第7話|現場の声
第十四補給集積所の事務室は、朝から戦場に近い喧騒に包まれていた。私が一週間前に導入した「梱包単位(ロット)供給制度」と、それに伴う「端数切り捨て」の運用は、前線の兵士たちにとって、敵の砲撃以上に理解しがたく、憎むべき理不尽として受理されていた。
事務室のカウンター越しに、複数の下士官が怒号を浴びせている。彼らが握りしめているのは、私の検印が入った支給伝票と、中身が期待より「数個」足りない木箱だ。
「おい、聞いているのか少尉! 俺の小隊は触媒石を三つ不足した状態で昨夜の防衛戦を戦ったんだぞ! 魔導砲の威力が安定せず、敵の突撃を素通しした! お前の机の上では、三という数字はただの端数かもしれないが、俺たちにとっては三人の命だ!」
私は、カウンターの向こうで震える大尉の指先を見つめながら、感情を排した声で答えた。
「支給規定に基づき、貴部隊の消費実績と集積所の現在庫を照合した結果です。二十個入りのロットを分配する際、予備率を均等に保つためには端数の切り捨ては避けられません。一箇所に余剰を持たせることは、他箇所に致命的な欠損を生むリスクを伴います。私は全体を管理しているのです」
「全体だと? ふざけるな! その全体とやらの中に、泥水を啜って戦っている俺たちが含まれていないなら、そんな管理に何の意味がある!」
大尉の怒号に合わせて、周囲の兵士たちもカウンターを叩く。ハンスが間に入ろうとしたが、彼らの殺気に圧されて言葉を失っていた。
苦情の主旨は一貫していた。
第一に、端数切り捨てによる実質的な供給減への怒り。
第二に、箱を開けるまで正確な個数が分からない不透明性への不信。
第三に、そしてこれが最も本質的だったが、「安全な後方にいる女が、生死の境にいる自分たちのリソースを恣意的に操作している」という感情的な拒絶。
「少尉、これは単なる苦情ではありません」
ハンスが私の耳元で囁く。
「連隊長レベルからも、物資支給権限の集積所への集中について、正式な抗議文が届いています。特に先日のエルヴィン小隊の損害以降、現場の兵士たちは、物資が足りないのは敵のせいではなく、ヘイル少尉のペン先のせいだと思っています。このままでは、集積所が襲撃されかねません」
私は机の上の在庫表に目を落とした。制度導入後、物資の消失率は四〇パーセント低下した。横流しはほぼ根絶され、輸送の回転率は二割向上している。システムは、間違いなく「正しく」機能している。だが、システムを構成する部品である「兵士」という個体が、その最適化を拒絶して軋みを上げている。
「……私の判断が間違っているというのであれば、それを証明するデータが必要です」
私は、カウンター越しに大尉を見据えた。
「なぜ、私の算出した理論値では足りなかったのか。敵の攻撃密度、あるいは魔導兵の出力個体差。それらの変数を特定しない限り、私は一缶たりとも無原則に増やすことはできません。それが、この軍全体の崩壊を防ぐ唯一の方法だからです」
「データだと? ならば、そのデータとやらを自分の目で見てこい。安全な部屋で計算尺を回しているお前に、何がわかる!」
大尉が叫んだその時、背後の扉が開いた。入ってきたのは、煤けた外套を纏い、顔に包帯を巻いたエルヴィンだった。
「大尉。こいつに何を言っても無駄だ」
エルヴィンは、冷酷な目で私を見た。
「こいつは、自分が作り上げた美しい計算式が、兵士の血で汚れることを何とも思っていない。だが、もし本気で『最適化』を語るつもりなら、少尉、あんたには欠けているものがある。需要が生まれる瞬間の、あの不確定な爆発だ。来い、第一連隊の最前線まで。あんたの計算尺が、弾雨の中でどれだけ通用するか、その身で確かめさせてやる」
ハンスが慌てて割って入った。
「待ってください! 兵站将校を前線に連れて行くなど、軍法違反に近い暴挙です!」
「報告しろ、ハンス。だがな、今この瞬間、この集積所の物資が動かなければ、今夜中に第一連隊は瓦解する」
エルヴィンは私を睨みつけた。
「どうする、カレン・ヘイル少尉」
私は計算尺と野帳を鞄に詰め、軍帽を深く被り直した。
「行きましょう、エルヴィン小隊長。あなたの言う『爆発』を、変数として測定しに向かいます」
*
集積所を出てわずか三十分。馬車が舗装路を外れた瞬間、世界の色が失われた。そこにあるのは、灰色と茶色の、終わりのない泥の海だった。前線へ向かう補給路は砲撃によって無数の穴が穿たれ、馬車は一メートル進むごとに停止した。
「押せ! 車輪を止めるな!」
御者の叫び声が響く。私も馬車から降り、兵士たちに混じって泥濘に足を踏み入れた。膝まで浸かるような泥の中で、車輪のスポークに手をかける。冷たい泥の感触が手袋を突き抜け、爪の間にまで入り込む。
「少尉、あんたは何をしている! 突っ立って計算してりゃいいんだ!」
エルヴィンが叫んだが、私は返事もしなかった。
「車輪一点にかかる負荷を分散させなければ、このぬかるみは突破できません!」
軍服の裾が泥を吸って岩のように重くなる。息を吐くたびに肺が焼け、泥の臭いが鼻につく。だが、私は押し続けた。私が帳簿上で「輸送時間:二時間」と書き込んでいたその数字が、いかに多くの兵士の筋肉と罵倒によって支えられていたかを、体感する必要があった。
ようやく辿り着いた塹壕は、凄惨な「作業場」だった。頭上を敵の魔導砲弾が通過する。火薬の代わりに魔導兵が触媒石に魔力を込め、砲身内の大気を瞬間膨張させて弾丸を撃ち出す――その衝撃波が空気を引き裂くたび、内臓が揺れるような轟音が響く。
「報告を!」
エルヴィンが叫ぶ。
「魔導砲、残弾三! 触媒石は枯渇気味、魔導兵の疲弊が限界です! 砲弾の初速が出ません!」
私は塹壕の隅に設置された魔導砲の基部へと近づいた。魔導兵が、震える手で触媒石を握り、砲弾に「装填」するための魔力を練っている。魔法は「生成」ではなく「操作」である以上、熱膨張のエネルギーを指向性のある駆動力に変えるためには、媒介となる魔導兵の代謝エネルギーが必要になる。だが、彼らの肉体はすでにボロ雑巾のようだった。
不意に、敵の第二波が始まった。凄まじい風圧と共に敵の砲弾が飛来する。
「撃て! 迎撃しろ!」
エルヴィンの叫び。しかし、魔力が足りず初速を失った砲弾は、敵の結界を貫くことなく手前に落下した。直後、塹壕の縁が吹き飛び、土砂が降り注ぐ。
泥の中に顔を突っ込みながら、私は考え続けていた。現場における需要は、一定ではない。敵の攻撃頻度という外生変数が急騰した際、私の構築したロット管理システムはあまりにも静的すぎた。一度出荷した物資は、次の補給予定まで届かない。その「空白の時間」に需要が立ち上がれば、現場は死ぬ。
「少尉、伏せろ!」
エルヴィンが私を突き飛ばした。私は、泥まみれの手で野帳を開いた。
ロジスティクスとは、単に物を運ぶことではない。不確実な需要と限界ある供給の間の「時間的、空間的な欠落」を埋める動的システムこそが本質だ。
「おい、狂ったのか……」
エルヴィンが、弾雨の中で計算を続ける私を呆れたように見つめていた。
「死ぬからこそ、計算が必要なのです」
私は答えを導き出した。
「感情で物資を増やすのではなく、需要そのものをリアルタイムで同期させる。あなたの部下が『あと二個の不足』で死なないための、新しいシステムを構築します」
集積所に帰還した私は、泥だらけの姿のまま管理官に三つの改善案を提示した。管理官は軍法会議を盾に難色を示したが、現場の暴動リスクと効率向上を秤にかけ、最終的に私の「独断先行」を黙認する形で承認を出した。より上位の軍令部への承認は後回しだが、軍法に抵触するほどではない。私は即座に、反発が予想される各部隊の担当者を集め、説明会を開いた。
「一つ目。戦闘状況変化に伴う需要修正。兵站部隊にも作戦情報を事前に共有させ、伝令の報告を需要予測データとして組み込みます」
いまいちピンと来ないのか、現場レベルでは関係ないのか、担当者からの反対はない。
「二つ目。緊急時の隣接部隊からの融通。補給が間に合わない場合、隣接部隊の余剰ロットを一時的に回す仕組みを作ります。ただし、不当な奪い合いを防ぐため、承認権限は我々が保持します」
不満げな野次が飛ぶ。
「そんな面倒な手続きを戦場でやってられるか!」「また管理を増やすのか!」
私は声を強めた。
「そして三つ目。信号弾を起点とした、触媒石の『射出供給』です。緊急時、激戦地に対し、後方の予備砲身を利用して、緩衝材で固めた触媒石ケースを砲弾として撃ち込みます。輸送時間のロスを、物理的に短縮します」
「馬鹿な、石を撃ち込むだと? 」
「そんな正確に届くわけがない!」
騒然とする担当者たちの中に、エルヴィンが歩み出た。
「黙れ」
彼の低い声が響く。
「こいつは機械みたいなやつだが、機械みたいなだけあってこいつが『届ける』と言ったら、届く。俺の小隊が最初の実験台になってやる。文句がある奴は、こいつと同じだけ泥を被ってから言え」
エルヴィンのフォローに、担当者たちは押し黙った。彼らにとって、エルヴィンのような現場の叩き上げの言葉は、私の正論よりも遥かに重かった。
数日後。激しい集中砲火を浴びた第四小隊から、緊急の信号弾が上がった。私は即座に隣接部隊への融通を指示し、同時に準備していた「射出供給」を発動させた。緩衝材に包まれた触媒石のケースが、砲声と共に夜空を切り裂き、正確に指定座標の塹壕へと着弾した。
「……届いたぞ。本当に届きやがった」
数日後、集積所にやってきた兵士たちの態度は劇的に変わっていた。以前のような怒号はない。彼らは、カウンターの向こうの私を、得体の知れない冷徹な、しかし「信頼に値する機械」として見るようになっていた。
「少尉。今日の配分、三つ切り捨てられてたが……あんたがそう決めたんなら、きっと別の場所で必要なんだろうな。その代わり、空を見上げりゃ届くって信じてるぜ」
ある下士官が、ぶっきらぼうにそう言った。
「規約に従ってください。私の計算が正しい限り、正しく物資を届けます」
私は顔を上げず、伝票に判を押した。
「……全くだ。あんたみたいな血も涙もない計算狂いが生死を握ってると思うと、変な安心感があるよ。情に流されて『いいよいいよ』と配る奴より、よっぽど信頼できる」
それは、友情とは程遠い、歪んだ信頼の形だった。カレン・ヘイルは、不必要なものは絶対にくれない。しかし、彼女が必要だと判断したものは、空から撃ち込んででも必ず届けてくれる。兵士たちにとって、私は救済者ではなく、精密な「配分エンジン」となったのだ。
私は、汚れが落ちきっていない手で計算尺を握り直す。需要と供給。その間に流れる凄まじい摩擦を、仕組みという潤滑油で埋めていく。信頼は、束縛の別名だ。私はその重みを、一缶の保存食、一個の触媒石の重量として、今日も正確に計量し続ける。
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