第6話|正しい失敗
集積所の朝は、湿った木材が軋む音と、冷たい霧が充満する中で始まった。事務室の壁には、昨日、管理官の承認を得た「
これまでの供給方式は、現場からの請求に対し、一缶、一個単位で計数して渡す「バラ売り」だった。だが、この方式は致命的な欠陥を抱えていた。計数時の人為的ミス、抜き取りによる横流し、そして何より、在庫管理の複雑化だ。集積所という「点」において、流体のようなバラ物資を個別に管理することは、底の抜けた桶で水を運ぶような非効率を強いていた。
私はハンスを呼び、新しい検品フローの最終確認を行った。
「今日から、物資の最小単位は二十缶入りの木箱、触媒石は二十個入りの専用ケースに固定します。個別のバラ請求は一切受け付けません。端数はすべて『丸め数量』で処理してください。十九缶の請求なら二十缶(一箱)を渡し、三十缶の請求なら二十缶(一箱)に減らすか、四十缶(二箱)に増やすか。その判断権限は、現場ではなく、こちらの在庫状況と優先順位に基づき、我々が握ります」
ハンスは、山積みになった木箱を見上げ、不安げに眼鏡の縁を触った。
「少尉、既に積み込み待ちの輸送兵たちから不満が出ています。『なぜ今まで通り十個単位で分けてくれないのか』と。特に触媒石については、一個の差が死活問題だと彼らは言っています。それに、検品はどうしますか?」
「検品は抜き取りで行います。届いた箱の封印をそのまま信用し、私が抜き取り調査で開封したものだけは、改めて私の印が入った魔導封印テープで封じ直します。封印が破れていれば即座に横領と見なす。これにより、輸送中の不透明な欠損を根絶します」
私は作業場へ出た。そこには、不機嫌そうな輸送兵たちと、彼らを指揮するあの伍長がいた。伍長は、山積みの木箱を蹴飛ばし、鼻で笑った。
「おい、少尉さん。随分と気取ったやり方を始めたもんだな。だがよ、現場は算数の教室じゃねえんだ。十五個必要なところに十個しか届かなかったら、残りの五個分はどうすりゃいいんだ? 魔法の火を半分だけ灯せってか?」
「十五個の請求に対し、十個しか届かないのであれば、それは供給側のリソース配分による判断です。伍長、あなたたちの仕事は箱を数え、封印を守って運ぶことだけです。中身を気にする必要はありません。中身が足りないという苦情は、受領側の小隊長から書面で受け付けます。ただし、丸め処理による不足分は『軍規上の欠損』とは見なしません」
伍長は忌々しげに唾を吐いた。
「効率、効率か。あんたの頭の中には、血の通った人間は一人も入ってねえようだな」
「兵站に血を通わせる必要はありません。必要なのは、物資の循環です」
私は事務的に答え、検品を開始した。
作業は劇的に早まった。今までは一缶ずつ数えていた積載作業が、箱の数を数えるだけで終わる。抜き取り検品も、私が開封した箱を封じ直す手間以外は、外部からの視認だけで完結する。事務机の上で、在庫の数字と現物の数が、初めて完璧に一致し始めた。これこそが全体最適。個別の不便を切り捨ててでも、システム全体の摩擦を減らす。それが私の「正しさ」だった。
私は、第一連隊のエルヴィン小隊長への供給分を確認した。彼の請求は「中純度触媒石 十二個」。私の判断は、隣接する小隊と合わせて「一ロット(二十個入りケース)」を分け合わせ、端数を切り捨てた。結果的にエルヴィン小隊に届くのは「十個」となる計算だ。
理論値では、十個あれば規定の遮蔽魔法を六時間は維持できる。その間に次の補充が届けば問題はない。私は、計算尺の数値を信じ、出庫伝票に印を押した。
「ハンス、第一連隊への供給、ケース番号四〇二。封印を確認し、直ちに出発させてください」
「……二個足りませんが、いいんですね?」
「理論上の防御可能時間を満たしています。余剰在庫を抱えさせることは、他の脆弱な地点を作ることに等しい。これで最適です」
馬車が泥を跳ね上げて出発する。私は事務室に戻り、正確に一致した在庫表を眺めた。システムは完璧に稼働し、不透明な消失は根絶された。私は自分の判断が、この戦争をより機能的なものにしていると確信していた。
事態が急転したのは、供給からわずか四時間後のことだった。集積所の通信所に、第一連隊からの緊急魔導通信が入った。私はハンスと共に通信室へ駆け込んだ。受信された報告書は、血の混じったような走り書きでこう記されていた。
『第三防衛線、魔法遮蔽崩壊。敵砲撃により歩兵三名死亡、五名重傷。触媒石の枯渇が直接の原因。補充を求む』
私は、自分の心臓が冷たく収縮するのを感じた。そんなはずはない。私の計算では、供給した十個の触媒石があれば、次の補給予定時刻まで十分に維持できるはずだった。
一時間後、泥と硝煙にまみれたエルヴィン小隊の伝令兵が集積所に飛び込んできた。彼は私の顔を見るなり、狂ったように叫んだ。
「触媒だ! 触媒を出せ! あと二個……あと二個あれば、魔法使いは結界を維持できたんだ! なぜ箱を開けたら十個しか入ってないんだ!」
私は、震えそうになる指先を机の下で隠し、平静を装って答えた。
「……今回の供給はロット管理への移行に伴い、丸め処理を行いました。あなたの小隊への配分は十個です。理論上、それで防衛時間は足りていたはずですが」
「理論だと!?」
伝令兵は机を叩いた。
「敵の規模が想定より多かったんだよ! 結界の維持コストが跳ね上がったんだ! 自分の血を吐きながら叫んでたぞ、『あと二個あれば』って! その二個がなかったせいで、天井が崩れて、ハインツも、ロルフも……みんな死んだんだ!」
ハンスが隣で息を呑む音が聞こえた。不確定要素としてのマージンを削りすぎたのか。
私は自分の手元にある「正しい」在庫表を見た。そこには、まだ集積所に残っている「余剰」の触媒石の数が記されている。私が「最適」と判断して留め置いた、あの二個の石が。もし、私がロット管理にこだわらず、バラで十二個を渡していれば。あるいは、切り捨てではなく切り上げを選択して二十個を渡していれば。
三人の死亡。五人の重傷。数字ではない。名前と役割を持った人間が、私の引いた「丸め数量」という線の外側で、肉の塊に変わった。軍法上の過失はない。私は規定に従い、在庫を全体最適化し、管理官の承認を得た運用を行ったに過ぎない。憲兵隊が調査に来ても、私は「正当な業務」を遂行したと証明できる。だが、その正当性が、これほどまでに鋭利な刃となって自分を突き刺すとは思わなかった。
私は初めて、ロジスティクスという重圧の真の姿を理解した。それは単なる数字のパズルではない。私のペン先が「十」と書くか「二十」と書くかで、誰かの葬儀の数が決まるのだ。
ハンスが私の顔を覗き込んだ。
「少尉、……大丈夫ですか。あなたは間違っていません。あの中隊への緊急要請があった以上、あの判断は……」
「……わかっています」
私は乾いた声で言った。「私は、間違っていません。……間違っていないはずです」
だが、視界の端で、伝令兵が泥の床に膝をつき、泣いているのが見えた。私の構築した「完璧な仕組み」は、三人の兵士の命を代償にして、在庫の整合性を守り抜いた。その事実が、鉛のような重さで私の胃に居座った。
夕刻、前線から傷ついた馬車が戻ってきた。その中には、エルヴィン小隊長が乗っていた。彼は片腕に包帯を巻き、煤けた軍服を血で汚したまま、集積所の事務室に足を踏み入れた。私は立ち上がり、彼を迎えようとしたが、言葉が出なかった。
エルヴィンは私の前で止まり、濁った瞳でじっと私を見つめた。
「ヘイル少尉。新しい『仕組み』とやらは、さぞかしうまく回っているようだな」
「……エルヴィン少尉。損害については、遺憾に思います」
私の言葉は、自分でも驚くほど冷たく、空虚に響いた。
「遺憾か。便利な言葉だ」
彼は低い声で言った。怒鳴る気力すら残っていないようだった。
「あんたの言う『全体最適』ってやつの中に、俺の部下の命は入ってなかった。ただそれだけのことだ。あんたは在庫表の数字を守り、俺は部下を失った。あんたは正しい。軍人として、兵站将校として、完璧に正しい仕事をしたんだ。……だがな、その正しさで殺された連中の顔を、一度でも想像したことがあるか?」
「……想像は、判断のノイズになります」
私は、精一杯の拒絶を込めて答えた。そう言わなければ、立っていられなかった。
「そうか。なら、そのまま一生、数字を抱いて寝てろ。あんたは英雄にはなれないが、確かに立派な『戦争の部品』だよ」
エルヴィンはそれだけ言い残し、背を向けて去っていった。和解も、許しも、そこにはなかった。
エルヴィンが去った後、今度はあの伍長が部屋の入り口に現れた。彼はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ、私が封じた封印テープの切れ端を指で弄んでいた。
「よお、少尉さん。聞いたぜ。あの立派な『ロット管理』のおかげで、前線じゃお祭り騒ぎだったらしいな。二個の石をケチって、三人の兵隊を墓送りにしたって? 効率的だ。葬式代の方が、触媒一個より高くつくかもしれねえがな」
「伍長、下がってください」
ハンスが厳しい声で言ったが、伍長は止まらなかった。
「いいか、少尉。あんたがどれだけ賢いつもりでも、ここは戦場だ。帳簿の上の数字を合わせるために、生きてる人間の呼吸を止めるような真似をしてる限り、あんたは人殺しと変わらねえ。……いや、人殺しの方がまだマシか。あいつらは、殺す相手の顔を見てるんだからな」
伍長が去り、事務室には私とハンスだけが残された。
「……少尉」
ハンスの声が遠く聞こえる。
「気にしないでください。彼らは感情的になっているだけです。あなたの判断は、統計的には……」
「統計的。ええ、そうですね」
私は、震える手で万年筆を握り直した。「ハンス、今日の業務報告をまとめます。触媒石の消費効率と、環境変数による補正値の再計算が必要です。ロット単位の運用は継続します。一個の失敗でシステムを止めることは、さらなる損失を招きますから」
「……本気ですか?」
「本気です。私は、兵站将校ですから」
私はハンスを下がらせた。一人になった事務室で、私は机の引き出しを開けた。そこには、まだ配られていない一通の家族宛ての預かり手紙があった。今日死んだ兵士の一人が書いたものだ。
不意に、視界が滲んだ。叫ぶことも、取り乱すこともなく、ただ涙が溢れて止まらなかった。悲しいのではない。悔しいのでもない。自分の構築した「正しい」論理が、これほどまでに醜悪な結果を招いたという事実が、耐え難かった。
私が守ろうとした「全体」とは何だったのか。私が切り捨てた「端数」は、確かに生きていた。私は机に突っ伏し、暗い部屋の中で一人、震えた。これが、責任というものの手触りだった。泥を啜り、血を流す現場を無視して、清潔な紙の上で「正解」を書き続けた報いだ。
だが、私は明日もまた、ペンを握らなければならない。三人を殺したこのペンで、明日の千人を救うための計算をしなければならない。戦争は終わらない。私の間違いも、終わらない。
私は涙を拭い、煤けた鏡で自分の顔を見た。そこには、感情を殺しきれなかった、未熟な部品が映っていた。私は、二度と泣かないと心に決めた。次にペンを動かす時は、死者の数さえも、完璧な計算の一部として受け入れるために。
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