第48話 穢れの海

 果てしなく続いた大トンネルを抜けると、空気が変わった。


 空気というより――が変わったんだ。

 俺は思わず足を止めて呟いていた。


「……ここが、根ノ国」


 かつては美しい黄昏の光に包まれた穏やかな世界だったと聞いている。

 だが今、目の前に広がるのは、そんな面影など微塵もない光景だった。


 空は濁った赤黒い雲に覆われ、

 沈みかけた夕陽が不気味な光を滲ませている。


 見渡す限り、真っ黒な海が生き物のようにうねっている。

 ……いや、違う。海じゃない。


 禍蛇だ。


 地面を覆う黒い波は、すべて禍蛇だ。


 ところどころ黒く腐ったように岩が膨れ上がり、

 どろりとした瘴気が煙のように噴き出している。


 そして、その瘴気を貪るように、無数の禍蛇がうごめき、時折、双頭の大蛇と三つ首のヒドラがその鎌首をもたげている。


 根ノ国そのものが、病に侵されて膿んでいるように見えた。


「三千年もの間、フタをして目を背けてきた結果がこれじゃ……」


 天照大御神あまてらすおおみかみが苦々しく呟いた。


 俺の胸に同化した勾玉が、どくん、と強く脈を打った。

 ……伊邪那岐命いざなぎのみことにも、この光景は見えているのだろうか。


「月読よ、どうじゃ?」


『なにが?』と問い返したくなるかもしれないが、双子の女神だけあって以心伝心なのだろう。

 天照大御神あまてらすおおみかみの問いに、月読命つくよみのみことは迷いなく地平の彼方を見やった。


「あちらの方角に黄泉の国への入口……。

 道中には大きな穢れがいくつか、それと……特大のがいますね」


 地平の彼方を指差す月読命つくよみのみこと

 真っ黒な禍蛇の海以外、何も見えない。


「禍蛇どもを薙ぎ払って進むしかねぇってこったな」


 須佐之男命すさのおのみことが、大剣を肩に担ぎながら鼻を鳴らした。

 『はやく暴れさせろ』と言っているように聞こえる。


「弟者よ、そう急ぐでない。

 見よ、あの瘴気を撒き散らしているコブを」


 天照大御神あまてらすおおみかみが扇子の先で示した先。

 膨れ上がった岩の亀裂から吹き出す瘴気。


 濃厚な瘴気は禍蛇へと姿を変え、ぼたぼたと群れの中へ落ちていく。

 さらに瘴気を浴びた禍蛇が、ぶるりと身を震わせる。

 次の瞬間、その胴体が膨れ上がり、首がもう一つ生えた。


 それを見た建御雷之男神たけみかづちのおのかみが、低く唸った。


「あの瘴気が苗床であり、エサってわけか。放っておけば、いくらでも増殖するわけだな」


「ちっ、昔はあんなの無かったぜ」


 須佐之男命すさのおのみことが舌打ちをした。


「つまるところじゃ」

 天照大御神あまてらすおおみかみが皆を見回す。

「瘴気を出すあのコブを破壊しながら、黄泉の国を目指す他あるまい」


 見渡す限り、瘴気を出すコブはそこかしこに点在している。


「ならば役目は明白ですな。

 我ら国津神くにつかみの軍は、黄泉の国へ向かうルート周辺のコブを破壊しつつ、結界を張り退路を護りましょう」


 建御名方神たけみなかたのかみは槍を地に突き立て、力強く言い放つ。


「黄泉の国へ向かう精鋭の道を開き、退路も守る。

 それが我らの役目と心得た」


 後ろに控える国津神の軍勢が、

 ドンッ!!

 と一斉に槍を打ち鳴らした。


「よかろう」


 天照大御神あまてらすおおみかみが頷く。


建御名方神たけみなかたのかみ国津神くにつかみの皆方には、根ノ国の戦線維持を任せる。

 天宇受賣命あまのうずめのみことを伴わせるとしよう」


 唐突に名を呼ばれた天宇受賣命あまのうずめのみことは跳ね上がり「オッケー、任された」とピースサインで応えた。


「それと、イナリよ。確保した道の浄化を頼めるか?」


「もちろんだよ、任せといて!」


 微笑んで頷く天照大御神あまてらすおおみかみ


「弟者とタケ、フッシーは先陣じゃ。

 大物どもを優先して蹴散らし、道を切り開け」


「任せろ」

「異論はない」

「りょーかい」


「月読は、黄泉の国への方角を間違えぬよう舵取りを頼む。

 それと大物への警戒じゃ」


「わかりました」


 そこで、天照大御神あまてらすおおみかみの視線が俺へと向いた。


「そして、ユウキよ」


 どくん、と胸が鳴った。


「おぬしはわらわと共に中核じゃ。

 先陣が討ち漏らした大物、横合いから襲う穢れ、厄介な瘴気のコブ……

 それらを見つけ次第、即座に断て」


「了解だっ!」


 中核。

 護られるだけでも、後ろで見ているだけでもない。

 天照大御神あまてらすおおみかみは今、俺を明確に戦力として数えている。


 それが、胸の奥に熱く響いた。


「よぉし、決まりだな!」

 須佐之男命すさのおのみことがガハハと笑う。

「ユウキ、遅れるんじゃねぇぞ!」


「スーさんこそ! 調子に乗って腰鳴らすなよ!」


「ガーッハッハッ! 言うようになったじゃねぇか!」


 天照大御神あまてらすおおみかみが、すうっと前へ出る。

 赤黒い空を背に、扇子を高々と掲げた。


「みなのもの、進むぞ!」


 パァアアァァァ……☆


 その身体から放たれた光が、どす黒い根ノ国を一瞬だけ昼のように照らした。


「穢れに沈んだこの地へ、再び光を!」


「「「おおーっ!!」」」


 号令と同時に、神々の軍勢が雪崩のように動き出した。


 先陣を切る須佐之男命すさのおのみこと建御雷之男神たけみかづちのおのかみ、それと経津主神ふつぬしのかみ

 その左右を、国津神くにつかみの軍が槍を揃えて走る。


「フータ! デンスケ!」


「おう!」

「いくべ!」


 ぬるり、と風神かぜのかみが身体に入り込み、

 バチリ、と雷神かみなりのかみが火花を散らして溶け込む。


 胸の奥で、勾玉が脈打った。

 イザナギの魂も、戦場を前に昂っているのがわかる。


「「「神威神装かむいしんそう・サンダーストーム!!」」」


 風が巻く。

 雷が弾ける。

 全身が軽く、鋭く、熱く滾る!


 その瞬間、前方の禍蛇の海がざわりとうねった。


 瘴気のコブのひとつが、ぶくぶくと脈動を始める。

 亀裂が広がり、中からどす黒い瘴気が噴き出した。


 それを浴びた禍蛇たちが、一斉に身を震わせる。


 ツチノコのような禍蛇が分裂して二匹に増える。

 双頭が胴を膨らませ、異様な咆哮をあげる。


「進路正面、三つ首化します!」


 月読命つくよみのみことの警告。


「先陣、正面を押し開くぞ!」


 建御雷之男神たけみかづちのおのかみが吠えると、前方の三柱が一気に加速した。


 須佐之男命すさのおのみことの大剣が、黒い波ごと禍蛇の群れを吹き飛ばす。

 建御雷之男神たけみかづちのおのかみの雷が、双頭を貫いて焼き切る。

 経津主神ふつぬしのかみの二刀は、どこまで斬撃が届いているのか見極められない。

 視界にあった鎌首が次々と刎ね飛ばされていく。


 その間にも、左右では国津神くにつかみたちが槍を揃え、側面から流れ出てくる禍蛇を突き伏せていた。


 後ろでは、天宇受賣命あまのうずめのみことが舞い、士気と力を高めてくれている。


 さらに後方、結界が張られたエリアでは稲荷神いなりのかみが飛び跳ね、黒く淀んだ大地を清めていく。



 少しずつ、確実に、最初の瘴気のコブへと近付いていった。


「これ……『コブ』と呼ぶにはデカすぎだろ」


 禍蛇の海のせいで遠近感が狂っていたらしい。

 それは、五階建てのビルほどの大きさがあった。


 しかも一つじゃない。

 進路の右手にも、左手の先にも、同じような巨大な膨らみがいくつも見える。

 それらの根元を守るように、三つ首のヒドラが群れていた。


「ユウキ! 中央のコブを空から断て!」

 天照大御神あまてらすおおみかみの声が飛ぶ。


「おお!」


 地を蹴った。


 瘴気のコブの真上へ躍り上がる。

 鼻をつく腐臭。目が焼けるような瘴気。


「ぶっ壊れろぉぉおおお!!」


 天叢雲剣あめのむらくものつるぎのレプリカに、風と雷を纏わせて振り下ろす。


 ズガガァァァ――――――――!!


 瘴気のコブは、激しい轟音と共に真っ二つに裂けた。


 一拍遅れて、内側から膨れ上がるように雷が炸裂する。

 黒い液体が四散し、辺り一帯の禍蛇がまとめて焼け焦げ、塵となって消えていった。


 後方から神々の歓声が上がる。

『おおー!』

『人の子がやりおる!』

『こりゃ痛快じゃのぉ!』


 着地した俺のすぐ横を、巨大な影が掠めた。


「っと!」


 三つ首のヒドラだ。

 異ノ国で見たヤツより、もっと禍々しい。

 胴のあちこちが裂け、そこから瘴気を垂れ流している。


「伏せておれ! ユウキ!」


 天照大御神あまてらすおおみかみの声に反応して頭を下げた次の瞬間、強烈な光が辺りを照らした。


 顔を上げると、ヒドラの三つ首は綺麗に消し飛んでいた。


「まだまだ、終わってはおらぬぞ」


 そう言って、天照大御神あまてらすおおみかみはさらに前を睨む。


 俺もつられて視線を向けた。


 そこには、さっきまでは何もなかったはずの小高い丘が見えていた。

 根ノ国の地形そのものが、禍蛇の海に埋もれていたのだろう。

 黒い波が少し引いたことで、岩だらけの丘陵が姿を現したらしい。


 その丘の周囲だけ、禍蛇の群れも平地ほど密ではない。


 天照大御神あまてらすおおみかみが目を細める。


「ふむ……おあつらえ向きな丘じゃのぉ」


 そのとき、月読命つくよみのみことが静かに告げた。


「このまま平地を押し進めば、いずれ左右から呑まれます。

 黄泉の国への方角はあの先で間違いありません。一度、足場を確保した方がよろしいでしょう」


「そうじゃな」


 天照大御神あまてらすおおみかみは、改めて全軍を見渡す。


建御名方神たけみなかたのかみよ!」


「はっ!」


「あの丘を前線の陣とする。

 国津神くにつかみの軍は左右に展開しつつ、丘の周辺を結界で固めよ。

 そこを根ノ国における最初の足場とする」


「承知!」


「弟者、タケ、フッシーは、丘までの進路を押し開けよ」


「よっしゃ!」

「異論なし」

「了解っと」


「月読は丘から先の見通しを確かめよ。

 ユウキ――」


「おう!」


「おぬしはわらわと共に、丘へ上がる道を死守するのじゃ」


「了解!」


 そして再び進軍が始まった。


 目指すべき場所は決まった。

 まずはあの丘を取る。


 須佐之男命すさのおのみことが真正面を粉砕する。

 建御雷之男神たけみかづちのおのかみが丘の右手に群れる双頭を雷で薙ぐ。

 経津主神ふつぬしのかみは左から回り込む三つ首を、首だけを摘み取るように斬り飛ばした。


 俺と天照大御神あまてらすおおみかみは、その後ろから小さめなコブと討ち漏らしを潰していく。



「丘の上、取ったぞぉおお!」



 建御雷之男神たけみかづちのおのかみの叫び声が響き渡った。


 同時に、建御名方神たけみなかたのかみの軍勢が一斉に駆け上がる。

 槍が突き立てられ、祈りの言葉が響き、簡易の結界杭が次々と打ち込まれていく。


 その後ろでイナリが、破れた地面に手を当てた。

 金色の淡い光が、丘の上に波のように広がる。


「うん、ここなら良い拠点になりそうだよ!」


 天照大御神あまてらすおおみかみと並んで丘の頂に立ち、周囲を見渡した。


 遠くに小さく見える大トンネルの入り口。

 そこから丘までは、結界に護られた一本道で繋がっている。


 丘の反対側に広がるのは禍蛇の海。

 赤黒く淀んだ地平線の遥か先――

 そこに、黄泉の国へと続く道があるはずだ。


「よし」


 天照大御神あまてらすおおみかみが、ゆっくりと頷く。


「ここを前線の陣とする!」


「「「「うおおー!!」」」」


 ってやつだろうか。神々は一斉に声を上げ、互いを称え合った。


 須佐之男命すさのおのみことは、大剣を肩に乗せたまま不敵に笑っていた。


「ようやく、前座が終わったって感じだな」


 俺も丘の上から、赤黒い根ノ国を見渡す。

 ここから先が、本番だ。


 黄泉の国は、まだ遠い。

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