第43話 国譲り神話の裏側で……

 天岩戸事変のしばらくあと、葦原中つ国あしはらのなかつくにへと渡った須佐之男命すさのおのみことは、根ノ国から溢れ出した穢れの化身、八岐大蛇やまたのおろちを打ち滅ぼした。


「やはり、根ノ国で良からぬ異変が起きているに違いない」


 そう確信した須佐之男命すさのおのみことは単身、根ノ国へと降りていった。


 そこで見た光景は、想像を絶するものだった。


 穏やかな黄昏時が永遠に続いていたはずの根ノ国が、真っ黒な穢れが蔓延る荒涼とした大地に変貌していたのだ。


 次々と襲い来る穢れの化身ども。


 その中に、悪鬼の姿を見つけた須佐之男命すさのおのみことは、歓喜の雄叫びを上げ、穢れの波の中へと突き進んでいった――。



 根ノ国の異変。

 高天原たかまがはらにも、その報は届いていた。



 天照大御神あまてらすおおみかみが率いる八百万の神々は、根ノ国へ進軍する準備を始めた。


 ところが、造化三神ぞうかさんしんはそれに待ったをかけた。


「今、おぬしらが大挙して根ノ国へと進軍したならば、その動向は葦原中つ国あしはらのなかつくにの民たちにも伝わるであろう」

「そうなったならば、何のための進軍かを問われるはずじゃ」

「天岩戸事変の真相を暴かれるような事態は避けねばならぬ」


 今、こうしている間も須佐之男命すさのおのみことはたった独りで闘い続けている。

 一刻も早く駆け付けなければならない。


 そのとき、天照大御神あまてらすおおみかみから生まれい出た天菩比神あめのほひのかみは、一芝居打つことを提案した。


葦原中つ国あしはらのなかつくにの民たち全てが注目するような、大きな祭りか、もしくは戦いを起こすのはどうでしょうか」


 天菩比神あめのほひのかみの描いた筋書きで、国譲りの茶番劇が開始された。


「仕掛けるのは高天原たかまがはらですから、まずは思い通りにいかない演出を入れましょうぞ。すなわち――」


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 高天原たかまがはらから、葦原中つ国あしはらのなかつくにを治める大国主おおくにぬしのもとへ、使者が送られてきた。


葦原中つ国あしはらのなかつくには、天照大御神あまてらすおおみかみの子孫が治めるべき国である」


 突然そんなことを言われ、葦原中つ国あしはらのなかつくには大きく揺れた。


 だが、高天原たかまがはらの使者は、大国主おおくにぬしのもとにとどまり、そのまま葦原中つ国あしはらのなかつくに側に仕えるようになった。


 これには民たちも胸をなで下ろした。


 ところが、間を置かずして、第二の使者が送り込まれてきた。


 再び葦原中つ国あしはらのなかつくにはざわめいたが、この使者もまた大国主おおくにぬしのもとに取り込まれてしまう。


 葦原中つ国あしはらのなかつくには、またしても天の神々を退けたのだ。


 民たちは大いに歓喜した。


 そして最後に現れたのが、建御雷之男神たけみかづちのおのかみである。


 それに対して立ち上がったのは、大国主おおくにぬしの子、建御名方神たけみなかたのかみ


 負け知らずとなっていた葦原中つ国あしはらのなかつくにでは、今回もまた打ち勝てると、誰もが信じて疑わなかった。


 民たちの興味は、視線は、ただ一つ。

 これから始まる、その勝負の行方へと向けられていた。


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 葦原中つ国あしはらのなかつくにの民たちが国譲りの大勝負に注目している隙に、天照大御神あまてらすおおみかみが率いる八百万の神々は、天手力男命あめのたぢからおのみことを筆頭に、一気に根ノ国へと突き進んだ。


 そこには、かつての美しい黄昏の景色はなく、荒涼とした大地がどこまでも広がっていた。


 そして再会を果たす師弟――。


「スー殿! 長らくお待たせ申した。無事であるか!?」


「いよー、タジー。遅かったじゃねぇか。風と雷も一緒か。うまくやってそうだな。

 こっちはもう粗方、穢れは払いのけちまったぜ」


 根ノ国は、どこまでも静寂に包まれていた。


「弟者よ。遅くなってしもうた。許せ……」


「天照の姉者、いいって。気にするな。思う存分、暴れることができた。あの悪鬼もぶちのめしてやったぜ」


「姉上、穢れの群れが迫っております」


 月読命つくよみのみことが気配を察知した。


「けっ。まだ湧いてくるのか。あの悪鬼、死の間際に『日に千の穢れが倒されるならば、こっちは日に千五百の穢れを生み出す』とか抜かしてやがったが……本気だったようだな」


「スー殿、それならば我らで二千の穢れを退けましょうぞ!」

わらわも忘れるでない。三千の穢れを黄泉へと返すとしよう」


「ガーッハッハッ! どうやら、本番はこれからだったみてぇだな!

 やるか!」


「やりましょうぞ! 俺たちが編み出した技を今こそ!

 フータ殿! デンスケ殿!」


 風神かぜのかみ雷神かみなりのかみが、天手力男命あめのたぢからおのみことの身体に溶け込んでいく。


「「「神威神装・雷嵐かむいしんそう らいらん」」」


 外見は天手力男命あめのたぢからおのみことのままだったが、その秘めたる力が爆発的に跳ね上がった。


「お、お前、そいつらと合神……。こりゃ~俺も本気を出さなきゃなぁ~!!」


 眼前に迫りくる穢れの群れ。


 須佐之男命すさのおのみことは、大剣を振り上げ、渾身の一撃を振り下ろす。


 天手力男命あめのたぢからおのみことは、風のように舞い、雷の速さで穢れを吹き飛ばしてゆく。


 そして天照大御神あまてらすおおみかみは、巨大な太陽の如き光の弾を、穢れの群れの中へと落とした。


 穢れの群れを撃退すると、月読命つくよみのみことが前に出た。


「黄泉の国への道が、開いております」


「よーし。穢れの元を断ちに行くとするか。黄泉の国へ!」 



 根ノ国から黄泉の国へ続く唯一の道からは、禍々しい瘴気が流れ出ていた。



「これは想像以上じゃのぉ……そうじゃ、ちとわらわは、他の神たちに残党狩りの指示を出してくるでの。ここで待っておれ。先に行くでないぞ」


 そう言って、天照大御神あまてらすおおみかみはその場を離れた。


「あの八岐大蛇よりヤベェ気配を感じるんだが……月読の姉者は、どう見る?」

「……黄泉の国は、生者が赴く場所にござらん。我々とてそれは同じ」


「このまま、この道を塞いでしまうのではダメなのか?

 かつてイザナギがそうしたように」


「こちらから塞いでも、またすぐに押し退けられてしまうでしょう。より強固に封印するのであれば、向こう側とこちら側、両方から封をする必要があります」


「ツクヨミ殿、向こう側から塞ぐとなると、誰かが向こう側に残らなければならないのでは?」


「俺らの中で、そんな役が務まるのはタジーしかいねぇじゃねえか。

 冗談はよしてくれ、姉者。ガーッハッハッ!」


 須佐之男命すさのおのみことはそう言って笑い飛ばした。

 月読命つくよみのみことは「冗談ではござらん」と言いながら笑った。

 天手力男命あめのたぢからおのみことも、釣られて笑っていた。


 そこへ天照大御神あまてらすおおみかみが戻る。


「なんじゃ、楽し気じゃな」


 皆が笑っていたので、天照大御神あまてらすおおみかみは、余裕があるのだと思った。



「それでは、行ってみるとするか。黄泉の国へ!」



 須佐之男命すさのおのみこと

 天手力男命あめのたぢからおのみこと

 風神かぜのかみ雷神かみなりのかみ

 天照大御神あまてらすおおみかみ

 そして、月読命つくよみのみこと


 彼らは慎重に黄泉の国に通じる道を進んだ。


 先へ行くにつれて、瘴気が濃く重くなってゆく。


 根ノ国生まれの天照大御神あまてらすおおみかみ月読命つくよみのみこと

 黄泉の国で生まれた須佐之男命すさのおのみことにとっては、耐えられる瘴気であったが、高天原たかまがはら生まれの神たちにとっては、到底耐えられるものではなかった。


 風神かぜのかみ雷神かみなりのかみは、それ以上奥へは進めなかった。


 天手力男命あめのたぢからおのみことは平静を装ってはいたが、真っ直ぐに歩くのが精いっぱいの状態だった。



 道を抜け、辿り着いた黄泉の国。

 赤と黒、それに闇が支配する世界――



 月読命つくよみのみことの力を持ってしても、穢れがどこから生まれてくるのか、その根源を見つけることは難しい。


 すぐ足元から湧きだすようでもあり、すでに巨大な穢れの胃袋の中に捕らわれたかのようでもある。奇妙な感覚に支配される。



 何度か遭遇した穢れを撃退しながら、奥へ奥へと進んでいく。



 そして彼らは、見てしまった。

 そして察してしまった。


 目の前に犇めいていたのは、八岐大蛇を遥かに凌ぐ穢れの群れ――。


「(あれを全て相手にするのは……さすがに無謀じゃ)」

「(……悔しいが、たしかにな。俺が本気になっても、半分も倒せねぇうちに返り討ちだろうぜ)」

「(一旦引き返しましょう。そして、黄泉の国への道を封じるのです。かつて父様がそうしたように)」

「(……やはり、こちら側からも塞ぐ必要があるのでは?)」

「(何のことじゃ、それは?)」


 須佐之男命すさのおのみこと月読命つくよみのみことは口をつむいだ。


「(あの穢れの群れが根ノ国へ向かったならば、イザナギ様と同等の封印を施していたとしても、ひとたまりもありますまい。黄泉の国側からも道を塞ぎ、根ノ国側と呼応させることで強固な封印とするしか……)」


「(ど、どうしたのじゃ、タヂカラ。おぬし、何を言っておる?)」


「(しかし、そうするしか……)」


「(ダメじゃ! 誰かが黄泉の国に残り、道を塞がねばならぬのであろう?

 根ノ国の封印は我ら三貴子みはしらのうずのみこの力が必要じゃ。

 とするならば、ここに残るはタヂカラ、おぬししかおらぬではないか。

 そんなことは、絶対に許さぬぞ)」


「(あ……ああ、そうだな。すまなかった、アマテラ。ひとまず根ノ国まで撤退しよう。みんなで、一緒に、戻ろう)」


「(そうだな、なにか妙案が浮かぶかもしれねぇし。いったん戻って、考えようや)」


 そして静かにその場を離れようとした、その時、

 三つ首の禍蛇に気付かれてしまった。


 須佐之男命すさのおのみことの強烈な一撃で撃退したものの、その騒ぎで周辺の穢れが集まってくる。


 彼らは出口へと急いだ。


 そして、根ノ国へと続く洞窟の前で、天手力男命あめのたぢからおのみことは立ち止まった。


「タジー、お前まさか……」


「このままでは、奴らを根ノ国まで引き寄せてしまう。三つ首、八岐までなら我らで対処できるが、あれは……」


「タジー、お前最初から覚悟を決めて……。わかった……。

 いつの日かきっと、我らは戻ってくる。お前の覚悟を無駄にはしねぇ。

 約束だ……我が友よ……きっとだ」


 力強く握手を交わし、肩を叩き合った。


「スー殿、アマテラ様を、アマテラを頼む」


 須佐之男命すさのおのみことは頷き、ゆっくりと背を向けた。


 その様子を遠くから見ていた天照大御神あまてらすおおみかみが、慌てて駆け戻ろうとする。

 しかし、須佐之男命すさのおのみことがそれを許さなかった。


 天照大御神あまてらすおおみかみは、須佐之男命すさのおのみことに引きずられるように、根ノ国へと向かう。


「なぜじゃ、タヂカラ! おぬしが、おぬしが言うたであろう! 『一緒に戻る』と……タヂカラ、戻ってこい! タヂカラ―!!」


 天手力男命あめのたぢからおのみことの背後には、穢れの軍勢が迫っていた。


 その場に立っているのもやっとだった。天手力男命あめのたぢからおのみことは、最後の力を振り絞り巨大な岩の壁を動かし、自らを楔として道を塞いだ。


「すまぬ、アマテラ……。俺にはこうするしか………………」



 根ノ国へと戻った三貴子みはしらのうずのみこは、急ぎ封印の儀を執り行った。


 抵抗すると思われた天照大御神あまてらすおおみかみだったが、「天手力男命あめのたぢからおのみことの覚悟を無にするのですか?」という月読命つくよみのみことの言葉で、唇を噛んだ。

 その眼差しは、わずかに揺れ、怒りでも誇りでもない、胸の奥に沈んだ迷いの色を浮かべていた。


 やがて天照大御神あまてらすおおみかみは、長く息を吐く。


「……そうじゃな。タヂカラが命を賭したのなら、ここでわらわが退くわけにはいかぬ」


 まっすぐに前を見据えた瞳には、すでに迷いは残っていなかった。


 ――

 ――――――

 ――――――――――



「――以上が、決して語られることのない神話。

 天手力男命あめのたぢからおのみことの最後……。

 国譲りの陰で起こっていたことじゃ」


 夢から覚めると、前よりも強く天手力男命あめのたぢからおのみことの魂を感じられるようになっていた。


 力の源がはっきりしたことで、この力の使い方が手に取るようにわかる気がした。


 そして、もうひとつわかったことがある。


「俺は……黄泉の国に残ったタヂカラは、そこで朽ちる前に、声を聞いていた」


「声、とな?」

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