は三種の神器と呼ばれてるやつ……」


「三種の神器になってる剣は、紛れもなく、あんとき俺が握った剣だな。今は草薙の剣くさなぎのつるぎって呼ばれてんだっけか? 草を薙ぎ払ったから草薙の剣くさなぎのつるぎとか……笑っちまうけどな」


 須佐之男命すさのおのみことは、ぐびびっと酒をあおって小さく笑った。


 俺が持ってる天叢雲剣あめのむらくものつるぎのレプリカって、もしかしたら、そのうち“本物”になるかも?


「それにしても、あれだね。突っ込みどころといえば、クシナダヒメのイメージとか」


「クシナダかぁー。あいつは、い~ぃ女だった……」


 須佐之男命すさのおのみことはそう言って、遠い目をして空を見上げた。


 『い~ぃ女』……か。


 須佐之男命すさのおのみことは、ぐびびっと酒をあおり、二本目の酒瓶に手をかけた。


 その時――


「こりゃあ! スサノン! まぁたアンタは勝手に酒だけ持ち出しよってからに」


 !?

 振り向くと、炊き出しにいた老婆が仁王立ちしていた。


「い~ぃじゃねぇ~か。俺ぁコレがねぇとよぉ~」


「甘えてんじゃないよ! 皆に振る舞う酒が足りなくなるだろうが!」


「硬いこと言うなよぉ~、クシナダ~」


 !?

 須佐之男命すさのおのみことを見ると、今まで見せたことのない珍妙な表情でにやけていた。


 『い~ぃ女だった』……か。


 御存命だったようで、何よりです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る