第11話 ヤキモチとしっぽの拘束


 胸の中が、得体の知れない不安で、モヤモヤしたまま帰宅した。

 

「ただいま」

「ただいまー」

「あら、おかえり。夕飯ちょうどできたのよ、食べましょうね」


 おばあちゃんの声に、ようやく少しだけ息がつけた気がした。


 それから、三人で夕食を囲んでいる。――のだが。

 宵が俺をじっと見てくる。

 ずっと。ほんとに、ずーっと。視線が刺さるほどに、こっちを見ている。

 箸を動かしても、味噌汁を飲んでも、おばあちゃんと会話していても、その琥珀色の瞳が離れない。


 ……。


 耐えかねて箸を止めた。

 台所に移動しても、背中から熱い視線を感じる。振り返ると、案の定また目が合った。


「……ちょっとなに? さっきから」


 思わず声を上げると、宵はぱちくりと瞬きをした。それから、俺の目を見ながらポツリと言った。


「なおや、大学のあのひと、だれ?」

「ん? なんの話?」

「なおや、あのひとと、なんでいっしょいるの?」


 一瞬で理解した。坂下のことだ。


「坂下は友達だから。普通の友達だから」

「ふつう」


 宵は納得いかないという顔で、箸を持ったままフリーズしている。そこへおばあちゃんが、面白そうに口を挟んだ。


「あらあら、宵くん。ヤキモチかしら?」

「やきもち?」

「尚弥を取られたくない、ってことよ」


 宵がひとつ深く呼吸をして、俺を見た。それから、こくんと頷いた。


「とられたくない、ぜったい」

「……なんなの? お前」


 宵は何事もない顔をして続ける。


「なおや、ぼくのだから」

「違うに決まってるし? 所有権はないから!」


 おばあちゃんが「ふふっ」と吹き出した。


「ふふ、若いわねぇ」

「おばあちゃんも、煽るのやめてよ!」


 けれど、宵は真剣な表情のまま、少しだけ瞳を潤ませていた。箸を置いて、俺の袖先を指でつまんで言った。


「いなくなるの、やだ」


 その声は不安そうに震えていて、帰りの鋭い目とは違う、親とはぐれた子供のような目だ。


「……いなくならないってば」

「よかった」


 宵の肩がふっと緩んだ。たったそれだけの返答で、満足したようにご飯を食べ始めた。


 ……なんなんだ、ほんと。また俺だけが置いてきぼりじゃん!


 **


 寝支度をして、布団の上でスマホを触っていたとき。不意に頬にちゅっ、と柔らかい感触がした。


「……ん?」

 一拍遅れて、脳が状況を理解した。


「はああ? い、今なにした?」

 

 顔が一気に熱くなる。宵はきょとんとした顔で俺を見上げ、悪びれた様子ゼロで言い放つ。

 

「きす。だめ?」

「なんでしてくんの? ダメに決まってる!」

 

 心臓が速くなって、目も合わせられない。たぶん今、俺の顔は真っ赤になっている。

 宵は少し考えるように首を傾けて、それから当然のように言った。

 

「なおや、ぼくのなおや」

「意味わかんないって、ずっと言ってるだろ!」


 強めに言い返したものの、宵は気にする風でもなく、むしろ安心したように目を細めた。そして、俺の反論を無視して、宵はぐいっと身を寄せてくる。

 

「ねよ」

 短く告げると、宵の腕が迷いなく伸びてきて、当然のような顔をして俺を抱き寄せた。

 

「ちょっと、ちょっと! なんで抱いて寝る流れ??」

「ねるから」

「理由になってないってば!」


 抗議してるのに、背中から回された腕は、まったく緩まない。ぴたりと密着した背中からは、ダイレクトに体温が伝わる。

 

「ほんと意味わかんない……」

「なおや、おやすみ」


 挨拶をすませると、宵の額が俺の肩にコツンと当たる。呼吸が首筋にかかり、ゾワっ鳥肌が立つ。

 

「……宵」

「んー……」

 

 そのときだった。

 ふわ、と腰のあたりに柔らかい何かが触れた。

 ……?

 次の瞬間、もふっとした「何か」が、ゆっくり俺の腰に巻きつく。

 

「――待って。なに今、これって」

「しっぽ」

「しっぽ!? 出てるし! 巻きつかせないで!」

 

 反射的に身をよじると、尻尾は『逃がさない』と言うようにきゅっと力を込めた。

 

「俺、拘束されて寝るの? これで寝られるの?」

「あったかいから」


 耳元で、今にも眠りそうな掠れた声で囁かれる。尻尾は、無意識みたいに腰をなぞり、そのたびに心臓が、タイミングを間違えたみたいに鳴る。

 

「卑怯じゃん、それ……。しまえないの?」

「たぶん、むり」

「即答なのが腹立つ……」

 

 観念して目を閉じ、背中と腰の温度をじんわり感じていると、背後で宵の呼吸が一瞬乱れた。

 回された腕にぎゅうっと力が入り、さっきまでの甘えた抱き方とは違う。少し苦しいくらいの強さで抱きしめられる。同時に尻尾にも力が入り、身動きがとれない。

 

「……?」

 俺が小さく身じろぐと、宵の額が背中に押し当てられたのがわかった。


「尚弥」


 さっきまでの子供のような甘えた声じゃない。低くて、凛とした声だ。

 

「な、なに?」

「今、怖くない?」

「なんで? 別に……いや、怖いことはあるよ? いろいろ……」

 

 声のトーンに驚きつつも返事をしたけど、宵はそれ以上何も答えなかった。ただ、俺を包んでる腕だけが少し強いままだった。


 そのまま、再び目を閉じた。宵も呼吸が次第に揃ってきて、どうやら眠りについたみたいだ。

 ……なのに、俺はまだ眠れない。

 それは物理的に拘束されているからではない。(いや、少しあるけど)

 今日起きた出来事が、勝手に頭に浮かんでくる。

 帰り道のあの一瞬のことだ。街灯の下で見た、黒い煙のような影。

 それから――宵の声。


『……大丈夫だよ、灯弥』


 あのときの声。あれはよく見る夢に出てきたあの人の声に似ていた。

 いつもの、甘ったれた宵じゃない。低くて、迷いがないような声だ。それに俺のことを『灯弥』と呼んだ。

 

「……考えすぎか?」

 

 小声で呟いても腑に落ちなくて胸に不穏な波が立ってる。

 寝息とともに宵の腕と尻尾が、わずかに動く。眠りながらも無意識に、俺を抱き直してるようだった。

 まるで、何かから守る、みたいな動きだ。


 なに、それ。

 俺、そんな頼りなさそうに見える?

 いや、確かに今日のはちょっとビビったけど。


 もう一度、目を閉じ直す。

 正直、宵が密着して一緒に寝てることの方が、よっぽど心臓に悪いわ。

 ……俺、なんか試されてるのか?

 

 でも、なんでだろうな。

 こんな状況なのに、どこか安心している俺がいる。

 

 抱きつかれるのもどっかしっくりきてる……のは絶対認めてやらないけど!

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