第12話 俺が飼ってるのか、それとも
「……んん、……ん……?」
意識がまどろみの底からゆっくりと浮上する。
まだ目が覚めきらなくて、頭がぼんやりしている。
もう朝か?
身体が重いし、顔もくすぐったくて、温かい。
ちゅ、ちゅ、ちゅ、ちゅ、ちゅ。
……音?
至近距離から聞こえる「ちゅ」という微かな音に、俺はようやく目を開けた。
視界のすべてを宵の端正な顔が埋め尽くしていたのだ。
「……っ」
ちゅ、ちゅ。
「……おい」
ちゅっ。
「……おーい」
頬、額、目の下、鼻の頭、そして顎の先。キスの軌道が完全にルーティン化してる。
「朝のあいさつ、キス多すぎない?」
「おはよう、なおや」
宵はようやく動きを止めて、寝起きの妙に色っぽい顔でにこっと微笑んだ。
「……絶対、口にだけはするなよ!! そこはダメだからな!」
釘を刺して、逃げるように布団を被ろうとしたが、それより一瞬早く「ちゅっ」と額にキスされる。
……逃げ遅れた。
(っていうか、普通に考えなくても、これアウトだよなぁ)
宵は満足そうに頷いてる。俺は、はぁ、とため息をついてベッドから這い出した。
今日は休日だ。あのモヤモヤした夜から一週間ほど経っていた。
幸いなことにその間、謎の夢は見ることも、怖い体験をすることもなく、時間は穏やかに過ぎている。
ただ、変わったことが一つだけある。
宵のスキンシップのレベルが、跳ね上がったことだ。
正直、人間の順応力ってやつは思った以上にすごい。
朝から顔中キスで埋め尽くされるのも、「口はダメだ」と言うのも、今日で五日目だ。
慣れたというのは違うが、受け入れていないとも言えない。
(……俺の感覚、ちょっとおかしくなってきてない? 慣れてきてるのが一番怖いんだが)
この一週間、俺は気づけばいろんなことを、「当たり前」として受け止めるようになっていた。
宵が初めて大学に迎えにきたあの日から、毎日俺を迎えに来るようになった。
そして周囲の視線も気にせず、当然のように俺の手を繋いで帰るのだ。
理由は一応「なおやを守るため」らしい。正直、守られてる実感なんてない。目立って恥ずいだけだ。
朝晩のルーティンもそうだ。
朝は顔中キス。夜は抱きつかれ、尻尾に巻きつかれて眠りにつく。
全部おかしい。
なのに、それを〝日常〟だと思い始めてる自分が、何よりもおかしい。
狐を飼ってるつもりだったけど……これ、俺が飼われてない?
そんな釈然としない思いで朝食を終え、身支度を整えていたら、宵が居間で当然のように宣言した。
「なおや、でかけよ」
「……はい?」
これは質問の形をしてない時点で嫌な予感しかしない。
「なおや、きょうおやすみ、でしょ?」
「そうだけど……。行きたいとこでもあんの?」
宵は少し考えて、首を傾げた。
「いっしょに、いるがいいから」
……行き先不明なのかよ。一体、俺たちどこ行くの?
そうツッコミながら、俺はなぜか玄関に向かい、気づけば靴を履いていた。
**
結局、俺には特に行きたい場所なんて思いつかず、やって来たのは駅前の繁華街だった。
「……人多くない?」
「だいじょうぶ」
何が大丈夫なんだか。
文句を言いながらも、俺は宵に手を引かれるまま人混みを歩いている。
いつの間にか指を絡めるみたいな繋ぎ方に変わっていて、今さら振りほどくタイミングを、俺は完全に見失っていた。
不意に、宵が足を止めた。視線の先には、派手な看板が見える。
「ゲーセン?」
「ここ、いきたい」
宵が少しだけ目を瞬かせた。
いや、少しどころじゃない。完全に子供のような目だ。
「来たことあんの?」
「ない。でも、音とキラキラいっぱい」
一歩、足を踏み入れた途端、爆音と眩しいライト、それから多くの人の波が押し寄せてきた。正直、俺は少し気圧された。
隣の宵を見ると、彼はぴたりと足を止めていた。この空気や人混みに、怯えてるのかと心配して顔を覗き込んだ。
けれど、そうじゃなくてむしろ、全部を一気に飲み込もうとしてるような圧倒された顔だ。
「宵? 大丈夫?」
「なおや、すごいね、ここ」
「そうだなー。まあ、慣れると割と普通だけど」
そう言いながらも、宵をはぐれさせないよう、俺は繋いだ手に力を込めた。
まず捕まったのは、入り口近くのクレーンゲームだった。ぬいぐるみが山積みになった台の前で宵が動かなくなる。
「なおや、これ、ふわふわ」
「え、ぬいぐるみ?」
指差した先には、耳と大きな尻尾がついた、狐のキャラクターのぬいぐるみだった。
……わかりやすすぎない?
宵は期待に満ちた眼差しで「できる?」と聞いてくる。正直、こういうのは苦手でも得意でもない。まぁほぼ運だ。
「一回だけな」
コインを入れてアームを動かす。そして、二回失敗した。
「次でダメだったら諦めろよ」
三回目。アームに引っかかって、ぬいぐるみが転がった。落ちた瞬間、宵が勢いよく振り返る。
「……っ! なおや! すごい!」
「ちょっと! 抱きつくなって!」
腕の中にぎゅうぎゅうと飛び込まれ、案の定、周りの視線が刺さる。けれど宵はそんなことお構いなしに、手に入れたぬいぐるみを抱えて満足そうな笑みを浮かべた。
「なおや、すごい、うれしい」
「はいはい」
こんなことでこんなに嬉しそうにするんだな。すげーかわ――。危うく『かわいい』と口走りそうになって、慌てて気を逸らした。
その後も、音ゲーを覗いたり、宵がキッズ向けの乗り物に興味を示したりと、歩き回った。
気づいたのは、宵は片時も俺のそばを離れようとしなかったことだ。人が多くなると、必ず手を繋ぐか袖を離さない。まるで何かを警戒しているように。
「……疲れた?」
「たのしい。なおやいっしょだから」
……俺も、今日は楽しかったよ。
もちろん声には出さなかったけど。
でも、この穏やかな満足感が、少しだけ怖くもあったんだ。
俺たちは、どこへ向かっているんだろうって。
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